>>602
確かに薩英は基本だね!
イギリス本国では当時艦隊に対する風当たりが強くて敵兵は全然倒せてないのに民草の町は焼いたと怒られてビクトリア女王も呆れてたとか言われる
そもそも幕府から賠償金を既に受け取っていたのにおい銭を求めて火傷して貴重な人材と艦、そして外聞を損なったと見られたそうな
あの時勢だと異民族相手には圧勝して当たり前な時代なので、こういう判断になるらしい
ニューヨークタイムズ等にもイギリス艦隊側がボロクソに扱き下ろされてた
授業ではあまり触れないのだけどイギリス艦隊はあんだけバカスカ砲撃してたのに薩摩側の死傷者は意外と少ないんだよね
後々過度の侵攻計画追求が無かったり、講和交渉後の関係深化なんかもこのときの風向きの影響もあるとかなんとか
講和講談で薩摩側が謝罪の形を断り、幕府の薦めでやっと軍艦買うからそこから手数料として引けと言ったのを聞いたイギリスはむしろ薩摩が躍進すると見て人材交流を深めたとか
戦争国家英国だけあって気骨と勝馬を見てるんだなと思ったものだった
実際、彼らの鑑定眼は正しかったんだよね流石としか