センゴク 宮下英樹 147番槍
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-10巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
センゴク 宮下英樹 146番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1523252434/ 変なところで誤送信すまぬ
死人が死人を語るような感じがするけど宮田さんて半兵衛より先に亡くなっていたんだね 宮田さんとか株式会社秀吉創成期のトップ営業マンやんけ 本多正信まだ顔ちょいしか出てないよね
めっちゃ痩せてるイメージだったからセンゴクではどう描かれるのか楽しみ 対長曾我部外交の時だな
割と濃い見た目だった記憶がある >>292
あの竹中半兵衛に
秀吉 「最近羽柴軍ヤバくね?強過ぎるんですけどw」
半兵衛「宮田もういねぇから!むしろ弱くなったから!」
秀吉 「ですよねー・・・」
とまで言わせた男なんだぜ! >>297
秀吉の前半生を描く新作とかが出たら
前田慶次ばりにイケイケの主役とかにできるかもしれんね
資料が少ないから好きに描けるだろうし >>282
ウィキとかだと最初に秀吉に仕えてから信長の小姓に取り立てとあるけどその辺どうなんだろ >>297
宮田すごいというよりは、調子に乗って増長し始めた秀吉を、半兵衛が「いっぱい犠牲者出てるから」と暗にたしなめ、秀吉も気づいて合わせたいい話なのでは。 若い頃の腹心とか意外と歴史に残らないからな
信長の桶狭間の頃の部下なんか名前が残ってるやつはみんな無名
出て行ってどこぞのの大名に仕えるけどそのまま戦死とかそんなんばっか
前田利家がレアケースで残ってるくらい https://dotup.org/uploda/dotup.org1517793.jpg
wikiだと名将言行録らしいが、
半兵衛の息子が書いた「豊鑑」にでも出てないかと見ては見たものの
「宮田氏命を失ひぬ」だけだったか
しかし父親を孔明に例えたいのはわかるけど
「秀吉限りなくかなしび、劉禅、孔明を失ひしにことならず。」というのは秀吉ディスってるような
https://dotup.org/uploda/dotup.org1517801.jpg
(こっちはセンゴクバージョン) 佐吉くんが来た中国攻めで張良と蕭何はいるが韓信がいねえってぼやいてたのはそのあたりが元ネタか なお太平記「義貞夢想事 付諸葛孔明事」では孔明のほうが劉備や曹操より先に死んでいる模様
劉備三度彼の草庵の中へをはして宣ひけるは、
「朕、不肖の身を以て、天下の太平を求む。全く身を安じ、欲を恣にせんとには非ず。
只道の塗炭にをち、民の溝壑に沈ぬる事をすくはん為のみ也。
公若し良佐の才を出して、朕が中心を輔られば、残に勝ち、殺を棄てん事、何ぞ必しも百年を待たん。
夫、石を枕にし泉に漱いで、幽栖を楽しむは一身の為也。
国を治め民を利して大化を致さんは、万人の為也。」と、
誠を尽し理を究て仰せられければ、孔明辞するに詞なくして、遂に蜀の丞相と成りにけり。
劉備是を貴寵して、「朕有孔明如魚有水。」と喜び給ふ。
遂に公侯の位を与へて、其名を武侯と号せられしかば、天下の人是を臥龍の勢ひありと懼れあへり。
其徳已に天下を朝せしむべしと見へければ、魏の曹操是を愁へて、司馬仲達と云ふ将軍に七十万騎の兵を副へて蜀の劉備を責めんとす。
劉備は是を聞きて孔明に三十万騎の勢を付けて、魏と蜀との堺、五丈原と云ふ処へ差向けらる。
(以下、「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事) 斎藤道三みたいに親子二代で劉備やってるのかもしれない 信長にとっての韓信が光秀や秀吉だろう
家康は英布とかそんな所だろ。 >>303
劉禅じゃなくて劉備だから別にディスってない 秀吉自身が奸臣、逆臣だから家康が奸臣でも問題ない
あれ?
いや、まぁ戦国時代だからいいのか >>306
五丈原の時点で劉備も曹操も生きているのか
劉備が皇帝になってから三顧の礼だし、色々変わってるな >>268
大友氏の出身地でもある小田原でまた出てくるかもしれない >>299
むしろ太閤記以来秀吉主役の大河がこれだけあって
なんで羽柴四天王なり仙石秀久なりがほとんど存在感出てないのか気になる
というよりは、なんで歴史小説の類でここまで無視されてるのかって話でもあるが
個人的に似た話として、牛若丸の兄の今若丸ってそのまま死ぬまで寺にいたのかと思ったら
阿野全成として頼朝に仕えてたとか、全然知らんかった Twitterで石川五右衛門の逸話はやるの?って質問に宮下センセが答えてたな
もしやるとしてもゴンベ自身が五右衛門を捕らえた形にはしないつもりだそうな
まーそれが現実的よね >>319
ドラマとして扱えばクローズアップされる部下としては半兵衛官兵衛小6佐吉小一郎さんあたりの有名どこで十分で枠が埋まっちゃうからだろうな 江戸時代初期にかかれた、太閤記という偉大すぎるフィクション
だいたいこれで、秀吉が信長に見出される以前のイメージが固まってしまった 中井貴一が主演やってた梟の城って忍物の映画があったんだけど、敵の忍が石川五右衛門を名乗って最後に捕まって釜茹でにされるシーンがあるがちゃっかりゴンベもあの映画に居たんだろうか >>93
安倍川大井川流域は戦国末期から江戸時代初期にかけて堤防築いて、やっとましになった >>319
大正時代の豪傑物なんかには権兵衛単体小説も結構ある
九州征伐で島津義弘の陣に使者として向かい、放屁を食らわせて降伏させるとか
褒美も断って天下漫遊、北条家で大暴れしたり伊達政宗をへこませたり
関ヶ原では義のない戦じゃと中立を決めこみ、戦後は江戸城に乗り込んで
お前あんまり調子に乗んなよと脅して家康仰天させたりと
なろう小説みたいな内容だけど 九州もとい島津編終わったからいよいよ小田原編か
北条の過去にそこそこ時間使うんだろうな
晩年氏康、偉そうなだけで無能の氏政、その子氏直で
甲州征伐の時にやってなかった富士山見物の帰りに北条側が接待した場面やってほしいわ
面と向かっては信長に終始ビビって帰った後でぶつぶつ強がる小物氏政みたいなやつをw >>324
敵じゃない
味方の忍びが捕まって犯人にされたのだ さすがの司馬史観でも五右衛門=秀吉暗殺犯を捉えようとして逆に犯人にされてしまった
なんてことはフィクションと思われたか 反司馬史観(実は司馬の歴史談どころか、小説すら読んでないのバレバレ) >>327
あの朝倉義景や斎藤龍興を傑物として描く先生の事だ、
きっと氏政も名将として描かれるだろう
ご飯に汁、のエピソードは略www 義景は越前の引きこもりとか奴のブサイクな娘とかどこかの公家大名とかボロクソに言われてるんだよなあ ご飯に汁、のエピは出典があやしい上
他の武将でも同じようなエピがあるから
創作的流行だったとも考えられる 龍興はグダグダだったものの後に武将として目覚めた見せ場があるけど
朝倉義景はやっと自ら出陣したと思ったら滅ぶとか他作品でもヒドイ描かれようだねえ 朝倉のあの国力(と東西が不安な立地)で初期包囲網の攻勢担当だったんだから朝倉さんすごいとおもうよ(・ω・`) ほぼ対等な戦力で、信長秀吉明智に加え家康まで相手にして総崩れにさせたんだから朝倉氏はもっと評価されるべきやろ。
家康は三方ヶ原でウンコ漏らしたとはいえ、寡兵で勝負見えてたわけだし 汁かけ飯ネタは真田丸で思いっきり使ってたからな
最後切腹前にどばっと飯に汁かけて食ってた 朝倉は最終的に負けた事と同盟相手の浅井をフォローする犠牲で過度に低評価扱いになってる気がする 包囲網崩壊の戦犯として義景ディスってれば他の武将の面目保てるもんな 一乗谷に当時でも有数の文化都市を築き
越前一国を平安に治めてた訳だから
まるっきり無能という訳でも無いはずなんだけどね
相手が悪かった 義昭と一緒にさあ上洛という時に嫡男を亡くして一気にやる気が無くなったらしいね
嫡男生きててやる気バリバリだったらまた歴史変わったかもね 義景は平穏な時期に文化的な治世をさせれば悪くなかったんじゃないかな?
戦の気構えや心構え、状況判断、戦の機微などなど軍事全般が致命的レベルだっただけで >>344
息子が夭折したのは女の嫉妬だと言うから恐ろしい
呪詛あるいは毒殺らしい 武田信玄は、朝倉軍が信長軍との戦いで一時撤兵した事を激怒してるけど
長年、信長の同盟者だったお前がいうな、だよなぁ 武田義信「親父が今川と手を切って織田と同盟するから反逆したのに」
しかも今川氏真は織田の対武田戦に協力するし憐れすぎる >>345
半世紀くらい後に生まれていたら良き藩主としてやっていけてたかもな >>319
そもそも羽柴四天王なんて後世の創作だから。
お前そいつらの武功言えるか? そういや古渓さんのモデル誰だ?
明らかにイケメン外人だけどハリウッド関係か? >>345
一門衆の暴走を押さえられないタイプの君主は、平時でやらかすと思うよ >>319
そいつら主人公にして話描いても結局秀吉主人公の成り上がり話にしたほうが早いし
比較的記録があって見せ場があるゴンベでさえいろいろ無理しても主人公秀吉に取られたりしたんだから 秀長さんはどのタイミングで亡くなるの?
長生きしてほしいわ 義景の頃の朝倉家の繁栄は先代までの功績がデカかったからなー
俺も354と同じで平時でもイマイチだったと思うわ 朝日姫 天正18年1月14日(1590年2月18日)没
堀秀政 天正18年5月27日(1590年6月28日)没
小田原開城 天正18年6月4日(1590年7月5日)
豊臣秀長 天正19年1月22日(1591年2月15日)没
千利休 天正19年2月28日(1591年4月21日)没
鶴松 天正19年8月5日(1591年9月22日)没 年寄りばっかの下町だと毎月のように葬式があったりするもんだけど
身内や親戚や親しい人間がバタバタ逝くとけっこう滅入るもんだよね あかん
へうげものの利休のインパクトが強すぎてもう @ソバカス合流、軍団再結成
A家康との再会
B小田原復帰戦
C秀吉と再会(エンディング)
盛り上げ所はたくさんあるし、ラストスパート頑張ってほすい 秀吉は気の毒かもしれないが
秀吉の八つ当たり的な行為のために、犠牲になった人々はもっと気の毒ではないか
ほら、落首事件で容疑者(らしい)人が住んでた、というだけで区画破壊された町の人々とか
秀吉は暴君 秀吉じゃなくても誰でもジャパンドリームかなえたらああなってくものじゃないかな
現代の宝くじ一等当たったその人やその家族のその後みたいなもの 同じく底辺出身の権力者といっても
誰が見てもおかしいだろというような極端な行動に走らなかったという意味では
伊藤博文と田中角栄はマトモだったろ ユガすればええんじゃ
ユガして天地と一体になれば、小さな個人の欲望から解放されるんじゃ
と、いわれとるが実際はどうなんかのぅ 伊藤博文は女狂い
田中角栄は金狂い
まぁ、確かに一時の感情や勢いで、多数の人命を奪う秀吉よりはマシだろうが…
まともとは一体…… >>376
太守、好きだな。赤橋との別れが涙を誘う 人間の生死も簡単に決められる信賞必罰の絶対的な権限持ってる秀吉と
やれる事と言えば汚職蓄財ぐらいの近代国家の一政治家を比較する事自体が基地外だろ
そりゃ価値観も今とは違うし強権持ってりゃちょっとした事で人命奪うのは当たり前だろう
信長だって何人の無実の人間殺してんだって話だわ >>380
大河の予想外怪演と言うと高時のおでんと、義昭の青田典子だなぁ >>380
赤橋との別れで思い出したが、赤橋は矢を撃たず決死の戦法だとドラマで言ってたけど
どうせ死ぬ覚悟なら島津の死兵みたく矢を撃ちながら突進する方がもっと効果的なのでは?
と戸次川編を読んで思った どう死ぬか、はその本人だけのものなんだ
他人がどうこう語れる話じゃないんだ
と、いうかだいたいの人間は、自分の死と向き合うことすら拒絶するものなんだ >>373
そもそも独裁的な権力ないやん
角栄は新潟河川敷で儲けたぐらい 三権分立「権力の一極集中はゆるしまへんで?」
現代だとスターリンとかじゃね、底辺から立ち上がった狂気の帝王
まあ底辺言っても高等教育は受けてるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています