センゴク 宮下英樹 147番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-10巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
センゴク 宮下英樹 146番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1523252434/ >>728
ああ見えて南蛮胴着たり時計集めたり
意外に新しい物好き
イギリス人を雇ったりしてるしね そういえば将棋10段も所持(追贈)してるなw
名人という言葉が定着したのは、将棋と囲碁を保護した家康の隠れた功績 信長も秀吉も囲碁将棋を保護してるし(三コウや宗桂の仮託された逸話など)
「天下人」として当然あるべき文化事業をしただけで当代随一かぁ
秀吉はもとより、大学制度を整えたから明治帝が当代随一の教養人という論理になるけど
なんか定義からしてちがうね 「当時の大名としては高い水準の教養はあった」
ぐらいだろうね
当代一は言い過ぎかもしれないが
言い方の問題だし言われて拗ねる程の事でもない 家康の趣味
・医学・囲碁・将棋・猿楽・茶・鷹狩り・お香・水泳・舶来もの・未亡人
・読書・馬術・弓術、剣術武芸全般・倹約
>>729
学問方面も実用書中心に愛読してるぞ
細川パッパは人外だから仕方ないけど上のこれだけでも教養人・趣味人だろ >>734
ご本尊が違うだけでヒデキチ君と同じだと呆れてるだけなんだけどな 相手に伝わらなきゃ意味ないんだよ
明らかに同意の物言いじゃねぇだろ >>738
確かに噛み付きぶりとか芸風は似てるかもしれんか そもそも東照宮は世界遺産に登録されるくらい凄いんだよなあ
豊家はなんかそういうのあるの?
世界的に認められるなんかw >>744
幼女趣味、人妻趣味、未亡人趣味の中では
世間的には未亡人趣味が一番反感が少ないよねー
夫を亡くして生活に困った女性の面倒も見てるわけで
家康も、嫁の連れ子とかちゃんと養ってたんかね 細川ジュニア、独眼竜政宗「教養人たる者、人格も兼ね備えてるのは当然のこと」 家臣と家を護る為に苦渋の決断をした悲劇の名将
だから武田信玄を尊敬していたのであろうなあ >>735
で、それらでなんか実績残したのかな?
当代屈指の教養人なんだろ? >>745
家が残ってりゃ何かあったんじゃないか?
伏見城とか大阪城とか相当ヤバイ代物だったろう。金の茶室とか超カッコいいじゃん。アレは黒を使った利休くんが凄いとも言えるが。本物観たかったわ。 >>745
明治新政府に感謝だな、豊国神社みたいにしなかったし >>745
然り、褒められるべきは徳川じゃなく明治政府
豊臣の後が明治政府なら方広寺とか伏見城も世界遺産になってたかもしれん >>745
金剛峯寺とか?
今の金剛峯寺の前身である青巌寺と興山寺は
秀吉の帰依により建てられた寺だし >>753
方広寺が燃えたのは天変地異だし
伏見城燃やしたのは豊臣方の西軍だから
あまり関係ないかも
豊臣方が伏見城に篭ったりしたら明治新政府も
普通に伏見城燃やしてると思う 大阪城→埋められてその上に天守だけ高く作られる
豊国神社→破壊される
京都の大仏→銅銭
せめて大仏くらいはなんとかならなかったのかねえ 大仏は普通に天変地異による破損だから無理でしょ
銅銭は残骸を利用した物だし 4代将軍ヒデキチくんか。流石に恥ずかしくなって、ボロが出ないように短文スタイルに変えたのかな? >>758
直せばいいだけだろ。あんなに普請やらせまくっていたんだから。 >>762
ん?文化財保護の考えのない人なのかな? >>761
普通にもっと大きな大仏(木像)作ってるよ
それも天変地異で焼けちゃったけど 強要とか文化財といった基本的な概念を理解してない無知ぶりは、やはりアレだな >>764
大きさ同じだぞ、しかも木造。それも途中で焼けたので再建は明治になってからと まあ人品がないものに権力持たせたらあきまへんわあ
と言ってた町人に超同意だわw 隠し字とかいうなら「秀頼」も入れればよかったのに
「家康」「政仁」だけ避諱しなかったのが悪い >>773
