>『ガチな』幸せがそう簡単に色褪せたり麻痺したりするもんだろうか、と。

たしかに。一度理解したら死ぬまで使える数学の定理みたいな側面もあるかもしれない。
聖人といわれるような人はそうだと思う。
苦しさもいづれ終わるということを理解すると苦しさがそんなに大変なことでは
なくなる。
 マラソンを始めたとき半年ほど練習して、いよいよハーフマラソンの
レースに出ることになった。一度20kmを走ってみようとするけど走れない。
何度かトライしてみたけどどうしても15kmでダウンして走りきれなかった。
でもレースでは走りきれたし、一度走りきれると次からは何とか走れるように
なった。さらにフルマラソンを経験するとハーフマラソンは難なく走れる。
すこし物足りないくらい。
 幸福というのは、「幸福である」ことじゃなくて、「幸福の理解」のことかも
しれない。だから不幸も幸福もその一部だし、もっと多くのものを含んでいて
言ってみれば人生そのものを達観するようなことと同じなのかも。
 マラソンを知らない人はただ何時間も走り続けることの意味が解らない。でも
マラソンは苦しいだけじゃない。もっといろんなことを含んでいる。苦しいけれども
面白い。あんなに苦しいのにむしろ楽しいという印象のほうが強い。