天皇家は元々大和の豪族連合に推戴された
豪族による議会の長とか豪族の第一人者とか調整役みたいなものであまり権力は強くなかった

でも中国等を見ても王権が強い方が政治がうまくいくのは自明で
推古天皇の代に豪族の最大勢力である蘇我氏と結んで王権を大幅に拡大することに成功した
その中心に厩戸皇子がいて、中大兄皇子の代にはもう豪族や民間の間ですら
あの頃は良かった、と半ば神格化されていた

中大兄皇子は蘇我氏の本家を滅ぼしたけど、
皇子(誰もが納得するリーダー)亡き後の混乱の原因を蘇我馬子・入鹿に押し付けて
政治は厩戸皇子のものを継承します、より一層の天皇家への集権を図り、ひいては中国のような律令国家を始めます
ってなことで死後50年も経ってから国家的に神格化したって流れだと思ってる