当時の常識からしてもあり得ない文言だわ
五山も非難するわな
10年以上執行猶予期間あげたのに未だに天下人気どりの豊家の呆けぶりが目に浮かぶわ とはいえ問題の梵鐘は鋳潰される事もなく
今も残ってる辺り内心はそれほど気にしてもいなかったんだろうな いやむしろ徳川家の正当性を担保するために残されたんじゃない そうは言うが呪詛してるとまで言ってるような代物を残してるのも変な話だ
あと右僕射 源朝臣の下りはどう考えても言いがかりだと思う あの碑文はそもそも、考案した坊さん自身が家康の名前をあえて入れたと認めてる。日本がお手本にしてきた中国の王朝で、在世中の皇帝の字(性ではなく名)を、公文書や名付けで禁忌にしてるのは常識の話。あえて改名する士大夫さえいた。
勝手に名前を使いしかも割るとか、挑戦的で不敬と誹られるのはやむをえない。もし豊臣家が気づかなかった単なる人選失敗なら、平謝りして撤回すべきだろ。 漢文っていかめしい字面に対して前後関係からこういう意味にもなるしこうも受け取れるって意外とあやふやなとこがあるね
でもこの場合は文法がどうとか関係ないどころか多数決みたいになっちゃってる 秀吉も長宗我部との手紙のやり取りで、
文面における秀吉の名前の扱いが信長の時より雑になったって
難癖つけて四国征伐してなかったっけ? >>780
いつから家康が皇帝や天皇になったんですかねえ
たかだが引退した将軍の諱を避ける風習なんてないですよ。
五山の僧侶も天皇の諱は避けるけど、庶民の諱なんて気にしたことねーよと答えている >>783
諱を使う場合に欠字をしろということ、つまり秀吉なら、「□秀吉」みたいな感じ
一字空白をあける皇族や殿上人くらいにしか使われない。
もっとも四国征伐の理由は毛利が駄々をこねたのが原因。伊予が欲しい毛利と、
阿波はあきらめても伊予までは無理の長宗我部の対立 >>784
五山の僧の意見は相国寺の僧が
「好ましくはないけどウチじゃ特別避けたりはしないです」
と述べてたり
東福寺の僧が
「庶民にはそういうしきたりはないらしいけど将軍の諱でやっちゃダメだろ」
と言ってるぐらいで概ね非常識な行為という意見だよ 複数人に叩かれたら泣いて逃げ出して
日付変わってID変わって人がいなくなってから反論かよ
こんなテンプレみたいなネット弁慶のクソオタクまだいるんだな >>786
将軍の諱を避けるような風習はそれまで日本にはないよ。
みな天皇の諱を避ける風習はあるというのは一致していたが、将軍の諱を避けたことはないとしている。
足利将軍家だと「義」の時が高確率で入るが、こんなのいちいちさけて手紙や碑文なんて書かない。
信長や秀吉の諱が避けられたというのも聞いたことないね。
ていうか秀頼は手紙などでも秀頼とそのまま書かれているし、秀吉の遺言においても大老は全員諱で書かれており。
むしろ石田などの奉行衆は官職(前田は法名)で書かれるという区別が行われている。 >>787
ほんとだよなあ、いつも最後は相手がヒデキチガーと逃げ出してつまらんのだわ、
まさに戦国無双 五山の僧は揃って「好ましい事ではない」と言ってるのに
そこは無視する辺り都合の良い頭してるなぁヒデキチくんは >>790
将軍の名前もまともに覚えてないくせに歴史通ヅラしてるような頭おかしいバカだよ?さっさと死ねばいいのにホントなんで生きてんだろうね あ、前田は徳善院だったか
>>790
難癖付ける為に家康が集めた面子ですら
碑文を書くときに避ける事はないともしているってのに面白い事いうなあお前。
当時に前将軍程度の地位で非諱された事例を挙げてほしいもんだが。
秀吉なんて今浜を長浜に変えるなんてやってるってのに、敬意を表す行為にすぎんよ。 >>791
そりゃどうでもいいからな。将軍なんてそんなものだ。
こんなの敬っているお前みたいなバカが未だにいるってのが信じられんわ。 まあ、日付が変わって直ぐにキチガイをNG出来たのは悪い事でもないか 4代将軍ヒデキチ君、馬鹿にされてるの気付かず「無双」とかwww 諱を避けるなんて実はされていなかった、碑文を書くときも避ける事はなく非常識でもなんでもなかった
それらの間違いを指摘されたために逃亡するんですね、わかります。
諱の無断使用は重罪とか言い出すバカが未だにいなくならないのがほんと困るね 前文
外施仁政
前征夷大将軍従一位右僕射源朝臣家康公
後水尾天皇の諱「政仁」まで用いてるという >>798
ここまでザルだと豊臣陣営に自殺願望でもあったかのようで草 天皇は何も文句を言ってないどころか、方広寺の開眼に元皇族である常胤法親王を指名している。
この開眼の日時は豊臣家の希望していた時期であり、家康の要求を蹴っている。
また家康の使命した人間を外して、氏名しているあたり天皇の意思が見えるね。
常胤法親王の前の座主の興意法親王も、方広寺の銘文ではなくて、棟札のほうで呪詛の疑いとか難癖付けられているんだよなあ。
彼の後任を指名するしているのも面白い。
まあ天台宗の寺に真言宗の座主を導師としておくろうとしていた家康がおかしいだけかもしれんが 難癖であり無茶振りでありそこに正当性が全くないとするなら、なおのことその要求をはね除けられない豊臣と徳川の力関係が浮き彫りになるな。 現役の大名が一人も大阪方につかなかった時点でお察し 明石って宇喜多の客商だったのになんで大名扱いなの? >>806
宇喜多家臣として家宰をしつつ、豊臣直臣でもあるから。 明石さんが生き延びたかどうかが気になるところだなー。 明石さんの子孫は大陸に渡ってロシア帝国打倒に力を貸して
台湾に渡ってそこの領主になったという伝承が >>717
水野勝成は今でも地元じゃ名君と呼ばれてるよ 明石さんは生き延びて、織田信長の手下になったんじゃなかったっけ。雑誌繋がりではw >>809
明石元二郎大佐はもっと評価されるべきお方。 >>804
豊臣を恐れず師である千利休の死出の旅の見送りをし、
大坂の陣では豊臣のために京に放火をしようとはかったが露見し切腹させられた
叛骨の大名がいたような ヤンマガ最新号(23号)昨日から店頭に並んどった
ちなみに次週(24号)はゴンベ休載じゃ >>813
功績がすでに過大評価、という説もあるけどね >>807
親会社の幹部が子会社の役職やるようなもんかー >>814
京都所司代「放火はダメだろ、ダメだろオイ」 >>818
どっちかっていうと、M&Aした子会社の中の優秀な社員を、親会社と兼任させる形かな?。 譜代がいないからって、有能な陪臣引き抜こうとするのは秀吉の癖。有力大名家の主従の堅い関係に楔を打つ目的もある。
五大老家だけみても毛利家の小早川隆景、上杉家の直江兼続、宇喜多の明石、臣従前なら徳川の石川数正、その後も本田忠勝にちょっかいかけてる。
身内でも藤堂高虎を例として秀長、秀次の家臣団に手を伸ばしてるな。
立花、鍋島辺りも 丹羽さんの所もしこたま持っていかれたよな
なななの長束君とか上田殿とか溝口さんとか そもそも皆「何某家臣」じゃなくて「朝臣」だからね
朝廷の長たる秀吉が天道を正しているだけだね 豊臣家いやその元となった織田家が実力主義の権化
有能であれば陪臣でも直臣となって出世し、無能であれば長年仕えていても失脚する 秀吉に、自分から仕えたいと思う、有能な人間が存外少なかったからかな
普通、天下人になれば使ってください! という人間が増えそうだけど
実際には、そうじゃなくて強引に家臣にした件とかが多いからね
藤堂高虎なんか、内心は嫌々だったんだろうね、徳川に急接近したあたりとか >>825
後世で「義の人」とか「忠義の人」と言われる佐吉くんも家康にすりよってるもんな。
秀吉死亡時点で反家康ってどれくらいいたのかね。畜将TERUくらいかね。 別に秀吉が嫌われてるとかいう問題でなく、秀吉が死んだ時点で家康を担ぎ上げるのが一番都合良いってのが皆わかってたんだろう。
おねさんがおおさか城を去ったのが豊臣家の最後のとどめになったんじゃないかね。 >>825
優秀な人間はまあ大概すでに他所で地位を築いてるからな
優秀な見出した下っ端を幹部まで育てるには時間がかるし、
即戦力求めればどうしても強引なことになる
>>826
五大老クラスならみんな肚に思惑はあったろ
家康が豊臣政権横領するのに闘争が始まるのははっきりしてたし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています