竹崎の蒙古襲来絵詞は「俺すげえ」って内容では
ないんだが。

内容を読めば、文永の役で「敵の首の分捕りは出来なかった」と正直に書いている。

それにあの有名な場面は鳥飼というところの戦いの場面だが、蒙古襲来絵詞以外に鳥飼での戦いに参戦した福田兼重という武士の文書でも鳥飼でモンゴル軍が破れて、百道へ逃げていったことの記載がある。

蒙古襲来絵詞が事実を淡々と書いていたことが他の文書からもわかる。