映画はあれこれ詰め込んでテンポよく構成したような出来。
掘り下げるというよりは、そぎ落とすことが目的になってる(登場人物の削減等)
だから原作に対して、どこかしら賑やかさに欠けるもの寂しさもある。

しかしタイトルの
小説家になる方法はおろか、小説を好きになることもない。
それは原作も同じ、そもそも原作者に文学の引き出しをあまり感じない

そもそも、なぜ海外作家の名前や作品を出さないのか?漱石も鴎外もロシア文学から影響を受けてる。
海外作家抜きに近代文学は語れない。小説家が好きな小説家として挙がるのは大抵、海外古典小説家。
せめてカフカやドストエフスキーやカミュの名前ぐらいだせば多少のハッタリにもなっただろう。

一方ライトノベル回は、同人業界とか絵師の話とか読みごたえがあった。
これは作者の体験した貴重の引き出しだと思う。
ただ読む人が、小説家になる方法に比べたら
ラノベ絵師になる方法は提示できてる。