【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part8
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>>712
白兵戦突撃を行わなければ、臆病者扱いされるから。
臆病者扱いされるとその騎士は、親族や貴族仲間から孤立したり、出世できなくなってしまう
そのような風潮が強すぎたが故にヨーロッパの騎士は突撃バカが多かったし、
信頼性がある厳格な指揮官でもない限り、複雑な作戦行動も取れなかったという >>711
実は織田信長も剣術を学んでいる。というのも戦場で生き残るためでなく、
日常的に起こる殺し合いを切り抜けるための護身として必要だったから
鎌倉時代や室町・戦国時代の人々は血の気が多い人間が多かったので、些細なきっかけで殴り合いや切り合いのケンカになるケースが多かったらしい
中には逆ギレして上司にすら切りかかるやべー奴もいたとかなんとか >>725
ぐぐったら本当に池の水全部抜くで吹いたw
時代を先取りしてるな >>700
遊牧騎馬民族ほどではないけど、日本の武士も起源は東北の蝦夷で農耕民族ほどヤワじゃない。
彼らは狩猟、採集、多少の農耕を行って生活していた。
幕末の武士の写真とか見ると彫りが深くて目がぱっちりしている。
長州藩(笑)は弥生顔だけどw 南部馬の歴史6
https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%96/
>この世に足跡を残す最後の南部馬が『盛号』です。
>盛号は明治5年に三本木(現十和田市)で生まれた青毛の牡馬で、体高5尺(151cm)という格段に大きな馬でした。
>そのレースでは日本の馬だけではなく、外国の馬も何頭か出走しました。
>そのレースで盛号は、並み居る強豪馬(サラブレッドも含む)を寄せつけず、2位以下を大きく引き離して優勝。
>翌年の第2回開催時にも優勝して連覇を成し遂げました。 ID:22s5RgDO0
長州コンプレックスはいい加減卒業しな、東北の負け犬君。
そもそも東北の蛆虫共は元寇と関係ないんでオナニー見せびらかすのは止めてね。気持ち悪いから。 最後の笑顔で生首掲げた武士の集合写真
中東の戦場でも同じ事してネットに流すのを見てると、
人間は変わんないもんなんだね >>732
いや、狩猟民は牧畜民や農耕民よりヤワなんですわ
食料供給が安定しない上に、量も少ない。
だから多人数を養えない、最低限のことしかできず、大々的な生活向上の研究だとか、専業兵士の育成というのが出来ないから、戦争に弱いし国家も成形できない。
歴史上、巨大な国家を築けた国家は皆、農耕民か牧畜民のどちらかで
狩猟民と言われてるのはほぼ牧畜民で
狩猟民とは全く違う民族だ。
例えば騎馬民族とよばれる人々は、牧畜がメインで狩猟はオマケ >>737
敵兵に対するのと、民間人拉致してするのは全く違うわい 武士が生首刈るのは物理的な合理
あっちの宗教とは違う 完全狩猟民っていつまでいたんだろう
元寇の頃にもまだどっかにしたのかな 完全狩猟って・・・
狩猟民は基本兼業でしょ
普段は採集を主にして、チャンスがあれば狩猟
焼き畑も相当に歴史古いみたいだし、これも狩猟採集民の範疇に入るのでない? 北極圏やシベリアにはいるかも知れんけど
政府からなんやかんやもらって裕福だから それを完全狩猟だけで生活しているとは表現しないだろう 稀少な野性動物と同じようにノーコンタクトに近い保護政策を受けている原始的な部族がいるにはいる
野獣と変わらない
ようは狩猟民スタイルなんてのはただ原始的なだけ
それが強いというわけではない
軍事と狩猟を兼ねる場合があるのも狩猟が役にたつというより主にコストの問題
コストが許すなら軍事専用の訓練を充足させるほうが強い
そして軍事コストは狩猟スタイルのままでは産み出せない >>749
>ようは狩猟民スタイルなんてのはただ原始的なだけ
そうなんだよね
完全な狩猟採集生活なんて、
過剰に獲得しても保存が困難だから、
必要分をみんなに分け与えるだけ
>ブッシュマンのサンの場合、
>優秀なハンターは大量に捕獲した後は
>狩りにでないようにし供給そのものを減らし、
>分配される側にまわる。
農耕・牧畜が始まったから貧富の概念も生まれ、
身分の差や所有物の奪い合いも起きるようになった 狩猟狩猟言うから、モンハンみたいな世界になったらどうなるんだろうとか考えてしまった
真っ先に飢え死にか、ジャギィあたりに食われて終わりそう >>744
狩猟もまた進化し、動物の群の制御を覚えた狩猟→遊牧、の進化と思われる例「も」あるし
狩猟民同士でも戦争はする
女真族のように、「狩猟民が、鍛えた武力で略奪・拉致→奴隷に農作業させる」
つまり狩猟民が農耕民を支配するパターンに
