>>928で言ったことが理解できなかった人もいるようだから分かりやすく言おう。
ジョブズが生きていたら〜というのはジョブズの発言に基づいている。

ジョブズの言うことに間違いはない。ジョブズは〜でなければならないと言った(「選択するということは、何百ものいいアイデアに"No"ということだ」など)
今のAppleはそれに反して〜をしていて、(廉価版やカラー、スペックのラインナップを増やすなど)それは間違っている。という論理。

この論理は、ジョブズの言うことに間違いがないという前提のもとに成り立っている。その前提がなりたつのはApple界隈。
よってApple界隈の内輪でレスにジョブズが生きていたら〜とつけることによりジョブズの意見=正しい ことになる。
ジョブズの発言をもとにしているから、決して自分の意見=ジョブズの意見=正しいではない。ジョブズの意見そのものだから、自分の意見ではない。ジョブズの意志をついでいるといえばいいか。

バカでも分かるようにしよう。プロテスタントはキリストの発言、つまり聖書を根拠にして物事の善悪を判断している。
キリスト界隈ではキリストの発言は絶対的に正しいから、その判断は絶対的に正しい。
ジョブズが生きていたら〜の場合は、ジョブズが生きていたら〜というのはジョブズの発言を根拠にして物事(最近のAppleのやっていること)の善悪を評価している。
Apple界隈ではジョブズの発言は絶対的に正しいから、その評価は絶対的に正しい。

Apple界隈でのジョブズが生きていたら〜というレスはそのレスが真実であることの裏付けとなる。間違っていること(今のApple)に対する提言である。

こんなとこかな