【モーニング】山田芳裕 『ヘうげもの』 最期之席
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渋柿の熟したものが甘々で美味しいです
よい器に盛って、お茶と一緒に頂くと幸せです 安土盛り普通に美味そうだよな。フルーツにヨーグルトなんてヘルシーだし、ヤスも後年は密かに食ってたり あの饗応で一体なにを出してたら当時の家康のハートを射抜けたんだろな
普通に魚に味噌塗って焼いたのだしたのだけじゃ反応薄いだろうし >>197
きょうしょしだい いたくら「※こら おまえ いま どろぼうしようと してただろ」 このスレは独り者ばかりのスレである。>>187が
このような妄想に耽るのを見て見ぬふりをする情がこの
スレの人間にも存在した
元ネタ
https://i.imgur.com/U8xNsgJ.jpg 「やはり幸せ者は滅ぼさねばならぬ…」という三択老師がリアルで存在する世の中なので… このまうコミックス全部買って今やっとスローイングゲヒ殿にお目にかかれた
アニメスレに出入りしてた時に住人が原作話で盛り上がってたシーンだったから感無量w 徳川の、最高のもてなし=山盛りの飯とおかずって考えは終始変わらずじまいだったな
唯一の例外は大坂の陣直前に大蔵卿の局をもてなした時くらいか >>211
茶なぞ飲めたら良いと、麦焦がし飲んでた位だからなあ
晩年まで健康に気をつけて麦飯食ってたって話だし 年に一回山盛り飯をみんなで食べるって行事や神事があちこちに残っているくらいで
暮らしの厳しかった時代はただそれだけで華やかなものだったとか聞いたなあ
でも家康が頑ななレベルで山盛り飯こそ至上とばかり刻み込まれた経緯は今一つよく判らずじまい 一応は利休のもてなしを受けて
上等で高級なものをひけらかすような嫌みを見せないよう、少なめにほどよい量をだす
というのを体感して理解している上でなおあの玄米爆弾貫いてるからな
もはやあれはそういうポリシー
でもそうやって山盛り出したやつを秀頼が片っ端からガバガバ平らげてるシーンは気持ちよかったよなぁ 玄米爆弾には山盛りの魚の切り身がもれなくセットで付いてくるが、あれは鮭の塩引きかな
塩気利いてりゃいいって貧乏舌だしw
>>213
今川の人質時代、貧乏暮らしの家臣団見た反動とか?>山盛り至上主義 過度な装飾や贅を尽くすことが体質的に受け付けないから
とにかく量出せばスゲー的なわかりやすい方向に行ったのかなと 読み返して見ると、ひょうげの魅力を先に発見したのは上田殿なんだな。
4巻で瀬戸黒そっくりな焼きよりハート幟の方がときめくと言っている。 コミックス一気読み中でゲヒ殿のご命日()まで2年を残すところとなって
あのキャラやあのキャラに余計なことするんじゃねええええって思いながらハラハラして読んでる
このあたりほぼ出番ないけど有楽斎は自分の息子の躾を他人にやらしてんじゃねーよw 安土の饗応は徳川家にとっては微妙な時期の出来事
ちょうどこの頃、元々織田徳川は同盟国だったのだが、力関係の変化で徳川が織田配下扱いになった
ただし、力ずくではなくて信長側も徳川に物凄く気を使ってる
史実の饗応だと家康一行の食膳を信長自ら運んで、徳川を尊重してますよアピールをきちんとやったくらい
さらにいえばその前に浜松で家康が信長を饗応して、その返礼で安土に招待する流れでもあった
そういう饗応だから、家康好みで質素にしちゃうと政治的にアウトという難しいシチュエーションなわけで
当時のゲヒには荷が重かったかな 質素に見えて実は材料を厳選しすごい手間をかけてる
…なんて美味しんぼ的な饗応は当時当たり前だっただろうねえ
タイムスリップした現代人のシェフでもいればってもうそういうマンガあった 基本的に鮮度を保つ手段のない時代だから、食材をみればどれだけ手間暇かかった料理か
即わかるんだよな
文字通りの「御馳走」 >>215
当時の鮭って貴重品じゃなかった?
つべをまわってたら、昔の大河の太平記で陣内孝則が闘茶をやってる動画があった。 最上義光が鮭様と異名が付くほど大好きだったとわざわざ記録に残ってるね
通好のあった家康に塩鮭を贈答していたそうだしここ一番の宴席じゃ出してたかな 鮭はかなり北じゃないと捕れないだろ
ニジマスやヤマメじゃ鮭の代わりにはなれないよなぁ
しょっぱい新巻鮭を焼いて肴にチビチビやるのも乙なものでござるよ
個人的には昆布の流通の話のほうが衝撃的
北海道の昆布が沖縄までいってるとか凄すぎやろ >>232
その流通路にコンブロードなんて名前がついているのもある意味衝撃 サケといえばイクラがすごい高くなってるね〜
昔は保存できなくてイクラなんかは地元でしか食べてなかったんだろうね
醤油だって全国流通が始まったの江戸時代だし マグロだって昔は下魚だったんだし技術の進歩で食材の価値なんて変わるんだろうね 冷蔵庫ないってのは辛そうだよね
夏に冷たいビールとか飲めない人生 >236には載ってないけど九州最北部で獲れた話も以前見た 昔はサンマなんてそのまま焼いてくうかミリン干しにするもんで刺身なんて無かったよな
今は当たり前に刺身があって寿司にもなってる >>237
君は東北以北って書いてたでしょ
前言をひるがえさないように あーこの季節になると安いかまぼこうってなくて腹立つな
良い材料使ってるとかいうが、かまぼこは味は二の次なんだよ
足だよ足の強さを楽しむもんだ 23巻まで読み終わった
24巻を読むのは心臓に悪そうだから25巻が届いてからにするわ 常識的に考えて、家康が信長の饗応をぶちまけることも、文句言うことも、出来るはずがなかった
息子を処刑しろとの命令にさえ従順だったのに 魚の価値は時代で変わるというが
鯛がご馳走なのは変わらないんだな 家光の代に織部の弟子でもある毛利秀元が江戸城に鮭の切り身入り弁当持っていったら、珍しがられて蜂須賀他の大名とかに殆ど取られてしまったというエピを見たことある 鰹ほど日本人に特別視されたお魚がほかにあろうか
勝男武士とか言われたら武人ならまるごと食っちまうね 関係無いけど正宗の好物が伊達巻きと聞いて最初洒落かよwwと思ってたら
伊達政宗が好んだから伊達巻きって云うのなw >>254
「飯盛りの侍」では、戦国時代は鯛は高級魚ではなかったようにかいてあった。 >>260
書いといて何だけど由来は諸説あってその説はちょっと怪しいらしいw
当時の正宗が何食ったとかの文献に卵料理が無いとかで
帯の伊達帯に似てるからの方が信憑性があるかな
>>261
その漫画?は知らんが魚の格付けについてはこの辺が分かりやすいかな
ttp://fudoumyooo.fc2web.com/syun/kaisetu_syun/edojidai.html 確かに鯛が縁起物とされたのは江戸時代以降って書いてあるね ある程度世情が落ち着いて、金さえ出せば遠方のものでも取り寄せが利くようになったから
高価=高級ってなっていったんかね >>258
鯉「水墨画の定番ネタにでもなってみいや」 築地場外市場にて地元の魚も蒲鉾も売っておる俺がこんばんは
おのおの方も縁あらば会いませうか キスは鱚って字に喜が入ってるから将軍の食事に毎日出されていたというね
コイは小位でタイは太位で上とか将軍家でいろんな縁起担ぎが生まれたのも江戸時代
家康からすると何やってんだって感じだろうけど >>269
渋い顔をしながら黙々と食べている絵が浮かぶ >蜂須賀
そりゃそうだろうby明治天皇(葉巻を隠しつつ) >>250
息子の処刑の件は信長の指示じゃないというのが有力になってない? >>275
家康が自分の意志で信康を切腹させて、そのとき信長に断りを入れた説が有力
ただ、それ以上のことは諸説紛々。父子で何かトラブルがあったんじゃないかというくらいで じゃぁ信長にチクったとなっている信康嫁は関係ないんかな
ていうか、信康に非があったから信長への手前殺さざるをえなかったんなら、信康濡れ衣説が改められたってことか 戦の負担に耐えかねた老臣に嫡男が言いくるめられて謀反を企て…って他の大名家でも起きてるね
武田家の謀反騒ぎじゃ嫡男を首謀者として処刑することで家中を収めてるから似たようなパターンかも
家康の家中でも信長に対していろいろ不満を抱えた家臣も多かったようだし 長篠合戦後も武田家は大勢力だし
織田徳川にとって東への押さえとして徳川は不可欠の存在だから、当時の情勢で信長の気まぐれとか陰謀とかで徳川の嫡男を殺すなんて無理がある
そこまで当時の織田は強力ではなかった。逆ギレで徳川武田と組んで刃向かったらと思うと、な 信康は地筋が火種抱えてる。
煮え湯飲まされてきた今川旧家臣団を吸収して勢力下に置いたはいいが、信康の代になって三河譜代組がどういう扱いを受けるか分からない。 劉邦「気に入らない息子は捨てればええんやで。お気に入りの息子は別やけど」
呂雉「(こいつがくたばったら意趣返ししたろ)」 >>284
鮭を思う存分食べるために庄内にこだわったとかとんでもないこと言われてるしな 黄門さまは鮭の皮の厚さが3cmあればよいのにと言ってたらしい 一寸の厚さの鮭の皮話は黄門さまより伊達政宗が先らしい
前田利家は畳一畳の鮭の皮なら城と交換すると言ったそうな
さらには鮭の皮なら一里でも食べられるとも
秀吉や家康も大名から鮭を献上されて喜び感謝する旨の書状が残ってる
それから毛利秀元の鮭弁当強奪事件の犯人の中にあの林羅山がいる 鮭の皮が美味しいんじゃないかって人と皮なんか食べないって人が当時から分かれていたみたいだね
有名どころの武将は鮭の皮大好きって人が多いようだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています