【年10回刊】漫画誌ハルタ-volume37
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2~6月と8~12月の毎月15日ごろKADOKAWAより発売(電子版も各社より)。
新雑誌「青騎士」一部の作家が移籍します。ハルタと前身のFellows!に掲載された作品の「昔話」はOKですが、
青騎士に掲載されるものは継続中の連載を含め、このスレで扱う話題には含まれません。
公式サイト
https://www.harts.Jp/
公式Twitter
https://twitter.com/hartamanga
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【年10回刊】漫画誌ハルタ-volume37
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1680574399/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>194
>鬼滅が社会現象になるくらい売れた時期に掲載紙のジャンプは
>部数落としたって話もあるしコミック派との溝は深そう
時間差があるのかも、掲載時期と社会現現象化するまでに
テルマエなんかも時間差があったし、そもそもビームの読者と
テルマエのファンは同一ではなかったからな
オンリーワンとワンノブゼムの違いというか、ビーム読者には
テルマエは多くの中の一つだったけど、テルマエ読者は指定買い
だから本誌は買わず単行本を買う テルマエ時代のビームと今の月刊ダンジョン飯の状況はまったく同じだね
連載終わった時点で次の当選くじを見つけられてなければ
パックスダンジョン飯の護送集団はその時点で事実上全滅するだろう
定期購読推進と実質増刊の青騎士とハルタオルタはその事前対策なんだろうが
異常乱発したどれも概視感のある似たような内容の単行本が宝くじ当選できなければ
先に新規在庫を抱えた書店が廃業してしまうというか既にその方針のせいで連鎖廃業している
もっともウェブ無料公開はヒット作が漫画村のような
違法配信から氷河期世代に広まって一般に認知されたことに倣ったものだが
書店でさえ廃業の原因になっているものが個人で無尽蔵に買えるわけがない 書店の廃業が増えてるのは基本システムが昔から変わらず利益率が極端に低いせいでしょ
独自系書店は逆に増えてると聞くし、個人的にダンジョン飯大好きだけどそれだけのために読んでるわけじゃないしさ
ハルタオルタは黒川さんが感情移入させるのが上手いから見入ってしまうが、一歩引いた視点で見せる大武さんも好き 正直、ダンジョン飯は雑誌で読んでないからなんとも
キラキラとギラギラはこれ
丑の刻参りしてる人は仮面をつけてんだよな? いやーとある大手書店の創業者が言ってた実話が元なんよ
利益率を上げる代わりに返本が効かない契約だから書店が買い取ってる
出版社は儲かるが、毎年数万人出る量産型作家のマンガと広告雑誌で書店が廃業に追い込まれてる
一旦閉店して今後はAIを使って売れる本だけしか受けないことで
本屋を廃業に追い込んでる電子化や定期購読化の出版社に対抗する
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000055549.html
んだからゲームと殺し屋と妖怪しかない、絵が描きたいだけの自称作家では先が無い
それでも道に落ちてる宝くじ=漫画しか描けない先生を無制限に拾いまくって当てなきゃならない
そんな状況なわけだ 前半は書店の話だが、後半になると出版側の話になるのが意味不明。
拾ってきた適当な情報をツギハギしてキメラ化してるぞ。 というか1,2年前に鬼滅だけでコミックの売上を半分占めた事実があるのだからこの指摘は的外れだし、そもそも返品のきかない売れないものを取り扱うなよ。
小売の問題だろ。 鬼滅を引き合いに出すことで自分を正当化してるの凄すぎる ちょっと何言ってるかわかんないですね
10年ちょっと前に漫画家は6,000人って言われててWeb雑誌やアプリ連載など増えたにしても毎年数万人増えるは無いと思うしリンク先の内容と説明の解離がエグい 悪魔二世は本当にまんま悪魔の二世なのか
今のところけっこう良い感じだが
毎号連載でないんのがしんどいな
薄味だから前回の内容を忘れそう 二世は1話の包丁刺さるとこと同級生の男の子がよい。
だが人気が出ることはなかろう。
絵柄が80年代だからだ。 えー悪魔と天使のバトルだからではなくて?
絵柄はドヘタどころか文章だけでも内容が良ければヒットするよ
いまどきの漫画って、どうせ女子高生が主人公の妖怪と殺し屋とバンド結成の3種類でしょ
そろそろ脱却してほしいけど普通のオリジナル漫画(パクリ無し)はもう無理なんだろうか 悪魔二世は天使出てきたっけ?