アイヌのように、「交易に依存する、職業的狩猟採集」パターンもあり
オロンコ岩では、アイヌが敵対する先住オロッコ族を虐殺した伝承がある
https://shiretoko-style.com/ho0516/
また、アイヌ同士でも奴隷制はあったし
江戸時代に北方へ漂流した日本人が、現地人(千島アイヌなど)に捕まり奴隷にされてた例もある
ていうか、この作品のスレで過去に出たように
アイヌ(加害者)がモンゴル支配下の民族(被害者)を渡海侵略したのは
ニヴフの鷹匠拉致などで、アイヌが鷹羽流通を支配しようとしたからだ
その結果、モンゴル怒らせて負けたアイヌは中国王朝に朝貢するようになった 迅ちゃんは嵐にあって海ぽちゃして死んでしまう未来が見える そういやアイツ何だったんだ
博多にまで出てきたらおかしいしw 結局
対馬編ではガチで戦った地域&メンバーはほぼ全滅なので
「神話」的に何でもぶちこめるが
撃退した博多編は「歴史」として事実に縛られる
ってことかね すいません全巻購入しようと思ってるんですが
今史実で言えばどの辺ですか?文永の役あたり? >>736
東北産の馬が西日本に送られているのだから関係あるだろ。
元寇の戦場にも体高140〜150cmの東北産の馬が居ただろうし。
もし菊池兄弟の乗っていた馬が東北産なら、
日本の馬はあんなデカくなかったという批判に対し、あの描写で正しいと言えるだろうし。
当時の武士の間で東北産の馬はどの程度普及していたのだろうか。
もしかしてモンゴル軍の馬より武士の馬の方が大きかったかもしれない。 >>755
>>女真族のように、「狩猟民が、鍛えた武力で略奪・拉致→奴隷に農作業させる」
これ、まんま日本の平安時代末期から江戸時代末期の武家政権だよな。
狩猟採集生活を行う蝦夷を起源とした武士が、農耕民を支配すると。
日本の場合、武力と食料生産を両立していたと言えるんじゃないか。 >>766
源平合戦の義経が奥州から合流して活躍したのはそうかもな
なるほどね >>768
というか北方貿易で当時奥州には女真はもとよりモンゴル人さえ来てたって話がある
義経は彼らから兵法を学んだとかね
あと競走馬と軍用馬は求められる能力違うからね
そりゃ見栄えはしないが、小柄で粗食に耐え燃費がよくスタミナもある最適種
東北の馬がデカかったのなら、それは戦場では採用されない まあねー日本刀の形は各地で様々に影響うけて違うし
佐賀県の素環頭鉄刀なんか、1〜2世紀ですでに片刃で反りがある
武士団や刀剣の経緯も、九州ほか西国だと近い大陸や海賊活動の影響も大きくて
いや・・・東国からの派遣部隊の影響も勿論あるけど・・・
瀬戸・九州の水軍などが有名なように、西国は海戦が得意、騎馬戦は苦手、とされる
さらに東西で源平・承久など対立した西国武士は、幕府から要注意の監視対象
神風信仰に際しても、西大寺など寺社勢力が幕府に影響力もった以外に
幕府軍の出る幕なくほぼ西国武士だけで圧勝したから
要注意勢力である西国勢の軍功を称えたくなかった、という話も出てて・・・ そういや、前にどっかで韓国人が薙刀を馬鹿にしてるのを見たな
物資が少ない中で苦し紛れに作ったとかなんとか
薙刀と太刀や大刀は造りが全然違うんだが、
まさか矛が作れないから刀を無理矢理長柄にくっつけたとか、
青龍偃月刀の真似をしたかったが鉄が採れないから細身にしてごまかした、
とか妄想したわけじゃない……ないよね? チョンは日本の文化の全てを嫉妬してんだよ
チョンの歴史は文化も何も無いから >>767
武士の起源は蝦夷っていうのは今じゃ俗説の類いやぞ >>773 そんな俗説がいつ生まれていつ死んだのかも知らなかったので
>>767は朝鮮人の口を開けばねつ造かと思ったよ >>774
貴重なご新規さんなんだから止めてやれよw >>736
さらに言えば、
九州に領地を持つ武士がイコール九州に住んでいたかというとそうでもなく、
九州に領地を持つが東国に住む武士が多かった。
その場合、一族郎党の誰かを代官として現地に派遣した。
元寇の時には当然、幕府は東国に住む彼らに対して九州に下り異国から防衛するよう命じている。 >>769
>>768も指摘してるけど、義経の馬は奥州産なのよ。
鎌倉・戦国時代には武士に競って求められ普通に戦場で採用されてるぞ。
戦場で採用されたという事は、デカくて、さらに粗食に耐えスタミナがあったという事かもしれない。
体型は日本在来馬同じだしね。
https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%94/
>木曽義仲の乱
>木曽馬と南部馬の戦い=義経が勝利した後、武士たちは家財を投げ打っても南部馬を買い求めるようになった。
>以後、その傾向が江戸時代まで続きます。 今更だけど、なんで無料で読めるの?
ありがたいけど作者のモチベーションの原稿料が少なくなるのでは? 売れない雑誌の印刷費かけるくらいならたくさんの人に見てもらって単行本で回収した方がいいのさ
という訳で気になるんなら単行本買え 鹿乃がレイプ退場したので
新たなレイプ要員補充したのか ハハハ いやいや
ハハハ なんのなんの
大丈夫に見えん >>770
もう1つの武士のルーツが南九州の隼人だったら面白いんだけどね。
そういう話は無いのかな? 東国武士と言っても関東が拠点でしょ
平将門担ぎ上げた勢力の末裔
西国でも藤原純友とかいたよね
要はあっちこっちで大和朝廷に従わない勢力が居たわけで
そういうのが中央からの天下りを受け入れる事を条件に認められたのが武士 武士のルーツは一昔前は、開拓民が武装したものといわれていたけど
現代では治安が悪化した東国を平定する名目で左遷された朝廷の下級武官と地元の有力者がくっついたものというのが有力 >>793
30年間信じてきたのならもう後戻りできまいよ >>792
関係ないかもしれないが
ヤクザが儀式のときに八幡なんたらとか天照なんたらと習字したのを飾るのもそうした感じなのか? 武士の起源は諸説あるよね。
朝廷が乗馬や騎射に長けた蝦夷を雇って、富豪百姓層から税の取り立てをやらせた、、、
という説が一番説得力があると俺は思うね。
騎射なんて農耕民がやることじゃないし。
一つ確実なのは武士という人々が乗馬や騎射に長けていたという事だ。 南部馬は明治政府の国策で絶滅させられたけど、
あまりにももったいない話だよね。 >>788
関東武者は騎馬が得意
西国武者は、騎馬が苦手で船戦が得意、は源平の頃から後世までの長い常識だわな
荷物運搬も西国では牛、東国では馬が多いし
この時代、さらに承久の乱で敗者支持して苦しい立場の西国の武士団は海に活路求めた >>755
そういえば元寇より前に日本に(征服目的ではなかったが)攻め込んで
略奪や誘拐してったのも女真族だっけ?
千年頃だったかな
誘拐は農作業目的だったんかな 大和民族は農耕民族っちゃそうなんだけど、
古墳時代の装束を見る限り北方民族の胡服との類似性が強かったり、
甲冑も騎馬民族好みの挂甲が板鎧の短甲を押し退けて一般化して大鎧に発展したりで
繋がってたりするからなぁ
文化は突然発生するよりも影響し合うもんだし
まぁ、平安時代以前はわからんことも多いのがロマンではある
>>795
天照大御神(皇室の祖神)
八幡大菩薩(皇室神+武神)
鹿島大明神・香取大明神(武神)
武家、もしくは現代でも武術武道において信仰されており、
家や道場に掛け軸を掛けられていることがある
特に源氏と平氏は皇室出身なので
ヤはまず形から入るから知らん
面子にこだわるのは中世の武士や騎士も似たようなもんだが、
そこに祖霊や武運長久に対する信仰があるのかどうか >>796
中央集権のトップダウンで主従関係があったという説には異論を唱えたいな
日本は武力で統一された国とは違う
その為に統治権を天皇陛下に委ねたものの、各地方の豪族はそれなりの自治権を持っていたと思われ
まあでも東北に限っては例外かも判らんね
大和朝廷成立後に武力で屈服させた地域なのだから 俺らの頃は貴族の荘園の警備員が発言力増して乗っ取っちゃったって習ったケド 別に坂東にだけいたわけじゃないし
名のある連中は貴族の血筋だし
そっちのほうがわかりやすいよな えみしに追いかけられた夢を見て武士はえみし起源と信じ始めたんだよ
半島人だろどうせ 武士の起源はともかく
騎射自体は蝦夷のうち、朝廷よりの者達から教わったというのが有力
刀剣の方は、蕨手刀から日本刀に直接進化したわけではなく
従来の直刀に蕨手刀の要素を付け加えたものらしい
そもそも直刀が、騎乗戦闘の増加にともなって剣から派生したもんだし 蜂に襲わせるやつが怖かった
俺もババァのミニ遍路に付き合ったら蜂に襲われた
ババァは30回刺されて寝込んでた
ワイは腕だけだから来年は義経流やな >>807
多分鞍馬流がベース
義経が鬼一法眼に教わったという言い伝えがあるらしい >>797
民家園とかに南部の曲り家がいくつも保存されてるけど
馬の面倒を見やすいように独自の作りになってて
そうするだけの価値があったんだろうな かつて源平の昔から東国武将の乗馬として歴史にその名を残し、
さらに鎖国を解いて開国した後、居留外国人によって日本馬の中で最良の馬といわれた南部馬の姿を私たちは今見ることができない。
日本人はこの馬の新価を知らぬまますでに昭和初期に絶滅させてしまったのである。
早坂昇治「馬たちの33章-時代を彩ったうまの文化誌」より 戦前は重要な労働力だったんだから性能を上げるために大型化交配するのは当然だもな 日本人が洋物を取り入れるようになったのはWW2の後に
アメリカが持ち込んだからだとか言ってるのがいたが、
幕末明治から既に欧米化は推進してたからな
欧米文化に更新して文明化するべきと
だがまぁ、東西問わずに身近にあるものの価値を過小評価するのはよくあること
自分から見れば昔からある古くさいものでも、相手から見れば斬新にも映る >>799
日本国内でも人買いがいたように、
さらってきた人間ってのは売れるんだよね >>799
刀伊の入寇ね
最初高麗の仕業だと思われていたが
賊を高麗が討伐、捉えられていた日本人は送還された。
彼ら曰く犯人は女真族だとのこと >>811
人と馬が一つ屋根の下で暮らしてたのはいい話だよね。
日本では一部の地域を除いて馬肉を食う文化が無かったけど、馬は大事にされていたんだろうか。 高校の参考書にも武士のルーツが狩猟民と書いてあるぞ。
鎌倉武士は、日ごろから武芸を身につけるための訓練をおしまなかった。
下図に示した犬追物・笠懸・流鏑馬は騎射三物といわれ、武芸の中心であった。
また、山野で行う巻狩も重要なものであり、武士は「狩倉」「狩場」として荘園・公領の山野を支配した。
これらの武芸は、共通して馬に乗り、弓を引くことにあり、「弓馬の道」は鎌倉武士の習いであった。
鎌倉武士は、もともと狩猟民の伝統をひきつきなものであり、その武芸の本質は殺人・殺生にもとづいていた。
宮地正人・木村茂光(シグマベスト 受験・日本史B) >>821 狩猟民とはそこらの裏山で狩りをするひとのことでしょ
この表現でえびすを持ち出すのは飛躍のし過ぎ
参考書だから教科書のように多角的な検討はされてないだろうし、まゆつばなもの
日本史にも朝鮮人が入り込んで、妄想に基づくねつ造を始めてるからソースを出さない論は嘘と思ったほうがいい どちらもやるけど、どちらの比率が高いかって話だからね
農耕民族だって狩猟はやるし、狩猟民族だって農耕はやる
アイヌだって農耕もやってたんだし
大体、騎射以前に弓矢も矛も元々狩りの道具
剣くらいだよ、古代から中世にかけて使われた武器で、
純粋に人間対人間のために作られたものなんか(携行の範疇を超えた兵器は除く) >>824 これは論点ずらしの手法で、韓国や在日が得意にする。
微妙に違う話題に誘導し相手の思考を迷わせるもの。
今どきの日本人は散々見せつけられてるので、騙されない。
これへの対処は、論点が違うことを指摘し、論議を継続しないこと >>825
いや、お隣憎しでお前さんこそ韓国面に堕ちてないか?
一歩間違えると文字通り疑心暗鬼だから程々にしとけ
歴史を学ぶのと歴史に振り回されるのは違うぞ
こないだも言ったが、文化は特定の民族からいきなり完成品が生まれるもんじゃなくて、
色々混ざりあって発展していくんだから、
これのルーツはこれこれこうだって断定するのは危険だろってことだよ
ましてや千年という時間は思う以上に長いのよ? >>825
アホサヨもやで
ハナシアイデーと言うかアイツらサヨクが一番人の話を聞かないと思う まあ実際地方の武士のルーツは貴種なんぞではなく猟師やゴロツキなんだろうけど
それと遊牧民族とは関係なさすぎる… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています