しかし表現の自由というのは
政治的行為であると理解していたのだが、
今日、奇妙に私的な自由として
観念されているような気がする。
表現の自由を守ることはつまりまさに
それを実践することであろうと思うのだが、
そうした能動性がひどく希薄なのだ。
むしろ享受の自由として受けとめられている。