星野「映画や小説が自由だという発言がさきほど有りましたけど、
手塚さんが映画的な手法をマンガに取り入れて、それこそロボット三等兵もそうですが、
明確に映像文化として確立していった。それを見て育ってますから、
映画をマンガで表現するんだという意識があるんですよ。小説当然読んで。
映画も脚本があって成り立っているんですが、それをマンガに取り込んでいる。
それが自分の認識なんです。だけどもしかしたらニュー・ウェーブとかその後の世代は
そうじゃないのかもしれない。それこそ映画そのものに並び立っちゃうような、
あるいはアニメがマンガに置き換わっていくような。
いまのマンガをみてると「これはアニメの手法をマンガにしてるんだ」という感じが
すごくするんですけど。映画をマンガにしてるという感覚はあまりないですね。
そういう意味で最後の世代」
夏目「文字の持っているチカラというものが、すごく強かったということですかね」
星野「そうですね。僕らも、それこそ中学校のころ『2001年宇宙の旅」とか
観ましたけれども、日本のSF作家たちも、小松左京だとか星新一だとか筒井康隆だとか
そういう人たちの小説も読んでたので、そういう小説の活字文化で育ったというものが
あるんですよね」
夏目「SF社会では文字がビジュアルに変わっていって、文字の強さが変わっていったと
いうことですかね。いまのお話ですけど、非常に興味深いですけど、
諸星さんはどうですか?」
諸星「ん〜〜めんどくさいテーマになってきた〜。SFとはという質問ですかね」
夏目「たぶん70年代後半からSFが文字から映像主体に変わっていったのかな、という」
諸星「ん〜〜。居眠りしてたら先生に指された感じになってますね〜(笑)」