【モーニング】山田芳裕 『ヘうげもの』 最期之席
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全部やるとしたら清正が具志堅やるのは難しいだろうな、迫真の演技の回もあるし 茶碗をバリバリ食ったりロケットパンチを繰り出したりするもんな とにかく第一話〜信長「ひょうげたやつよ!」までを実写で見てみたい。
30分や1時間じゃ短すぎる気もするが…2時間ドラマならちょうどいい気がする 第一話から攻城シーン出て来るし
昨今の全部スタジオセット撮影で済ませる
日本の歴史ドラマだとしょぼいのが出来上がりそう 25巻読了いたし候。すごい盛りだくさんだった
72と75に拳で語り合わせるとはねwおせんさんの最期はさすがに目から汗が出た
>>720そもそも金時殿覚醒が流せないのでは? アニメじゃ勃起はどうしていたのかな、利休死亡までさほど勃起していなかったわ 織部は最後で家康から笑いを取ることが出来たな
まさに笑ったら負けというやつか >>670
なるほど。抹茶オーレで和洋折衷かと思ってた 清正は井戸食った後の
「ちょっちゅ!」って皆に檄とばしてるところが
一番かっこいい 不甲斐ないプレーに星野監督は選手に檄をとばした、は誤用か >>731
そっちが新しい用法だね
円陣組んで「おい○○、檄れ」って感じで使ったり 7割以上の人がもう
はっぱをかける元気出るよう煽る的な意味で使ってるから
もう言葉の意味は移ろってる
確信犯や敷居が高いと同じ
昔に無理に拘るのは齟齬の元 とはいえ本来の意味はなんであるのかを知らないまま漫然と使うのもまた無粋の極み
来歴を知り変遷を知り要所要所で適切な使い分けができるのが粋というもの 〔人を呼び集める主旨をしるした木札の意〕
人びとを奮いたたせて、積極的な行動をとるように勧める文書。
「―を飛ばす〔=檄を書いて、決起を促したりする。俗に激励の意で用いるのは全くの誤り〕/―文」 >>731
檄文は決起を促す文書だから
731は本来の用法と今定着してる誤用との過渡的な使い方だな
1 主張や思想をアピールし同意を求めるもの
2 ≒決起を促すためのもの(1で主張が現状打破だったりする場合)
3 そこから派生して>>731のように集団に対し現状打破や反省を促すこと
4 さらに解釈が広がって集団に対しはっぱをかける、叱咤すること
5 そこからさらに広がって、がんばれと応援すること
みたいな変化をしてるんだろう
3あたりから誤用だけど今や完全に定着してしまって
1寄りの意味だと思ってる人より5寄りの意味だと思ってる人の方が多いくらい 孫にも衣装
袖振り合うも多少の縁
情けは人のためならず >>715
家康くぅん・・・
僕のお友達の織部君が帰ってこないの・・・
織部君帰ってくるよね?
きますよね?>>715 大谷殿を味方につけるためにみっちゃんが鼻汁の入った茶を呑むというプランはわかった
しかし前田殿がその前にかまわんかまわんと茶を飲んでしまった場合はどうする?
対策を言え 仮定の話にはお答えできかねますので回答を控えさせていただきます あらゆる事態に備えて策を講ずるは軍師の務めであり常に準備万端たるをめでたきと思えばこそぜひお答え願いたく候うものなりて 真の策とは帷幄の中に巡らすもの
さすれば軽々に口外するは策を壊すも同然
ことが済んで後には自然とわかりましょうぞ 喧嘩稼業ネタに自然にへうげネタで返す…こやつら中々の数奇ものぞ うちの市の市長選
両陣営とも具体案無くてどっちも入れたくない
安心のできる町作り
高齢者にやさしい町に
子供が元気で明るい町に
んで具体案聞いたら、そこは市民の声を真摯に聞いて、柔軟に対処していきますだとよ 上田殿「あったよ、蚊遣豚が!」
又兵衛「でかした!」
へうげもの
終 あの蚊遣豚作ったの国松くんだといいなあ。今際の際に伝えよと命じられた秀吉の「楽」が織部をのひょうげを通してお孫さんに伝わっていたら素敵。 織部が腹に刀ぶっ刺したあとも生き延びてあの蚊遣り豚を作ったのか
それともあれは秀頼の作か
それは想像の余地があるように描かれてると思うけども
いずれにしても織部が切腹の場で家康から一笑取ったからこそ、その誰かが生き延びることが家康に許されたんだろうね
僅かな毒として
ひょうげて和をなせぬはずがないという信念を最後に結実させた形か 生き延びたのが間違いない
豚についても織部は少なくても直前まではそこにいた感じ おせんには手紙を渡しているから14年くらいあとは生きていたみたいだし >>746
〉両陣営とも具体案無く
実現したら嬉しいorメリットのある方に投票すればよろしおますがな
何を小難しゅう考えておわすのや 上田殿と又兵衛が琉球に渡ったのが1650年
恩納の浜際に住んでいたという老人が南方に渡ったのはその十数年前≒1635年頃
○1635年時点の年齢(生きていたら)
古織:89歳
秀頼:42歳
国松:27歳
蚊遣豚を作ったのは古織の指導を受けた秀頼か国松という可能性はあるけれど
「老人」というのはやはり古織を連想させるように描かれていると思う 読み終わりました〜
よかったです
秀忠の「父上の替え玉を用意し申す」にしびれました うんこ漏らすことで家康大笑いって、自身がよく脱糞したこともあるのかねえ?
家康のなかじゃ織部って自分では分からんけど息子ですらすごいって認めたすげえ嫌なやつだった、ゆえすごい嫉妬していたんだろう 関ヶ原以降で一番成長、あるいは変化したのは秀忠だよなあ
それまでは家康を更に硬くした感じだったのに >>737
孫だと用法云々じゃなく違う言葉じゃないのか? 無知で疎いのですが
風神雷神図屏風を家康と織部に見立てた説みたいなのは今までにあったんですか?
いやー、確かに風神はにかっと笑っているように見えるし
緑色だし・・・
すごいなーと思いました たぶんないと思う、というか織部研究自体がなかなか進んでいなかったゆえ >>758
底で認めてたとしても自分のアイデンテティと衝突する人間だからな あんなかたくなになっていて家康が織部の脱糞のおかげで笑って死ねるのは良かったなと思う
死ぬ間際に「毒も役に立つ、秀忠に聞け」っていうのもひょうげている 25巻購入、24巻と合わせて何度も読み返してるわ
個人的に好きなのは大野治長たちの末期の茶席
美味いもの(毒だけど)食って笑いながら逝ったのはちょっとカッコ良かった
どうやら秀頼の身代わりも無事務められたようだし 電子コミックで購入したまま読むのをためらっていたけど今やっと読み終えた
南へ南へと旅し続けたのは海の色に魅せられたからって感じかな
でもあそこじゃ茶を点てられなかっただろうからそこだけ心配だ
大河ドラマで興味持ってた秀忠も江と初も活躍したし茶々も最後は少しいい人に描かれてよかった
大野も最後だけは粋に見えてよかったw
おね様おせんさんはこの漫画にずっと安らぎを与え続けてくれてよかった
利休師匠は最後までご苦労様でしたm(__)m あの利休パンチは
今さらこんなこと教えさせないで欲しいですな
ガラにもなく悟ってないで最後の客をもてなしてきなさい的な愛と励ましを感じた さあ 次はいよいよ 度胸星の続きを・・・とはいかんのですかね・・・・
テセラック・・・ 有楽斎さえ本当のことを知ってるっぽいんだから
誰か上田殿に教えてやればよかったのにと思わないでもない
ゲヒ殿を訪ねて三千里をさせるにはそういうキャラを残さなくちゃいけなかったんだろうけど はやく新しい連載が始まらないと漫画板から追放されてしまう みんな揃って上田殿と又兵衛には内緒にし誘導するという息の合った連携プレイ 遠い地で働いてた又兵衛はともかく
上田殿が微笑組に入ってないなんてどうかしてる まだ存命中の宗和は知っているのだろうか、コボが教えてくれそうだけど 又兵衛の創作物語は結局投げ出されてしまったな。
当初の流れでいくと大阪陣図屏風絵(今的な格調をみても宗達のと国宝同士)が
最重要になるっぽかったけど、
それも途中で作者が「これやっぱ違う」って判断して、予定変更したのかね。
それは食うためのビジネスでやるって風に堕してたからな。
じゃあ本命は何?ってことになるが、物語の流れに適合したようなそれが
見あたらなかったんだろうな。
三十六歌仙も洛中洛外図も又兵衛の死線の経験が生かされてる感じではないしな。
又兵衛といえば、初登場時にちょっと台詞で書かれてたような
生々しい血の絵、だもんな。
それがらしくていいはずんだが、宗達に相対する高みに据えられなかったんだろう。 >>778
へうげもの織部が大好きで堪らないというのがあふれでる良い文だった >>770
差出人不明の手紙で察することができなかっただけで
おせんや有楽と同じように扱われてると思うよ ヤマカムはえろげにハマる時間がなければ天下を取れた逸材 手紙ですぐ察することができる時点で有楽斎も親友だよなあ
しかしへうげの有楽斎は惰弱嫌味卑劣なところが多いのに、好感がすげえ持てるいいキャラだったわ
最後に家康に思いっきり反感を出すところも 秀頼の詠んだこの歌
和歌の道にひかりをそふる玉津島 神のめぐみもつきぬことのは
これは誰が詠んだ歌なの?
作者はこの歌を詠んだ人を、後の秀頼としたのかなと思ったんだけど・・・ 徳川頼宣の「和歌のうらに 光をそふる 玉津島 はしなき道の 末も頼もし」のパロディかな(今ググってみた) あれは多分作者オリジナル
和歌におけるテンプレみたいな言葉の寄せ集めなんで
それで秀頼の歌道の未熟さを示してるんだと思う
本人も精進しなきゃって自覚してたし >>785
歌そのものはヒットしないですよね〜
>>786
なるほど〜 ありがとうございます >>777
又兵衛はこの漫画において、最も重要な人物です
俺には、作者が自分を又兵衛に移入しているとしか思えないんです
それゆえにそれほど多くは語らない
又兵衛は浮世絵に影響を与えたと思います
その浮世絵は、今の漫画に通じている・・・これが山田史観ではないでしょうか?
漫画の祖としての又兵衛
そう考えると、いかに作者が又兵衛を愛しているのかわかりますし
そこが、作者にとっての、ひょうげものの最大の意義ではないのかなと思います
又兵衛の創作物語が表だって語られないのは
作者には、又兵衛の仕事は俺が継ぐという静かな意志があったのでは?
そして、それが提示されたのが、この漫画です
蚊遣り豚に織部を感じるように
この漫画には又兵衛を感じます >>778
この漫画の風神雷神ネタは凄かったが
それが最終巻のカラーリングにまで繋がってるのを気づかせてくれた>>778も良かった
そういえば元々コミックスの色にもこだわってる漫画だったし 三成にひとこと頼んだと言われた福島が、
豊臣の血を匿う気概を見せてくれたシーンが大好きだ COOL JAPAN「戦国武将〜Sengoku Warlord〜」
BS1 2018年1月28日(日) 午後6:00〜午後6:45
http://www6.nhk.or.jp/cooljapan/
ゲヒ殿は出ないんだろうなあやっぱり >>788
浮世絵に繋がる継承の描写は無いんだよなあ 宗達の絵のよさが理解できずに又兵衛に聞いてたあたりは織部自身も新世代についていけなくなりつつあるようにも見えた 光悦が筆を生業にしている者でないとこの衝撃はわからない的なことは言ってたね。
烏丸光広も似たような反応を示していた。 宗達は理解できてたがな
そしてその織部の求める志向を実現しつつある 宗達が織部の美を、ではなく
織部が宗達の美を、と言う話だろ
織部は宗達の蓮池図を「まだまだ」と言った
そのときの又兵衛、光悦、烏丸は「自分はそうは思わない、これは極まっている」という見方だった 綺麗なモノが好きな貴族の鳥丸や
まだ綺麗な趣味から脱せない光悦(自分でそう言っている)らには、
まだ綺麗に描こうとする心性が残ってしまってる宗達の作品は
特に響いた面があるってことだな。
それはそれで好みの問題にもなる話だろうし。
烏丸の反応は国宝の名作に対する作者の敬意でもあるだろう。
ただ、作中では結局、宗達は織部が目指せという破れ袋の美に追いつかんとして
どうやら追いついたわけで。
結局、蓮池水禽図には留まってはいない。
風神雷神図がその先のさらなる高みにあった。
織部や宗達の視点を持てない人たち(かつての鳥丸、光悦?)が
どう捉えるかはまた別の話として。 >>798
めんどくせえなあんた
「織部助はそう言うが」って発言の意訳だよ 現代人に
「蓮池水禽図と風人雷神図、どっちを部屋に飾りたい?」
つったら、蓮池水禽図の方が多いんじゃないかな?w
理由は 綺麗 だからw
水墨画という手法に安心な権威を感じるから
同様に、現代作家の安い水差し、例えばこんなん
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0309/users/4/7/9/9/yume_gallery-img700x500-15064016779uo64w27580.jpg
と破れ袋とを選ばせても、
前者選ぶだろうしな。
風神雷神や破れ袋ってそんな位置になるもんだろう
皆の目線が及ぶ位置にあるもんじゃない、みたいな >>802
うぜえなあんた
って同じレベルで返して欲しそうにしてるな・・・まあやめとくわ 破れ袋についていけんといった茶々の気持ちはまあ分かる、前衛的過ぎる、渡りゼロの景十だし
大野が「水が漏れぬように漆で閉じました」と言ったら秀頼が「つまらん」と言ったのはちょっと分かるけど >>804
>>798の誤解と決め付けを訂正したのだ。
書いておいて「やめとくわ」っていうのが冷静な大人のレスなら、それを理解できなかったおれがすまなかったが。
なぜあんなレスしたのかはとりあえず言わせてもらう。 利休パンチの前のコマ、中段右って蒲生氏郷だよね?
最期に思い起こすほど織部と深い関わりだっけ? >>808
仲は良かっただろ
死を悼むシーンがちゃんとあったり2人きりって無いけどチョイチョイ一緒に居たし
7巻の表紙の四人、高山は織部視点では生死不明だから唯一の死者が蒲生だし >>808
利休七哲と呼ばれた同士だし関東攻め辺りでは数寄武将の一員としても仲良さげだったやん
その後絶交からの和解もあったし思い出の中に入ってくる一人ではあったんだろう
まあ爺になるまで悪友として付き合った三斎様や有楽と比べると薄く感じるけどさ >>810
>>811
そうか悪友感が無いからどうも影が薄く感じるのか
つってもあのコマに悪友たるはいないけども
蒲生は伊達との関係のが印象深くてなぁ
織部とのやり取り忘れてきてるから読み直そう >>809
幼い秀忠が登場した回で茶杓を折ったのを見て
「ああこらあかん、家康秀忠に睨まれて氏ぬんだな」と思っただけに
終盤で秀忠が数奇の沼にズブズブに入ってたのはなかなか驚きでしたわ 織部がおべんちゃらで褒めた台子を
最後まで使ってたのが微笑ましいな
もしかして織部すらも、天道虫の襖みたく
後から「やっぱ結構いいかも」と思いなおした可能性が? 思い出の中の太閤の笑顔にグっと来た
一番人間くさくて好きだったわ >>814
葵の紋の盆は褒めていたな、弓矢の台子はつまんねだったけど 木下家19代当主・木下崇俊「大坂の陣で殺された豊臣秀頼の遺児が生きていた?」
https://dot.asahi.com/wa/2016011500061.html?page=2
>わが家の言い伝えは、秀頼に関しては触れていません。
>ただ、鹿児島市の木下郷と言われていた集落には、こんな話が残っていたそうです。
>大坂夏の陣が終わると200人以上の集団移住があった。
>移住してきた人々は、どことなく高貴な人たちで、農業や商売をすることもなく、
>飲み食いをしても、その代金を払うこともなかった。
>あとから島津家の者がやって来ては、その分のお代を払っていったことを考えると、
>移住者たちは秀頼とその家臣たちだったのではないか──。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています