【モーニング】山田芳裕 『ヘうげもの』 最期之席
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最期までおせんさんに苦労かけおって
息子らは族滅され >>168
日本でも東北の女性は「はんこたんな」といって、
顔を覆う布をしていて、目だけを出す。
東北美人を漁ってた色好みの殿様に顔を見られるのを防ぐために 他の男をその気 にさせないよう、目につかないようにするって意味では同じなんだな >>177
イスラムでは女に人権がないとか女にとって男はみんなテロリストって話なのに何言ってんだ >>147
「寛容」というのは「逆らわない限りにおいて目こぼししてやる」という「態度」のことだよ
相手の「権利」を自分のそれと「対等に」認めているわけでは決してない みんな、こういう時はこう言うんだ。
「この葡萄酒美味しおすなあ」
改めて最初から読むと、秀吉が利休に染まって日焼けして黒くなったり、
安土盛りで利休が家康を測ろうとしたり気づかなかった点が多いな。 そろそろクリスマスですぞ
皆様方はなにか催しものの予定でも?
それがしは毎年カップルに石を投げることにしており申す >>187殿、江戸においては非モテ同盟とやら言う団体がデモ行進を行うそうな
その場に居れば乙な思いができるやも… 秀吉の日焼けってそういうことだったの?!ずっと屋外で戦争してたから焼けたんだとばかり 俺はクリスマスに安土盛り作って食う
要はフルーツのヨーグルト和えだ >>190
まぁ普通そう思う罠。新庄みたく日焼けマシーンでもあれば別だが。
>>187
今年は陸王三昧。打倒アトランティスでクリトリスどころではないわ。 渋柿の熟したものが甘々で美味しいです
よい器に盛って、お茶と一緒に頂くと幸せです 安土盛り普通に美味そうだよな。フルーツにヨーグルトなんてヘルシーだし、ヤスも後年は密かに食ってたり あの饗応で一体なにを出してたら当時の家康のハートを射抜けたんだろな
普通に魚に味噌塗って焼いたのだしたのだけじゃ反応薄いだろうし >>197
きょうしょしだい いたくら「※こら おまえ いま どろぼうしようと してただろ」 このスレは独り者ばかりのスレである。>>187が
このような妄想に耽るのを見て見ぬふりをする情がこの
スレの人間にも存在した
元ネタ
https://i.imgur.com/U8xNsgJ.jpg 「やはり幸せ者は滅ぼさねばならぬ…」という三択老師がリアルで存在する世の中なので… このまうコミックス全部買って今やっとスローイングゲヒ殿にお目にかかれた
アニメスレに出入りしてた時に住人が原作話で盛り上がってたシーンだったから感無量w 徳川の、最高のもてなし=山盛りの飯とおかずって考えは終始変わらずじまいだったな
唯一の例外は大坂の陣直前に大蔵卿の局をもてなした時くらいか >>211
茶なぞ飲めたら良いと、麦焦がし飲んでた位だからなあ
晩年まで健康に気をつけて麦飯食ってたって話だし 年に一回山盛り飯をみんなで食べるって行事や神事があちこちに残っているくらいで
暮らしの厳しかった時代はただそれだけで華やかなものだったとか聞いたなあ
でも家康が頑ななレベルで山盛り飯こそ至上とばかり刻み込まれた経緯は今一つよく判らずじまい 一応は利休のもてなしを受けて
上等で高級なものをひけらかすような嫌みを見せないよう、少なめにほどよい量をだす
というのを体感して理解している上でなおあの玄米爆弾貫いてるからな
もはやあれはそういうポリシー
でもそうやって山盛り出したやつを秀頼が片っ端からガバガバ平らげてるシーンは気持ちよかったよなぁ 玄米爆弾には山盛りの魚の切り身がもれなくセットで付いてくるが、あれは鮭の塩引きかな
塩気利いてりゃいいって貧乏舌だしw
>>213
今川の人質時代、貧乏暮らしの家臣団見た反動とか?>山盛り至上主義 過度な装飾や贅を尽くすことが体質的に受け付けないから
とにかく量出せばスゲー的なわかりやすい方向に行ったのかなと 読み返して見ると、ひょうげの魅力を先に発見したのは上田殿なんだな。
4巻で瀬戸黒そっくりな焼きよりハート幟の方がときめくと言っている。 コミックス一気読み中でゲヒ殿のご命日()まで2年を残すところとなって
あのキャラやあのキャラに余計なことするんじゃねええええって思いながらハラハラして読んでる
このあたりほぼ出番ないけど有楽斎は自分の息子の躾を他人にやらしてんじゃねーよw 安土の饗応は徳川家にとっては微妙な時期の出来事
ちょうどこの頃、元々織田徳川は同盟国だったのだが、力関係の変化で徳川が織田配下扱いになった
ただし、力ずくではなくて信長側も徳川に物凄く気を使ってる
史実の饗応だと家康一行の食膳を信長自ら運んで、徳川を尊重してますよアピールをきちんとやったくらい
さらにいえばその前に浜松で家康が信長を饗応して、その返礼で安土に招待する流れでもあった
そういう饗応だから、家康好みで質素にしちゃうと政治的にアウトという難しいシチュエーションなわけで
当時のゲヒには荷が重かったかな 質素に見えて実は材料を厳選しすごい手間をかけてる
…なんて美味しんぼ的な饗応は当時当たり前だっただろうねえ
タイムスリップした現代人のシェフでもいればってもうそういうマンガあった 基本的に鮮度を保つ手段のない時代だから、食材をみればどれだけ手間暇かかった料理か
即わかるんだよな
文字通りの「御馳走」 >>215
当時の鮭って貴重品じゃなかった?
つべをまわってたら、昔の大河の太平記で陣内孝則が闘茶をやってる動画があった。 最上義光が鮭様と異名が付くほど大好きだったとわざわざ記録に残ってるね
通好のあった家康に塩鮭を贈答していたそうだしここ一番の宴席じゃ出してたかな 鮭はかなり北じゃないと捕れないだろ
ニジマスやヤマメじゃ鮭の代わりにはなれないよなぁ
しょっぱい新巻鮭を焼いて肴にチビチビやるのも乙なものでござるよ
個人的には昆布の流通の話のほうが衝撃的
北海道の昆布が沖縄までいってるとか凄すぎやろ >>232
その流通路にコンブロードなんて名前がついているのもある意味衝撃 サケといえばイクラがすごい高くなってるね〜
昔は保存できなくてイクラなんかは地元でしか食べてなかったんだろうね
醤油だって全国流通が始まったの江戸時代だし マグロだって昔は下魚だったんだし技術の進歩で食材の価値なんて変わるんだろうね 冷蔵庫ないってのは辛そうだよね
夏に冷たいビールとか飲めない人生 >236には載ってないけど九州最北部で獲れた話も以前見た 昔はサンマなんてそのまま焼いてくうかミリン干しにするもんで刺身なんて無かったよな
今は当たり前に刺身があって寿司にもなってる >>237
君は東北以北って書いてたでしょ
前言をひるがえさないように あーこの季節になると安いかまぼこうってなくて腹立つな
良い材料使ってるとかいうが、かまぼこは味は二の次なんだよ
足だよ足の強さを楽しむもんだ 23巻まで読み終わった
24巻を読むのは心臓に悪そうだから25巻が届いてからにするわ 常識的に考えて、家康が信長の饗応をぶちまけることも、文句言うことも、出来るはずがなかった
息子を処刑しろとの命令にさえ従順だったのに 魚の価値は時代で変わるというが
鯛がご馳走なのは変わらないんだな 家光の代に織部の弟子でもある毛利秀元が江戸城に鮭の切り身入り弁当持っていったら、珍しがられて蜂須賀他の大名とかに殆ど取られてしまったというエピを見たことある 鰹ほど日本人に特別視されたお魚がほかにあろうか
勝男武士とか言われたら武人ならまるごと食っちまうね 関係無いけど正宗の好物が伊達巻きと聞いて最初洒落かよwwと思ってたら
伊達政宗が好んだから伊達巻きって云うのなw >>254
「飯盛りの侍」では、戦国時代は鯛は高級魚ではなかったようにかいてあった。 >>260
書いといて何だけど由来は諸説あってその説はちょっと怪しいらしいw
当時の正宗が何食ったとかの文献に卵料理が無いとかで
帯の伊達帯に似てるからの方が信憑性があるかな
>>261
その漫画?は知らんが魚の格付けについてはこの辺が分かりやすいかな
ttp://fudoumyooo.fc2web.com/syun/kaisetu_syun/edojidai.html 確かに鯛が縁起物とされたのは江戸時代以降って書いてあるね ある程度世情が落ち着いて、金さえ出せば遠方のものでも取り寄せが利くようになったから
高価=高級ってなっていったんかね >>258
鯉「水墨画の定番ネタにでもなってみいや」 築地場外市場にて地元の魚も蒲鉾も売っておる俺がこんばんは
おのおの方も縁あらば会いませうか キスは鱚って字に喜が入ってるから将軍の食事に毎日出されていたというね
コイは小位でタイは太位で上とか将軍家でいろんな縁起担ぎが生まれたのも江戸時代
家康からすると何やってんだって感じだろうけど >>269
渋い顔をしながら黙々と食べている絵が浮かぶ >蜂須賀
そりゃそうだろうby明治天皇(葉巻を隠しつつ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています