ここは創作怪談板だからマジモノは禁止?
でもオカ板に書いたら「つまらない」って言われるか、自称霊感ある連中に有ること無いこと色々言われそうだからコッチに書かせてくれ。
いや、幽霊出てこないし全然怖くないからココでも「つまらない」って言われるだろうけど、俺は怖い。
俺1人だけが怖い『一文字』がある。
ぶっちゃけ俺1人だけが怖がってるのが悔しいから、何処かに吐き出したいと思ってたトコロだったんだよ。

去年の緊急事態宣言の時、暇を持て余して地元の郷土史を調べてたんだ。
俺ん家は東京近県の高度経済成長期に出来た新興住宅地だったから、歴史なんて無いと思ってたんだけど、調べたらやたら歴史が古い町だった。
村として地元の史料に出てくるのは平安末期ぐらいで、その後地元出身の武将が源平の戦いで活躍、
更に戦国末期から江戸初期にかけては、秀吉の小田原征伐時に小田原側について近くの砦に籠城。
「信長の野望」やった事ある人なら誰でも知ってるぐらいの有名武将が討伐にきて攻め落とされてたり、
その後徳川家康お気に入りの地となって、家康配下の政僧・天海(正体は明智光秀説があるアイツ)がわざわざ周辺の寺を味方として固める為の工作に来てた等、自分の想像していたのと全く違うミーハーな歴史が次々と出てきた。
更に古い歴史を調べていくと、平安時代より前からも栄えていた場所らしく、市の遺跡調査資料によると町の周り中縄文〜弥生時代の古墳と貝塚と集落跡、弥生時代の集団墓地などの調査記録もいっぱい出てきた。

で、その時思い当たる場所が1つあった。
俺は町ハズレにあったごく近所の高校に通っていたんだが、高校の校舎からだけ見える小さな小山があったんだ。
高校自体が田んぼの真ん中にポツンとあり、その先に同じく田んぼの中にポツンと小山がある。
高校の校舎の中からじゃないとその小山は見えないし、気づかない場所なワケ。
高校時代は歴史に興味なんて無かったから「古墳だろうな」ぐらいにしか思ってなかった。
実際、冷やかしで友達と放課後に小山に行ってみようとした事があった。
でも田んぼの畦道を通って小山に近づこうとしても近づけない。つまり畦道は小山に繋がっていなかったんだ。
直線距離だと歩いて5分もかからない場所なのに、何だかんだ回り道して、結局『他人の民家を通り抜けて』1時間半ぐらいかけてやっと小山に辿り着いた。
民家の庭から小山に続く一本道には「立ち入り禁止」の看板と跨げる程度の低さの鎖が張られていて、
小山の前には古い木で出来た鳥居があったのを今でもよく覚えている。
ま、結局その後鳥居くぐって山に登ってみたワケでもなく、鳥居見て納得して帰ったんだ。ほんとソレだけ。

で、話は現在に戻って、コロナ自粛中に郷土史調べてた時にソレを思い出し、
「結局あの小山は何だったんだ?鳥居があったんだから山の上に神社でもあったんか?或いはやはり古墳だで、古墳そのものを信仰対象として鳥居があったのか?」
と気になったので、小山の事とその周辺について調べてみたんだ。
なんたって小さな小山だと言っても、古墳とすればかなりデカいからな。
県下でもトップ10、市内ならトップ3ぐらいに入る大きさになる。
ところがコレがいくら調べても出てこない。
まず、市の史跡調査資料には載ってない。つまり市としてコレを古墳としては認識していないと言うワケだ。
となれば神社という事になるが、コレまた神社としての記録も無い。
現在地に跡形も無い神社まで載っている国土地理院の最も古い古地図を見ても、小山自体は確かに載っているのに神社の名称どころか『鳥居マーク』すら載ってない。
この件は一旦諦めたんだが、ある時ひょんな事から別の古地図を見る機会があった。
確か、明治政府が日本全国のだいたいの町や村の場所と建物の場所、その地域の農作物や樹木の種類を把握する為に作った、簡易地図だったと思う。
少なくともこの周辺の地図としては最も古いモノだ。
その地図には例の小山にタダ一文字だけ

『夭』

と書かれてあった。