センゴク 宮下英樹 162番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-12巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと。
※前スレ
センゴク 宮下英樹 161番槍
https://fate.5ch.net...gi/comic/1544468834/
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・次スレ作成時は本文頭に【】内を2行記述すること(立てると1行消えます)
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・スレの勢いが速いときは>>900以降が宣言してから立てること。
・スレ立て後は>>20まで保守すること
・荒らし、煽り、disは徹底放置。反応するのも荒らしと同類。 前スレがすぐ埋まりそうなので、必要ないかもだけどぼちぼち保守 新春からようやく豊臣サイドに話が戻るのか
そろそろ無用ノ介や妙算が仙石陣営に駆けつけるのかな 佐々さんはエリート中のエリートのなのに根性あるところが好き 根性あるが集団登山家として根性発揮するのは何かズレてる気がします 同じ織田のエリートでも尾張時代からのメンツは泥臭い人もいる
岐阜時代に育成選抜されてるのが官僚タイプの万事器用系 佐々成政が漫画で一番カッコ良く描かれてたのは花の慶次だったかな
ちなみに兄も桶狭間戦記で千秋四朗と共に討死してるんだよね 肥後52万石で反乱起こした国人が49人
単純計算で1万石クラスの大名が49人も反乱
そらおかしいことになりますわな 佐々さんが行った道は土砂崩れで今はもう通れなくなってるそうな
今とは装備も段違いだったろうにすごいわ 佐々さんが一番カッコ悪く描かれているのが太閤立志伝V スレ民を、かくも気高き存在にしてくださった>>1… >>34
(日暮れの高校サッカーPK中に放送終了したらどうにもならん)急いでくれ >>28
北陸の孤狼
越中富山城城主
佐々成政
登場シーンから格好エエ
前スレで話題になっていた大名キャッチフレーズもこれなら格好いいし
富山の大河招聘も成政で決まり
利家と同格であった事を考えれば違った未来もあり得たな >>37
制札爺が北条の全てを見守って死んで閉幕、かな? >>39
コミックスが手元にないのでうろ覚えだが
初登場で酒をプハァとあおるシーンがめっちゃ迫力あった>慶次の成政
酒で目ヤニを洗い落とし男泣きするシーンも
人生後半戦をうまく乗り切ってればなぁ・・・滝川さんもそうだけど ラストは椅子に座って登場人物全員からおめでとうと言われて終わり(秀吉が)
あとは映画で 単行本帯に表紙武将のキャッチフレーズつけるの復活して欲しいなぁ >>50
バババ…バケモノぉぉぉーーーーーーーーーー!! 小松姫は幼名御子亥(おねい)らしいから来年も使える 今日はこのスレに明智殿が多いな
来年には大河もやるし今から待ち遠しい 小田原編は落としどころが見えてきたけど
じゃあオーラスをどこに持ってくるかといえば見えない
関ヶ原にもってくるときれいに終わるがどう見ても1年じゃ無理
最後に佐吉を大きく膨らませにゃならんもんね ソードマスターヤマト完結編形式で行こう
歴史漫画だから武士沢ブレードオチも行けるな 終わり方なんて爺になったゴンベの回想の回を1話入れてオシマイでいいじゃん
独眼竜政宗形式で まあ関ヶ原編大坂城編に未練がないかといえば嘘になる 小田原中に政宗出すならどんなキャラにするかな
客観的に見れば政宗って旧弊のボンボンで高慢な癇癪持ちっていう到底共感を呼べないキャラだからなあ 関ヶ原・大坂の陣は天正記ぐらいまでの熱意で描いてくれるならいいけど
今の描き方なら60点ぐらいの面白さをダラダラ追ってくだけになるから
それなら違うジャンルに挑戦してもらいたい 突然現れた妖精に「私たちの世界を救ってください」と言われて無理矢理異世界に連れていかれる
冒険&ラブコメでいいよもう 異世界ではなく異国での大冒険ファンタジーは清正とかがやるから 佐藤賢一「ジャガーになった男」
のように遣欧使節団について行ってエスパーニャから新大陸でインディアンのために戦ったり >>72
近年の研究だと、政宗は野心バリバリで領土拡張したんじゃなく、
自衛のために戦い続けた結果、領土が広がってったとのこと
なので、自分が天下統一できないことを悟ってわざと奇行に走るキャラなら…
出るか分からないけど 戦国ちょっとスレに書かれていた政宗の小田原参陣の時の弁明は真実ってことか↓
「去年私が(摺上原の戦いにより)会津を押領つかまつった事、偏に私の暴虐なる振る舞いと
お考えになっているのでしょう。しかし、その事の仔細を申し上げます。
過去からの経緯を申し上げます。
私の郎党に大内備前と申すものが居たのですが、私に対して野心を含み、会津の蘆名に属したのです。
これを私は強く無念に思い、即座に誅せんと考えましたが、蘆名義広は思いもよらぬことに
かの大内備前に合力し、あまつさえ佐竹義重、磐城常隆らまで、義広に一味して、事態は私にとって
大変困難なものとなりましたが、幸運にもかの大内備前を退治する事が出来ました。
そして二本松についてですが、かつて、私の父親である輝宗は二本松の畠山義継に不慮の参会で討たれました。
二本松の者共はその父の仇の末であります。ですので打ち続いて二本松を攻めようとしましたが、
ここでも蘆名義広の企てで、佐竹義重、磐城常隆、相馬義胤らまで一同に二本松に集結し、私一人を敵にして、
度々合戦を仕掛けてきたのです!ですが、不思議に一戦の利を得て、結果的に会津を横領する形になって
しまったのです。
そうでありますが奥州では、大崎義隆、磐城、相馬の者共を始めとして、出羽には最上義光、常陸には佐竹義重
等に至るまで、皆私一人を敵にし、隙を伺っていたため、昼夜を問わず彼らへの対応に追われ、京都に対し
臣従することも、今まで引き延ばしになってしまったのです。
最上義光は、勿論これは我が叔父であり、特に所領も隣接しているのですが、
私がその国境に置いた鮎貝藤太郎という者をそそのかし、私に対して野心を持つように仕向け、彼の者はついに
義光の元に亡命しました。私はその頃若年で、しかも父を亡くしたばかりで何の支えもない身であったのに、
よりによって叔父である義光がこのような振る舞いをしたこを、激しく情けなく思い、敵同士になったのです。
次に相馬ですが、父輝宗存命の頃は度々争っていましたが、私の代になって和睦いたしました。ところが
私の舅、田村清顕と申す者が亡くなると、私の郎党・石川弾正という者が相馬義胤にそそのかされ、
私に対して野心を企てたため、軍勢を出してこれを退治せんとした所、義胤は彼の者に合力し、後詰を
してきたため、短期間での討伐が不可能となリました。そのため私が、所領の中にある大森城に暫く
引き退いたところ、義胤はよりにもよって田村清顕の郎党たちと語らい、田村領を奪う企てを起こしました。
しかしそれは、田村清顕に忠節であった者達が私に味方したため、陰謀はならず義胤も相馬に引退きました。
これにより石川弾正も力を失って相馬領に亡命しました。
すなわち、相馬義胤こそがこの政宗に対して敵対したのであって、私が相馬に対し敵対したわけでは
ありません!
それから大崎義隆と合戦に及んだのは、累年、国境線についての論争が有り、それが徐々に双方の確執と
なったからなのです。
このような事は皆、政宗の不幸であります!
この面々の悪巧みにより、今のようなご不審の中にある以上、私の真心を伝えるのが大変難しい状況です!
私は何を否定し、何を肯定すれば良いのでしょうか!? >>77
あのね、どこだって自衛のために戦ってんだよw 親父の輝宗の代に蘆名最上と「信長の惣無事(みたいなもの)」受け入れてる訳で
反政宗陣営にとってみれば、輝宗・政宗は野心バリバリで領土拡張した北条に比肩する暴虐の徒
伊達側にとってみれば、天文の大乱以降押領された固有の領土を取り戻したら周囲が喧嘩売ってきた防衛戦争 >>48
なお農閑期に出稼ぎで戦争する家も
仕掛けられた方は引きこもって戦闘が成立しないんで、まあ乱取りと略奪品の故買(主に人間)で年は暮れたんだろうけど >>77
どんな贔屓の引き倒しやねんw
近年の研究っても玉石混淆じゃね
どさくさ紛れに親を射殺させるヒトデナシが自衛とかねーわ
豊臣に臣従したあとも、近隣に一揆使嗾したりま〜往生際悪く策を弄していたし >>79
これは嘘吐きの弁明ですわ。周辺の大名ブチ切れそう >>88
昭和の頃は東京でも30cmくらいは積もってたよ
小氷河期なら1mくらいは普通だったんじゃね >>91
中野区民やけど普通にあったわ
日影に凍った根雪とかあって滑って転んでたわ >>91
ごめん、言葉足らずやったわ
30積もっても雪国みたいに春まで溶けないとかは無かった あと一年で終わるのはセンゴクシリーズと権兵衛どっちなの? 地元の本佐倉城とか臼井城とか、なんなら砦レベルぽい支城の土塁とか堀とか復元して欲しいわ。
石垣だの本丸だの、面白くもなんともないわ。
近所の昔からあった潰れた神社とか、急勾配の高台で見晴らしが良かったり、周囲が盛り上がってたり、
盛り上がりの切り口が入り口でちょっとクランしてたりとか、もしかしたらと思ってワクワクするわ。 安土城は石段の段差が高いから登れない人が多発しそう 関宿城とかいう潔い天守
横の看板に
「関宿城がどんなのかわからないので江戸城の三階櫓そのまんまコピーしました」
よくみると「模擬天守」って書いてある
なお、中の博物館には何故か天守がない戦国時代の関宿城の縄張りと再現模型が >>90
あちらでも書かれているけど、現地に行った人なら再建はあまり推奨はしないと思う
やるなら徹底的に山を禿山にして、周辺も再開発しなきゃ駄目だろうけどそんな資金ないだろうし
オメガマンあたりが気合入れただけで天守がせりあがってくるなら話は別だがw 西股総生「土の城指南」だと
復元の際に観光用の展望施設を加えられたり、研究家の意見が取り入れられなかったり
天守へのアプローチが一直線に入りやすくした結果
肝心の防御施設としての役割が見えにくくなったり、道を作るためにそもそもその防御を壊してたり
各地で犬山城を参考に復元したせいで犬山城もどきが乱立したり
バリアこそ城の本質なのにどこもかしこも回れるようにバリアフリーにする必要があるのかと嘆いたり
天正年間の虎口に鎌倉時代の櫓門が建てられていて防備になってなかったり
と愚痴がいっぱい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています