大坂の陣以降は「秀忠様より先には死ねない」→「息子が一人前になるまで死ねない」→「孫のお家騒動が片付くまでは死ねない」って
執念だけで生きてたのかもね、その頑張りは今でも残る真田本家として報われはしたけど本人存命中は幸福だったのかどうか