兄ちゃんの消息としては
応仁の乱の40年後の永正6年(1509年)に足利義稙(義視の子)が備中の国人を味方にするために近侍の二階堂政行、上野民部大輔、伊勢左京亮を派遣したとの記録があり
伊勢左京亮貞信は小田郡江原村高越山に在城している。伊勢左京亮は荏原荘に所領を持つ武将で新九郎の兄の貞興の息子と設定できる。
このパターンだと兄ちゃんは義視から離れられずに仕え続けて、その息子の義稙(義材、義尹)の世代まで仕えて、義視・義稙の流浪の生涯に付き合うことになる。
この場合は兄ちゃんスピンオフをつくれるぐらい、波乱の人生になる。
兄ちゃんは早死にや廃嫡の憂き目に遭わずに済むパターンもありうるね。