音楽演奏ではコンクールというのは実は新人賞みたいなもんで
それに優勝したからと言ってプロとしてそれなりの地位についたわけでもなんでも
ないことはある程度は理解されている(それでもまるでチャンピオンのように日本のマスコミ
は扱う馬鹿頭だけど ブーニンとか)
実際に本当に有名で第一線のプロはコンクールとかでないですでに巨匠になっている
人が多い(キーシンもコンクール出てない)。

文学でも同じなのになぜか芥川賞はゴールみたいな扱いになっている。
(と言っても例えばこの10年位の受賞者でまだ名前が残っている人はほとんどいないけど)

だから響をどういう位置づけにするのか 作者自体よく判っていないというか考えてもいないん
じゃないか?