良い時は良い、今一つのときは今一つ、つまらない時はつまらないと
伝えるのも表現の受け手=ファンとしての在り方の一つではないだろうか

しかしそうするには表現の受け手としても責任が伴うと思う
表現の受け手はただ口を開けて天から感動が降ってくるのを待って
いるだけの存在であってはならない まず何より人生をチャンと生きること
そして喜び、楽しさ、つらさや苦しさなど誰もが味わう当たり前のことを
しっかりと受け止めて生きていくこと そしてコンサートやライブに出かけ
美術館に絵も見に行き 芝居やダンスの公演にもできる限り行くこと
退屈な表現行為だと感じられても永い間続いているものや多くの人が人生を
かけてきたものには敬意を払い すぐに投げ出さずに何とか良い点を見出そう
とすること 時間はいくらあっても足りない 俺が今取り組んでいるのは
能・狂言 浄瑠璃 謡(これは踊りとセットになっていることが多い)を
何とか楽しめるようにすることだ でも現代人にはテンポがなかなか手強い

表現の専門家は見せる技のために努力する時間が必要なので 自分の専門外の
ことを経験することが少ない だから受け手としてはいろいろな経験を重ねて
いろいろな分野の広い視野から表現行為を評価して 表現者にフィードバック
するという役割を果たすことも重要な役割だろう 
経験の多様性・幅の広さや豊富さが受け手専門の人間にとっては唯一表現者に
優る点なのではないかと思っている

君もすぐに「それはあなたの主観でしょ とか 当事者の問題でしょ」
とか言わずに 話題の内容自体について話したほうが生きる意味を悟る
手掛かりが得られて有意義かもしれないよ