>>475
どうなんだろうね……得宗と言えども御家人筆頭であって主君ではないしなぁ

足利本宗家当主で、最後に得宗家から嫁(北条時氏の娘)をもらったのは足利泰氏
この時、先に嫁になってた名越北条朝時の娘を側室に押しのけ、
その煽りを食って、斯波氏の祖・足利家氏が廃嫡されたとかなんとか

まあ何より、時氏の子である経時・時頼兄弟と、時頼の子である時宗と
2世代続けて娘に恵まれてないのは影響が大きかったと思う

その次の貞時はけっこう娘に恵まれてるが、足利高義が早世しなかったら
貞時の娘=高時の姉妹が嫁になった可能性が……あるのかないのかが問題なんだろうな
高義の異母弟・高氏は赤橋北条久時の娘を嫁にしてるが、
果たしてその時点で嗣子と認められてたかどうか(元服の時、三郎ではなく又太郎を名乗ってる)

もちろん、
足利頼氏の嫁は佐介北条時盛の娘、家時の嫁は常盤北条時茂の娘、貞氏の嫁は金沢北条顕時の娘と来て、
それが先例になってしまった可能性も無いとは言えない気はするが(得宗家としては不可抗力で悪意はない)、
高氏にしてからが官位とかで他の御家人とは比べ物にならない優遇を受けてて、
足利の家格は鎌倉末期でも北条から非常に尊重されてたのは疑い無いところ