ジャンプラに神様の二世の女の子が戦うマンガあってそれも普通の男子が良いキャラなんだけど自分にはちょっと熱血ラブコメ過ぎた
悪魔二世は淡々と進むのとキャラが良いんだけど上でも言われてるように毎号掲載じゃないのが勿体無い そういう寝言は月に出てる漫画雑誌数百冊以上と、月に出てる単行本数千冊以上を買って読んで
月に数千本以上更新されてるウェブ掲載の漫画(プロのもののみ)を読んだ漫画読みの大先生になってから言え この夜中に書き込みタイミングが被るの草
>>216は>>214宛て メジャー誌ですら「どれだけ作者が違ってもワンパターンの暴力的なバトルマンガ1作だけしかない」と
断筆漫画家に言われて方針変えたんだから、
そろそろ異世界転生と妖怪(吸血鬼・死神・3つの願いをかなえる、そんなんばっか)と
ゲームプレイの置き換えあたりはやめてほしいところ
>>215
悪魔の2文字が出る時点で妖怪探偵系かな?と思っただけ。
テンプレ通りなら天使のほかに寿命と引き換えとか普通の人には見えていないとか
吸血鬼とアドバイスをくれる黒猫と、やられ役の蜘蛛女がそのうち出てくるはずだよ >>218
いくらなんでも読んだ上で批評してると思ってたがドヤりたいだけの漫画読み様か。
かつてのアフタスレといいサブカル系は現実世界では遭遇しないタイプが寄ってくるね 読んでない時点で何者でもない現代社会が生んだ化け物 青野君みたいにガチホラーに移行してハルタの看板になる可能性もゼロではない >>212
ああ、分かるぞ
実際に俺は悪魔二世の1話を読んでたのを忘れてた
2話を読んで良いなこれ新連載かな?って思ったら
2話だった上にしっかり1話も読んでたわ
さらに1話を読んだ時にも良いなこれって思ってた 読んでたはずでも記憶に残らない
悪魔だからね
幽霊と妖怪も当然出る
死んでも意識があって触ったら人格が入れ替わっちゃう
壁抜けと幽霊メシだな 女子高生のバンド結成はハルタにあった?
テルマエの女子高生はあったけどさ 悪魔二世の薄さ(?)みたいなのは長所でもあると思うけどなぁ
ああいうジャンルだとどうしても1、2話はインパクト重視で過剰な感じになりやすいけど上手くコントロールされてて読みやすいし終わりかたも良い
トイレで悪魔うぃ呼んで、黒ベタのコマから両親と手を繋いでる小さい頃描いた絵が飾ってあるような部屋になって緊張感無くなるのも好き 幼稚園児が画用紙に太陽を描くのと同じだそうですね
>>225
ホントにあるのね
オンラインゲームみたいな漫画はありますか? >>226
いや俺も面白いし
良いと思ってるよ
ただそれとは別にこれで年5回の連載だとしんどいとも思うってだけで 殺し屋の推しも安定して面白いな
今のところベタな展開しかしてないかもしれないが
ヒロインのうざかわいさも良い >>220
ここ自演1人以外で読んでる人あんま居なさそうだが
俺も別件でこのスレ知った
横浜ブルーライン沿いでハルタ探したけど無かった
青騎士が大量に平積み、漫画アクションはあった Fellows時代の人だけど
鈴木健也は活動再開したんだな驚いたわ
また描いてくれねーかな >>231
知らんかったから探して来たぜ。
うん、これは現行の法律が悪いな。 犬火の兄弟はハッピーエンドにはならないんだろうな
1話からそこそこ楽しく読めてる反面、
悲劇のための不幸な設定であんまり好きではない ハルタオルタはもう少し数増やせ。
どれも更新遅いから存在すら忘れるわ。 単行本を本屋に返本不可で売りつけるのが目的なら、知られてなくても良いんだよ
最初からそういう収益モデルだろう
既視感あるパクリばっかで驚いたけど、一応オリジナル扱いなんだね もし無料で公開してるのを単行本にするなら
意図的に書店潰しにかかってるな 今回の珍獣のお医者さんは読みごたえあったな
メタリカって鮮やかなブルーで格好いいのよ
タランチュラでも輸液出来るんだな あれな。
良かったよな。
女医が良かった。
あれがマッチョなおっさんだったらまた印象が変わってたろう こういうヤバい奴はアフタスレとかでまとめて引き取ってくれんかのう >>243
やめてくれよアフタ関係ないじゃん!
ハルタも関係ないけどさ…
ハルタオルタは楽園ウェブ増刊みたいにショートの作品も欲しかった
黒川さんの読みごたえあるけど普通にハルタで良かったんじゃ?ってなる 平日なのに昨日演奏会だったらしい
しまったことした
合同サイン会が7月5日、これも水曜日orz 配信はえぇと思ったら15分休憩すらカットされてない ハルタオルタはせめて週一で何か更新されるようにした方が良いと思う なんで?締め切りと物理媒体が無いのがメリットのはずだが?
本誌でさえ隔月とか不定期も可なのに週一?
>>246
今見た
案内放送と雑音は臨場感があって良いよ
ゲームミュージック内定は凄い
VRや分割画面にもしてほしい キラキラとギラギラの出オチ感よ
もう少し続いてくれえ…… 魔女のエデンはそこそこ面白いが
よく言えば丁寧にしっかり作ってるが
悪くいうと想像を超えて来ない
想像を超えれば良いってもんではないが シーモアの30%引きクーポン対象になっていたので久々に本誌3冊購入
作品数多杉てなかなか読み進められない…w
単行本でも買ってる煙と蜜やキラキラとギラギラは読んだ
あと上のほうで名前あがってる作品だと犬火の兄弟がなんかゾワゾワする感じで気になります 青騎士、雑誌に特典つけるのはいいけど店舗リストいい加減出せと
たのみのつなのコミックZINも今回つくのかよくわからんし…
通販サイトだと特典なしと強調された青騎士が9999円で売ってるから20日以降に特典つけて価格戻すのかもしれんが
ハルタにはこういうろくに公式で告知もできない特典つけたりとかはもうやらないですくすくとまっすぐ育ってほしい 最近は買って無いからわかんし情報が古いけどnoteの「青騎士・応援書店のご案内 」の店では駄目なのかな?
気にした事無かったがいつも買ってる地元のハルタ応援、協賛店でも青騎士はやってなかったわ ハルタオルタの梅花の思い人はフルカラー連載なのを
存分に活かしてるが
これは単行本どうするんだろう?
電子限定にして値段を下げるとかかな? 青騎士の話、ここでしてもいいの?
なら、したいけど。 青騎士で何が面白いのかだけ教えてくれ
丸ごと買おうとは思わんし 青騎士の今月号は買ったわ、付録についてる森薫のバニー漫画読みたかったから 森薫は休養中と聞いたけどまだ書いてんの?
それともお蔵出し? 青騎士は単行本の単価が高いから雑誌が安く思えるような気がする。 同一人物による連投なのがバレバレだわ
もうちょっと文体を変えたほうがいい。 今月の生き残った6人によるとの
主人公に語りかけて来たセーラー服って誰だっけ? >>262
そんなの付いていたのか。
自分も買おうかな。 >>269
それかありがとう
単行本を読み直してみます >>261
楽しみにしてた話は2巻で打ち切られました。単行本派故知りませんでした。orz イキノコ6は実写ドラマは見てないが面白いからアニメ化して欲しい もうやってるどころか一年近く前の話よ
おおむね原作に忠実にやってるがつまらないっていう
深夜ドラマにありがちな感じだった どうだろう?
原作通りにけっこうしっかり作って来るとは思ってなかった人が多いんじゃない?
つまらないまでは想定してただろうけど 特に話題にもならんかったな。
原作の売上には貢献したのか? おせんとかいいひとみたいに原作者ぶちギレ金剛になるよりはマシすらある あかねさすの最終巻が出たのか
次もハルタで描いてくれんかな あかねさす読んでると、ホットチョコレートに浸す本場スタイルのチュロス食べたくなる
ハクミコでもこれ食べてるシーンあって好き 海外に行くこと自体がハードル高くなったな。
円安、サーチャージ、チケット値上がり、アジアンへの差別の傾向 あかねさす柘榴の都、終わっちゃったなあ
キャラも好きだし絵柄や話も大好きだったわ
単行本に後書きだけじゃなく連載予告イラスト何かも収録されてるのが嬉しかった 「日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである」
「日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、
女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である」
(イザベラ・バード(高梨健吉訳)『日本奥地紀行』) 帝都影物語全巻買ったけど、
晴鷽さんと荊さんが社交をダンスする回かな?
番外的な短編が1話収録されてない気がする。 「神聖なる未開人」という見方の問題
イザベラ・バードというイギリスの女性紀行作家がいる。
バードは明治十一年に日本を訪れ、『日本奥地紀行(Unbeaten Tracks in Japan)』を執筆した。
東京から日光、新潟、北海道を旅し、その中でアイヌと出会っている。
バードは、文明開化を進めている日本人よりも、未開のアイヌ人を好意的に描いた。
バードの記録の民俗学・歴史学的な価値は当然高い。
しかし、その上で、バードの見方の中に「神聖な未開人」という意識があることも指摘されている。
未開の「土人」に対して、「先進的な文明に毒されていない、純粋無垢な人たち」という
見方をする――それは自らを「進んだ文明人」と認識した上で、その反動で
「進んでいるがけがれた文明人」と「遅れている、劣っているが純粋無垢な未開人」
という対比を行なっているのである。
そのゆがんだ見方は、現代にも受け継がれている。
いや、近年強まっているといえる。
たとえばちょっと検索するだけで
「アイヌ民族は……自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました」
「文字も持たずに大自然の中で生きてきたアイヌ」
といった文言が出てくるが、それは
「未開なるがゆえに純粋・神聖である」
という見方と密接に絡んでいる。
いわば「ロハスなアイヌ人」である。
ここに潜む「神聖なる未開人」という見方に、文明人と自称する側の蔑視や
おごりが存在しないかどうかは慎重に反省せねばならないところである。 自然との共存共生が悪いわけではない。
しかし、「反科学技術」としての「未開性」を不用意に持ち上げるならば、
たとえばアイヌ民族がアットゥシの代わりに洋服を着ることを快く思えなかったり、
アイヌ出身者はたとえばIT企業ではなくシャケを採る祭りばかりに従事しているのが
いいと思ったりするような、誤った「未開の押しつけ」になりかねない。
アイヌ文化やアイヌの伝統を尊重することと、アイヌを未開に留めることは
まったく別のはずであるが、往々にしてセットにされてしまうのだ。
エキゾチックだとかロハスだとかいう言葉は、
「文明に毒されたわれわれ文明人の失った美しいものを残している人たち」
に向けられた羨望のまなざしであるが、その背後には
「自分は文明の恩恵に浴している」という自覚と、
「文明×未開」という対比が潜んでいることを自覚せねばならない。
「マルモリはアイヌ語」というデマに潜む野蛮視・未開視というわたしたちの
「無意識の視線」に気づくことが何より重要なことである。 アイヌ白人説に触発されて、日本にやってきた人々のなかに
イギリスの有名な紀行文作家イザベラ・バードがおりました。
彼女は今の評価ではフェミニズムのさきがけと言われるほど
当時のイギリス人女性としては果敢にひとりで未開地を旅し、
紀行文を書く作家として注目されていました。彼女はアイヌをこう表現します。
・私はその顔形といい、表情といい、これほど美しい顔をみたことがないように思う。
高貴で悲しげな、うっとりと夢見るような、柔和で知的な顔つきをしている。
未開人の顔つきというよりも、むしろサー・ノエル・パトン(英国の歴史画家)の描くキリスト像の顔に似ている。
これはまさに「高貴なる野蛮人」のイメージです。
しかし高貴なる野蛮人という想像上の人間にたまたまアイヌが
あてはまったのに過ぎませんから、次第に屈折した観察が見られるようになります。
・アイヌ人は邪気のない民族である。進歩の天性はなく、あの多くの被征服民
族が消えて行ったと同じ運命の墓場に沈もうとしている。
バードの目にもアイヌは「滅びゆく民族」として映っていました。
アイヌはまず白人種であって、まさに高貴なる野蛮人である。
しかも黄色人種によって圧迫され、滅びようとしている。という点です。
文明に毒されていない純粋な種族が「消えて」行くのは、
彼女のセンチメンタリズムを満たしてくれる美しい悲劇であったのです。 ところが、その感傷を裏切られる現実に触れると、バードは急に態度を変えます。
・文明に接触するような所では、ただ彼らを堕落させるだけである。
数人の若いアイヌ人が東京に送られて各方面の教育を受けたが、
北海道に帰って来るとすぐまた未開の生活状態に沈殿してしまった。
そしてただ日本語の知識だけが残っている。彼らは多くの点で魅力的である。
しかしまた彼らの愚鈍さ、無関心、希望を持たないことが人を悲しませる。
彼らの人数がふたたび増加しつつあるように見えるので、なおさら悲しませるのである。
かれらの体格はとても立派だから、現在のところこの民族が死滅するとは思われない。
当時のヨーロッパは産業革命やプロレタリア革命などで、
自分たちの価値やアイデンティティが大きく揺らいでいたはずです。
自分たちが理想とする人間を『高貴なる野蛮人』であるアイヌに重ねるのです。
『滅び行く民族』であることに同情をよせ、理解者となってみせるのは、
社会のなかでの揺らぐ自己を再び取り戻していく代償行為です。
ですからそのような感傷的気分に水をさされるような現実を目にすると裏切られた気分になるのです。
“人数がふたたび増加しつつあるようにみえるので、なおさら悲しませる”とはひどすぎはしませんか。
とにかく、こうして、イザベラバードのようにアイヌに触れることができる欧米人はごくわずかです。
欧米社会は少しでも『高貴なる野蛮人』であるアイヌに触れたくてたくさんのアイヌ民具を収集したのです。
私は博物館での一年間に及ぶ撮影を終えてこう問いかけました。
欧米人はアイヌと出会ったかもしれない。が、それがいま経験として何が残っているのかと。
実際、どの博物館の学芸員もそのコレクションの意味をしっかり理解して
いまだに大切にしているという事実はありません。どうしてでしょうか。
もう当時のコレクションにかけた情熱はすっかり消えていたからです。
今はアイヌ白人説が人類学的に否定されていおり、もうアイヌはお払い箱なのです。
百年前のアイヌ・ブームのもっていたまなざしはヨーロッパ人にとって自己愛を満たす自閉的なものではなかったでしょうか。 物語の誘惑
こうしてみていくと、アイヌと出会う以前にすでに期待しているアイヌ像がある。
これは“出会い”ではありません。最初に願望ありきなのです。
ですからその願望が裏切られてしまったりしては自尊心が傷つくのです。
また願望そのものがなくなってしまうとアイヌへの情熱はなくなるのです。
これはアイヌに限らずあらゆるマイノリティ、それが“らい病”患者であったり、
“在日”の人々であったり、障害者であったり、はじめに彼らに対して
何らかの願望がある場合はのちのち関係にゆがみがでてくるときがあります。
たとえば“らい病”患者を救おうとする『救らい運動』がありました。
その運動の一部が実は患者に対して非常に抑圧的になっていった、という不幸な事実があります。
そのスローガンに『ライはキリストなり』というものもありました。
自分が関わろうとする他者を“聖人”という尊いものにして、自分のなかに取り込もうとする。
それで自尊心は大いに高められるでしょうが、その願望はそれが決して非難されたり、
否定されることにない“弱者”が選ばれるのです。
選ばれた人々は常にその人の前でひざまずく『弱者』でいなければなりません。
すでに強者、弱者という関係がなりたったうえで、
高みに立ったところからその“弱者”に価値を与え、評価し、理解者となる。
これは一見すると他者への愛の形をとっています。
しかしその本質はとても傷つきやすい自己愛だと思うのです。 日本人が無視するイザベラ・バードの日本評
人々はもっぱら、味噌汁と漬物をおかずにしていたが、西欧人にとっては、味噌汁という
泥を溶いたようなスープはおぞましい味のものであり、漬物は腐った異臭を放つものでしかない。
日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。
日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである。
日本人は洋服を着るとえらく小柄に見えます。どの洋服も不似合いで、
貧弱な体型と国民全体の欠陥であるへこんだ胸とO脚が誇張されます。
日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、
尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、
ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした
歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。
おいしい御馳走であることを示すために、音を立てて飲んだり、
ごくごくと喉を鳴らしたり、息を吸いこんだりすることは、正しいやり方となっている。
作法ではそのようなことをするようにきびしく規定してあるが、
これは、ヨーロッパ人にとって、まことに気の滅入ることである。
私は、もう少しで笑い出すところであった。
女が裸の赤ん坊を抱いたり背負ったりして、外国人をぽかんと眺めながら立っていると、
私はとても「文明化した」日本にいるとは思えない。 日本人は子どもに対して全く強い愛情をもっているが、ヨーロッパの子どもが
彼らとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。
彼らは風儀を乱し、嘘をつくことを教えるからだ。
しかし、私が日本人と話をかわしたり、いろいろ多くのものを見た結果として、彼らの基本道徳の
水準は非常に低いものであり、生活は誠実でもなければ清純でもない、と判断せざるをえない。
ここはたいそう貧しいところで、みじめな家屋があり、子どもたちはとても汚く、ひどい皮膚病にかかっていた。
幼い子どもたちは、首から紐でお守り袋をかけたままの裸姿である。
彼らの身体や着物、家屋には害虫がたかっている。独立勤勉の人たちに対して
汚くてむさくるしいという言葉を用いてよいものならば、彼らはまさにそれである。
朝鮮人はわたしの目には新奇に映った。清国人にも日本人にも似てはおらず、
そのどちらよりもずっとみばがよくて、体格は日本人よりはるかにりっぱである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています