井口眞緒と柿崎芽依の思い出
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けやき坂=日向坂が人気を獲得したのは、不遇を売り物にして、ヲタを煽った運営の予定調和だったという記事を見たが。
けやき坂についてのある程度の知識がある者なら、それが間違っているという烙印を押すだろう。
万が一、運営がそこまで演出を企てていたとしても、少なくともメンバーのほうは聾桟敷にいた。
濱岸が休養しているときにも密に連絡を取って励ますほど包容力があり、人間が大好きな美玲が、二期生との面会を遮断するため、閉じこもった。
真っ直ぐに育ってきたのは誰が見てもわかり、鷹揚で、賢い影山が情緒を崩すほど泣き叫んだ。
その二つを取っただけでも、けやき坂のメンバーの精神がどれだけギリギリの状態に追い詰められていたのかは判断できる。
そういう状態で一人の離脱者も出さなかったのは、もちろんキャプテンとしての久美の頑張りもあっただろが、一番の貢献は柿崎芽実の存在だったと個人的には思っている。 前フリはいいのに結論に至る理由が全くなくて読後に困惑。
柿崎の重要性について具体的なエピソード入れないと。 ツルゲーネフ『初恋』の中の最後の場面で、ほろ苦い自分の人生を顧みて、主人公のウラジミールは青春論を語る。
青春に対して、「お前」と擬人化して呼びかけるのは、読んでいるほうが恥ずかしくもなるが、うんうんと頷かされもする。
青春の魅力の秘密は何でもできることではなく、何でもできると考えることができる傲慢さにある。
無駄なことに時間を浪費せず、脇道にそれず、その目的にだけ精進していれば、何だってできたはずだ!と言い放つ権利があることにある。
そういうふうに語られる。
柿崎芽実のスペックは間違いなく高く、相応に高いことを実現できる権利を有していたが、本人はそれよりずっと上のものを目指していたように見えた。
長距離の記録がそれほど良くなかったにもかかわらず、箱根の山越えでは一番の難所をおそらく自ら希望した。
しかも、バスケでインターハイに出場した美穂を並走者とするのなら、誰でも鼻白むと思うんだけどな。
まあ、それは枝葉末節なことで、柿崎の気持ちの強さの一端が現れているにすぎないが、アイドルの世界でトップに立てるという夢も信じて疑っていなかったと思う。 「津波てんでんこ」という東北の言い伝えがある。
津波が来たとき、他人を助けるよりも自分だけが助かることをまずは考えろというものである。
東日本大震災のとき、その教えを守り、上級生たちが必死に逃げるのを見た下級生たちがつられ、奇跡的に多くの児童が助かった小学校があると聞く。
間違いなく柿崎はエゴが強い。
けやき坂全体のことを考えていたのではなく、自分の夢だけを追っていた。
しかし、その夢が伝播され、共有され、ギリギリの状態のメンバーの精神をサルベージしていたのだと考えている。
一人の離脱者も出さなかったのが柿崎の存在と書いたのはそういうように考えているからだ。
人と同じように、グループにも青春期があるとすれば、柿崎の卒業とともに、けやき坂=日向坂の青春期は終わった気がする。 ちょっと最後はまずかったな。
青春期の終わりというのは日向坂の終焉ということではない。
むしろ、これからも日向坂はどんどん昇っていくと思う。
小坂には帰ってきてほしいが、小坂がいてもいなくてもそれは変わらないとも思う。
東京ドーム公演は間違いなく成功する。
その後、全国ドームツアーを行っても驚くに当たらない。
CDの売り上げが乃木坂を超えたとしても不思議ではない。
当人たちにとっても想定の範囲内だろう。
だが、それこそが青春期の終わりを告げている。
けやき坂の頃とは違い、かーっとはならず、喜びとともにあるにせよ、冷静沈着にそのことを受け止めるだけとなっているからだ。
自己等身大の夢しかもはや見ることができなくなったというのが、青春期の終わりを物語っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています