あれは東京オリンピックの年だったと思う。
XPコインは廃止になり、父はICOを計画するもその後同業者のセミナーに入り浸るようになり一銭も無くなってしまった。

母は一番下の子が生まれると同時に出てしまっていた、一時家に住んでいた弟子の子だったらしい。
祖父母の葬式は叔母が取り行い、呼ばれる事はなかった。ほとんど毛髪のなくなった父は喋ることが無くなり、電源の入らないMacBookをいつも傍に抱えていた。

私達家族は駅前のロータリーに座って日を過ごしていた。八百屋さんが捨てたゴザを敷き、同級生が持ってきてくれる小学校の給食を食べた。ほんの少し残して、のらの仔猫に餌をあげるのが唯一の楽しみだった。片目が潰れているハチワレ、妹はその子をウインクと呼んでいた。

夕暮れ前、地元の高校生達が通り過ぎしな、父の大五郎の空きボトルに100円玉を投げ入れてくれた。
「これがビジネスですよ、座って何もせずお金が増えていくんですから!!」
「フフフフフフ社畜共、妬んでる妬んでる妬んでますねぇ。美味しい土佐牛(半額厚揚げ)食べましょうねぇ」