>>44
逆だ。
永田の支那一撃論の通りなら、第二上海事変で無差別攻撃してきた国民革命軍をフルボッコにして
トラウトマン工作で講和していれば、そのまま日中戦争終結で蒋介石は大人しくなっていた。
蒋介石を焚きつけて日本にけしかけていたのは、当時軍事顧問団として中国入りして国民党に協力していたドイツ軍のゼークトと、ソ連に協力していた張学良だけど
10倍の兵力(しかも国民革命軍の最精鋭)でも日本軍に勝てなかったので、さすがに蒋介石も独ソから距離を置くようになったはず。

この永田プランが狂ったのは、日本史上最低の総理と言われる近衛文麿が支那一撃論を無視して国民党との講和を蹴ったから。