【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part8
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つまり歴史的に朝鮮が日本に支配されるのは問題なしということだな >>657の言う通りなら
元寇からしばらく後には古代日本と関係のある挑戦勢力は半島からいなくなったんではないか
ならばただの隣国であり恩も讐も無い
まあ実際には高麗の朝鮮人どもがモンゴル誘って日本で虐殺略奪した上で惨めに敗走したのは現在の朝鮮人と繋がってるがな
日本とつながりの深かったら加羅、百済はそれよりずっと前に半島から駆逐済みだし
倭寇を名乗って同胞や明の海岸荒らし回った無法鮮人どもも日本には元祖倭寇が怖かったりして近寄れなかったようだが >>656
大河ドラマは大河ドラマとして、この漫画の時宗だと
逆に攻めたい部下を押さえてそう >>661
この漫画だと高麗王のヘタレぶりが強調されて
まともな将たちはだいぶ殺されてるんだよな
軍としては相当弱いという設定になってると思う 現実でも高麗兵なんてヘタレチンカスしか居なかったからな 考古学的痕跡や遺伝子解析から朝鮮半島からの大規模侵攻は約2300年前頃と考えられている
一方任那一帯で日本と共通する土器が普及したのも同時期の事であって
朝鮮半島における新興勢力が日本と半島南部で同時に攻略を進めたとも解釈できる 大規模侵攻w
始皇帝よりも昔の時代に、朝鮮人が、船でか?
ちょっとその考古学の成果どこに載ってるのか教えてくれよ
朝鮮人以外の作成した論文や記事で 韓国人には誇るべき歴史が何もないよな
高麗もモンゴルに征服されてて
駐屯地にされて略奪されまくってたしな 弥生時代の始まりは紀元前4世紀頃のこと
元は中国北部から移住してきた縄文人に中国南部や朝鮮半島から
大量の移民が流入して日本人のDNAの7割が弥生系に入れ替わったのがその時代
弥生時代紀元前10世紀開始説はあくまで稲作の開始年代だけを見ており
遺伝子が入れ替わったのは紀元前4世紀頃であることが近年分子生物学によって確認されている 稲作と弥生人は大陸の江南からの移入と言うのが定説だな だから稲作は縄文時代からあったって
シナが文明やら言ってる遥か昔から >>669は稲作を朝鮮人がもたらしたなんて考えていないので気を付けるように >>644
元寇で活躍した菊地氏が後の時代に倭寇となり朝鮮半島で襲撃・略奪を行ったのは
ちょっとロマンのある話だね。
倭寇は基本的に上陸してからの戦いだから、
当時の日本の船が、
朝鮮半島に渡る事はできたけど、戦闘に耐えるかどうかは別の話。 元寇直後に朝鮮半島に攻め込むのは無理でも済州島は取れんかっただろうかと思うよ。
済州島は馬の放牧地だから、馬が重要な当時の武士・御家人は与えられれは喜ぶだろう。
けど当時のお粗末な海上交通では朝鮮半島よりも遠い済州島はもっと難しいかもしれない。 >>571>>576
そういえば修道士ファルコ(14世紀後半の主にドイツが舞台)で
主人公(元スペインの騎士)が仲間の修道士に
君なら弓矢を使えるだろう?と言われて
「あれは平民の武器だ」と答えていた
全く経験はないのか?と問われたら
「狩猟の時はよく使った」と >>665
マジレスすると紀元前に大規模な戦争があった形跡はない
だから騎馬民族侵略説は否定されている
遺伝子解析では渡来したDNAも認められているが、
DNAでわかるのは混血したことだけで、
どういう経緯で混血したかまでわかるわけじゃないし、
別に遺伝子の流入は戦争によるものだけじゃない >>651
一応、元寇の後に高麗に逆侵攻をかけたらどうかって話はあった
結局検討したら無理げーだろってことになって実行はされなかったが
>>648
っても敗戦の記憶だからなあ
むしろ白村江のことを思い出すと、渡海戦争の困難さの方を連想したのかも >>678
侵略の痕跡はY染色体に露骨に表れるからね
非征服民の男は子孫を残せない
分かりやすいのがネイティブアメリカンで、ほぼ100%スペイン系の遺伝子受け継いでる 最近のY染色体解析では人口(男女両方)の激減が推測はされたが、
ちょうど寒冷化の時期なので食料が減ったためじゃないかと言われてた >>640
南宋滅亡の原因は、単に軍事力の不足だけではなく
当時実権を握っていた大臣が武官嫌いで
文官優遇、武官冷遇、前線で戦ってる武官の危機を隠蔽したり
といった失策をやらかしまくったことにある
自国の武官にすら冷淡なのに他国の武官に友好的にはならないだろうし、
国の滅亡に対する危機感自体が欠けていただろうから他国の力借りるほどの危機感あったかどうか
そいつが失脚した頃にはもうかなり不利になってるし、
皇帝は幼帝でリーダーシップをとれる人材が欠けてるから
反対も大きいだろう他国との同盟なんて決断して反論をとれる人間もいなかったと思う 反論をとれる→反論を抑えられる
>>647
日本にも弘安の役以後も遠征計画立ててたしな
ベトナム戦とか国力の疲弊とか色々あって中止になったが
それも日本遠征が元にとってそんなに優先順位高くなかったからだろうし
南宋と同盟してたら危険視されて遠征が続いてたかもな 3回目の元寇があれば朝廷は元側について鎌倉を攻める ?
六波羅探題もあるし、承久の乱の時のように軍事力を持ってはいまい
しかも結局九州の武士団で撃退できてるから、京から鎌倉攻めようとしてもいろいろ足りない
というか勅額書いてるように朝廷もそんなに呑気じゃない >>683
2度遠征して拠点すら確保できなかったんだから無駄
優先順位とかでなく不可能だと諦めた >>684
ないわー
高麗が略奪されまくって北朝鮮みたく貧困になるだけ >>684
朝廷は元寇の前に出す予定だった返書は喧嘩売るレベルで拒絶してるし
元寇中は亀山天皇は日本が侵略されるなら自分の命を取ってほしいと神に祈ったし
別に元に寝返るような動きもなかったし、そんな気配微塵もないよ
>>686
まあ何回やっても無駄だったろうけど、クビライは三回目の遠征する気満々で
その準備もしてたことが元史にも書かれてる >>684
つうか元と戦ってるのは鎌倉じゃなく『日本』で、
天皇の祈願みても朝廷は戦ってるのが武士だろうと
対岸の火事や他人の不幸は蜜の味じゃなく
ちゃんと『日本』の危機として受け止めてる
幕府に勝つために侵略を利用するほど頭お花畑じゃなかろう 世界帝国のモンゴル遠征軍を九州辺りの武士だけで撃退してたんだよな
モンゴル軍が戦ってのは日本の地方軍だと知ったらどう思っただろうか…鎌倉から本隊が出てきたら…
幕末も大英帝国が薩摩に返り討ちにされたりしてるし九州がヤバいだけかもしれないがな >>684
あと従属した高麗が日本遠征に参加してるのを見て、
日本が従属すれば高麗兵の運命は日本の民の運命かも、
ってことは考えるんじゃないかな当時でも
しかも弘安の役では高麗兵(というか南宋兵以外)は
生きて捕虜になっても皆殺しという末路を迎えてる
侵略の尖兵にされれば侵略に激怒したその地の民から
凄まじい報復を受けるということが実際に日本で行われた後でもある
元と組んで鎌倉滅ぼしたとしてもその後に、鎌倉以外には安穏とした未来があるなんて、
夢想できるような状況でもなかったと思う
まあ仮に朝廷が元についたところで、元が鎌倉にすぐに攻め込めるわけでも
長期的に持ちこたえられるほどの軍事力が朝廷にあるわけでもないから
承久の乱再びになって上皇は配流、帝も場合によっては廃位させられて
鎌倉にとって都合の良い皇族が即位して皇統が変わるだけじゃないかな >>587
家康は馬に乗りながらウンコするのも海道一 まあ実際対陣が何ヶ月も続くようなことも珍しくないし
戦闘が朝からずっと続いてたりみたいなこともあるわけで
そこらでのんびりとクソ垂れる暇もないことって割とあったと思うけどね
だから家康より上手い馬上グソの垂れ方を編み出した武将がいたかも
半ケツ出してクソ投げながら逃げるとか お前ら朝鮮人、朝鮮人って朝鮮の事そんなに好きなのか?
文永の役では朝鮮人は8000人で残り25000人はモンゴル人と中国人。
弘安の役にいたっては朝鮮人1万人に対して、残り13万人はモンゴル人と中国人。
朝鮮人は少数派なんやで? >>691
でも薩摩からビートルズは出てないから、イギリスの勝ちだな >>592
日本人も曲芸やるぞ。
↓の用な神事が伝わっているという事は日本の武士も似たような技術を持っていたのだろう。
しかしこれは、一歩間違えたら動物虐待になるな。
ちなみに、この藤森神社の宝物殿は重要文化財の大鎧をはじめ、
甲冑、刀剣、大筒、馬に関するものなど、戦いに因んだ社宝100点が展示してある凄い所である。
京都・藤森神社で駈馬神事 疾走する馬の上で曲技
https://www.asahi.com/sp/video/articles/ASL554W7QL55PQIP00F.html >>684
流石にこれは
小学校の授業受けてなかったの?ってレベル >>697
>↓の用な神事が伝わっているという事は日本の武士も似たような技術を持っていたのだろう。
そういう技術を持った武士もいるにはいただろうけど、
さすがに歩き始めてすぐ馬に乗り出すような、遊牧騎馬民族と比較しても仕方なくないか?
飼ってる馬の数も全然違うんだぞ? >>699
南宋人かなと思ったけど、南宋人は弘安の役だけだから
文永の役のは金やそれまでに落とされた地域の分かな >>695
まあ最大は南宋人だけど、南宋人のみ助命されたの見ても
当時の人も数は数が多いことと関与の深さを=にはしてなかったんじゃない 元の情報を知ってたんだろ
クソカスの高麗兵だけ処刑してるとこみると >>684
朝廷に攻める力がないのはもちろん、
御家人たちだって二度も元に攻め込まれて元の脅威がよくわかっていて
それでいえ防衛成功しているから降伏するほどの脅威ではないという状況だから戦意もあるだろうし
元につくなんていっても協力するような御家人はいないんじゃない?
勅命でどうにかなるもんじゃないのはそれ以前の朝廷と鎌倉との争いを見ても明らかだし
九州武士強すぎて、元の侵略と朝廷の鎌倉攻めが同時に起きたとしても
九州勢で元軍を抑えている間に鎌倉がさっさと京攻めて院と帝すげ替えてから
九州に向かって合流しても十分間に合いそう 【日韓】チューリヒ大教授、日本と韓国「家族げんかのよう」 朝鮮半島から人が入ってきて、縄文時代のものが民族浄化により絶滅した★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1569765945/
こんなこと平気で言う人もいる >>703
南宋人も日本にいるから、そのあたりの事情は伝わってただろうね >>694
人が恐怖で漏らすものなら、脱糞は戦場ではよくあることだったはず…
なんで家康だけそんなネタにされんのw >>696
イギリスから長渕も出てないから、やっぱり薩摩やろ >>697
藤森神社は馬の神社といわれるほど馬に因んだ物や行事や逸話が多い
最近は刀剣が某ゲーム関係で注目されてるなw
今は御物になってるからもう現物はないが 信長も馬と弓の鍛練に熱心だった。
他には鉄砲と水泳に励んでた。
刀や槍に目もくれず、飛び道具に夢中なあたり、合理的な信長らしい。 西洋騎士はモンゴルの弓騎兵に槍で戦おうとした。
なんで飛び道具に刃物で戦うかな?馬鹿なんじゃないの。
飛び道具に刃物というとこれを思い出す。
https://m.youtube.com/watch?v=ua_TZ84hmEA >>711
信長は刀のコレクターでもあるんだよな…
かの有名な圧切長谷部を筆頭に大般若長光・鬼丸国綱・鶴丸国長・不動行光・不動国行 錚々たる名刀ばかり
槍に至ってはかの有名な3間半槍なんてものがある
普通に信長も刀槍に興味津々だったのに目もくれずとかよく言えるな 無知すぎる 714だけど追加に
童子切安綱・宗三左文字(義元三文字)・薬研藤四郎・備前長船(景光・光忠・長義)
(小手切・氏家・大通し・三好・上龍下龍)政宗 (荒波・長篠)一文字・佐々木国行・実休光忠
銘のある錚々たる名刀業物ばかり
このうち童子切・鬼丸は天下五剣 圧切長谷部・長篠一文字・大般若長光は国宝宗3左文字は重文に指定されてる アメリカ人のホモはチンコに銘を付けてるんだぞ
シュニッツとか >>714
コレクターである事と武芸の鍛練をする事は違うと思うよ。 信長がどうかはともかく、飛び道具が戦場の主兵装だから刀槍が不要とはならんなぁ
白兵戦には白兵戦の役割があるし射撃戦には射撃戦の役割がある
モンゴルだって軽装弓騎兵だけじゃなくて、軽装弓騎兵で敵を消耗させてから
重装騎兵を突っ込ませる戦法を取ってるわけで
当時のヨーロッパ本土よりモンゴルのバランス感覚が上だったというだけ
あとは、宗教がらみで内輪の政争にうつつをぬかして外敵への対応が遅れたとかもあるが
東欧がイングランドばりのヒャッハーぶりだったら、もうちょいいい勝負になってたかもね
まぁ、重装歩兵のくせに騎馬の敵指揮官を走って追いかけて仕留めた
スパルタ兵みたいな変態は例外として 現代の兵隊だってアサルトライフル持ってても拳銃も持ってますわな
刀は護身具として必要ですわ
それと槍は戦国時代でも主兵装だし >>713
相撲はともかくなぜ池の水
池の水全部抜く? 俺も幼少期の頃、ひなたぼっこしてるシマヘビの尻尾踏んだら
凄い勢いで追いかけられたぞ >>712
白兵戦突撃を行わなければ、臆病者扱いされるから。
臆病者扱いされるとその騎士は、親族や貴族仲間から孤立したり、出世できなくなってしまう
そのような風潮が強すぎたが故にヨーロッパの騎士は突撃バカが多かったし、
信頼性がある厳格な指揮官でもない限り、複雑な作戦行動も取れなかったという >>711
実は織田信長も剣術を学んでいる。というのも戦場で生き残るためでなく、
日常的に起こる殺し合いを切り抜けるための護身として必要だったから
鎌倉時代や室町・戦国時代の人々は血の気が多い人間が多かったので、些細なきっかけで殴り合いや切り合いのケンカになるケースが多かったらしい
中には逆ギレして上司にすら切りかかるやべー奴もいたとかなんとか >>725
ぐぐったら本当に池の水全部抜くで吹いたw
時代を先取りしてるな >>700
遊牧騎馬民族ほどではないけど、日本の武士も起源は東北の蝦夷で農耕民族ほどヤワじゃない。
彼らは狩猟、採集、多少の農耕を行って生活していた。
幕末の武士の写真とか見ると彫りが深くて目がぱっちりしている。
長州藩(笑)は弥生顔だけどw 南部馬の歴史6
https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%96/
>この世に足跡を残す最後の南部馬が『盛号』です。
>盛号は明治5年に三本木(現十和田市)で生まれた青毛の牡馬で、体高5尺(151cm)という格段に大きな馬でした。
>そのレースでは日本の馬だけではなく、外国の馬も何頭か出走しました。
>そのレースで盛号は、並み居る強豪馬(サラブレッドも含む)を寄せつけず、2位以下を大きく引き離して優勝。
>翌年の第2回開催時にも優勝して連覇を成し遂げました。 ID:22s5RgDO0
長州コンプレックスはいい加減卒業しな、東北の負け犬君。
そもそも東北の蛆虫共は元寇と関係ないんでオナニー見せびらかすのは止めてね。気持ち悪いから。 最後の笑顔で生首掲げた武士の集合写真
中東の戦場でも同じ事してネットに流すのを見てると、
人間は変わんないもんなんだね >>732
いや、狩猟民は牧畜民や農耕民よりヤワなんですわ
食料供給が安定しない上に、量も少ない。
だから多人数を養えない、最低限のことしかできず、大々的な生活向上の研究だとか、専業兵士の育成というのが出来ないから、戦争に弱いし国家も成形できない。
歴史上、巨大な国家を築けた国家は皆、農耕民か牧畜民のどちらかで
狩猟民と言われてるのはほぼ牧畜民で
狩猟民とは全く違う民族だ。
例えば騎馬民族とよばれる人々は、牧畜がメインで狩猟はオマケ >>737
敵兵に対するのと、民間人拉致してするのは全く違うわい 武士が生首刈るのは物理的な合理
あっちの宗教とは違う 完全狩猟民っていつまでいたんだろう
元寇の頃にもまだどっかにしたのかな 完全狩猟って・・・
狩猟民は基本兼業でしょ
普段は採集を主にして、チャンスがあれば狩猟
焼き畑も相当に歴史古いみたいだし、これも狩猟採集民の範疇に入るのでない? 北極圏やシベリアにはいるかも知れんけど
政府からなんやかんやもらって裕福だから それを完全狩猟だけで生活しているとは表現しないだろう 稀少な野性動物と同じようにノーコンタクトに近い保護政策を受けている原始的な部族がいるにはいる
野獣と変わらない
ようは狩猟民スタイルなんてのはただ原始的なだけ
それが強いというわけではない
軍事と狩猟を兼ねる場合があるのも狩猟が役にたつというより主にコストの問題
コストが許すなら軍事専用の訓練を充足させるほうが強い
そして軍事コストは狩猟スタイルのままでは産み出せない >>749
>ようは狩猟民スタイルなんてのはただ原始的なだけ
そうなんだよね
完全な狩猟採集生活なんて、
過剰に獲得しても保存が困難だから、
必要分をみんなに分け与えるだけ
>ブッシュマンのサンの場合、
>優秀なハンターは大量に捕獲した後は
>狩りにでないようにし供給そのものを減らし、
>分配される側にまわる。
農耕・牧畜が始まったから貧富の概念も生まれ、
身分の差や所有物の奪い合いも起きるようになった 狩猟狩猟言うから、モンハンみたいな世界になったらどうなるんだろうとか考えてしまった
真っ先に飢え死にか、ジャギィあたりに食われて終わりそう >>744
狩猟もまた進化し、動物の群の制御を覚えた狩猟→遊牧、の進化と思われる例「も」あるし
狩猟民同士でも戦争はする
女真族のように、「狩猟民が、鍛えた武力で略奪・拉致→奴隷に農作業させる」
つまり狩猟民が農耕民を支配するパターンに
アイヌのように、「交易に依存する、職業的狩猟採集」パターンもあり
オロンコ岩では、アイヌが敵対する先住オロッコ族を虐殺した伝承がある
https://shiretoko-style.com/ho0516/
また、アイヌ同士でも奴隷制はあったし
江戸時代に北方へ漂流した日本人が、現地人(千島アイヌなど)に捕まり奴隷にされてた例もある
ていうか、この作品のスレで過去に出たように
アイヌ(加害者)がモンゴル支配下の民族(被害者)を渡海侵略したのは
ニヴフの鷹匠拉致などで、アイヌが鷹羽流通を支配しようとしたからだ
その結果、モンゴル怒らせて負けたアイヌは中国王朝に朝貢するようになった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています