ちゃんばばこと田原実を相手にするのは時間の無駄

通常の議論は事実(客観)を提示した上で、
双方の主張(主観)の妥当性を吟味するものであるが、
田原実はすべてを主観の争いにすり替え、
さらに田原実の主観は本人にとっては常に完全に正しいものとなるため、
主観VS主観に持ち込まれて田原実が一方的に勝利宣言するだけの不毛なものとなり、
田原実を相手にするのは貴重な時間の無駄になる。

「田原実は痴呆っぽいけど、言えばまあわかるんだろう」という期待を持つな。
言ってもわからない本当の痴呆なんだ。
近所に痴呆老人がいたとしてあなたは議論をしようと思うか?
やらないだろ、時間の無駄だ。

言い換えれば田原実はゴミ屋敷の主のようなものである。
そのような人物に「ゴミを少し片付けようよ」と諭しても無駄である。
田原が集めるゴミはネットで検索して出てきただけのコピペ情報の山である。