センゴク 宮下英樹 129番槍 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-7巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 128番槍 [無断転載禁止]?2ch.net
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/comic/1497438632/ >>372
秀吉も金ケ崎とかでは今のゴンベみたいな使われ方だったような・・・ 信親を排除してくれて秀吉としては万々歳だったんじゃないか
京、大坂に比較的近い位置の土佐に有力な外様大名がいるのは将来の禍根になりそうだし、その抑えたる仙石家は当主がアレで蜂須賀家は代替わりしたばかりで心許ない >>369
知らんけど名前貰うときは相手の下の字を自分の名の上と交換するのが礼儀だから
信長から信盛なら長をもらって長盛じゃないの >>376
上の字を貰えたなんて厚遇されてたんですね >>374
関ヶ原も大坂の陣も豊臣方についた根っからの親豊臣大名の勢力削いでどうするんすか?
自殺願望持ちっすか? >>374
仙石逃亡、信親討ち死に・元親生死不明の方が上方に届くと秀吉は
「元親若し討ち死せしば、土佐国の一揆ども其の弊に乗りて狼藉する事あるべし」と
急遽増田、藤堂を上使として香川親和(元親次男)への朱印状持たせて土佐に派遣、安定化に努めてる
政権の権威低下させて仕事増やしてんだから、万々歳どころか大激怒 戦国最強の武将「義珍」
ぜんぜん強くなさそうなところがいい >>373
織田家では重臣が殿をやるぞ。
退きの佐久間、志賀の陣では柴田、長島では柴田が負傷したから氏家が変わったけど本来柴田、林の息子もやってる戦死したがね。 金ヶ崎の殿大将は池田勝正やね?運が悪くなけりゃ織田家重臣コースやったんやろなぁ このスレワッチョイ無しじゃねーか
目の話するやつ全員NGにしたいのに出来ねえだろうが無能>>1 前も書いたけどさ
このまま島津が圧勝しても、島津スゲェってなるより
ただのゴンベエの自滅にしか見えないんだよなぁ >>380
秀吉なりに手を尽くしても
結局元親は盛親を後継者に選ぶ、親和はなんか死ぬ
元親と家臣間の結束も揺らぐなどいい方向には行かなかったね… >>384
信長公記にも秀吉とあるように秀吉だよ。
池田は秀吉の旗下にすぎない 後に謀反を起こしたせいか、信長公記からいろいろ活躍場面が省略されてる明智光秀…
それでもそれなりに名前が出てくるあたり、やっぱり謀反さえ起こさなければ秀吉とか抑えて織田家ナンバー1の重臣になれたんだろうな >>389
でも信親生きてたとしても結局そのうち元親と意見が合わなくなるか煩わしくなってきて不和
あるいは他の兄弟とも軋轢が出てくる(家臣団の思惑も含めて)とかで弱体衰退してたパターンの様な気もする 池田勝正は、摂津の豪族で、幕府から摂津守護に任じられた立場
秀吉とはポジションが違う >>393
信長が最近旗下に入った幕臣に指揮権わたすわけないだろ。
当時の秀吉は少し前まで京都奉行に京都駐留軍の指揮権まで持っている大身 >>391
取次担当してた四国担当を他者にかっさらわれてる時点でそれはない そういえば最近池田が金ヶ崎の総大将だったとかいいだすアホが増えたけど、
誰が電波飛ばしているんだ?
ありえねーだろう。 もうね、高野山に
「よう、元気そうじゃねえか」
とか言って妙算が訪ねてくるの分かっちゃってるんだよ。 池田勝正って、京都本圀寺とかで活躍して信長に賞賛されたりしてるけっこうな武将なんだな
ただ、信長公記には木下藤吉郎を金ヶ崎に残した、としか書いてない… >>398
なんでか知らんがwikiにそう書かれてあるな
編集履歴見たら2011年に出典も無く唐突に追加されてる
よく知らないマイナー武将を調べてみてこれ見つけたら驚くだろな
んなわきゃねえだろ、って判断できる奴はそもそもwikiを信用しない 確認したが、池田や明智よりも当時の秀吉は地位が上だぞ。
当時の秀吉は畿内衆率いて、畿内はおろか播磨や但馬に遠征に出ているんだから。 池田殿大将説について言っておくと、根拠になってる一色藤長書状でも、
「金崎城に木藤・明十・池筑その外残し置かれ... ... 」
と、秀吉が筆頭で出てくるのよ 越前遠征が義昭主導説をとると
身分的には直臣摂津守護池田>陪臣秀吉となるけど
時間が惜しい撤退時に厳密に身分の上下でごちゃごちゃやるとは思えんな 戦国最強・島津兵庫守さまも関白様に頭下げるんやね・・・ 戦は数だよ兄貴!って言うじゃん、いくら精鋭ぞろいの島津でも豊臣の物量に勝てないんなら頭下げるしかないし 豊臣ごときに、やらせはせん!!、やらせはせん!!やらせはせんぞぉおおおおお!!!、
って言って死ぬのでつね あー四兄弟だからか
なら家久は「薩摩公国に栄光あれー!」とか言いながら病死するのか センゴク @sengoku_YM 5時間前
その他
【家久譜】2週休載の間、島津家久の略歴を記します。先ずは初陣。
1561年、家久15歳時の島津家の状況。当時の島津氏の版図は薩摩一国。
南北朝以降、島津の服属状態にあった肝付氏が島津に対抗心を燃やす。
島津は一族衆の島津忠将を討たれ大敗。そんな中、忠将の甥の家久が初陣ながら兜首を獲る。 >>409
そういう独立大名連中を家臣の与力につけるのが信長
それに不満を持って謀反も多い センゴクの最後を先延ばしにしたいからしょーがあるめ
まだあと5年はこの漫画で食うていくから簡単には終われない >>419
へうげものも織部の切腹が今にも来そうで来ない引き延ばしが酷い
あ センゴクは引き伸ばしても良いですよ面白いから 引き伸ばしも何も15巻で収まるように描いてるんだろ 某ギャンブル漫画の作者なら戸次川の渡河だけで4週使う 鉄骨渡るだけで数巻費やした漫画なら川を渡るだけで5巻は固いな 光秀「Congratulation!」
義統「Felicidades!」 主人公見てるだけの
友情とは嘘かホントか電気椅子ゲームであれだけ引っ張ったからな 戸次川から半年も経たずに島津は秀吉に降伏して家久は亡くなってるんだなあ 権兵衛「私だけが死ぬわけには……貴様の心も…一緒に連れて行く…島津家久…」
島津家久「光が…広がっていく……?」 どこが戦国最強なのか分からん
謙信や信玄なら秀吉の大軍相手でも互角に戦えよう
幸村でさえ大兵率いる家康を打ち果たせそうだったわ >>428
幸村は西軍主力の毛利が東軍を崩してくれたおかげじゃん >>429
それ幸村の活躍と同じ講談の類だよ
ちゃんとした史料からわかるのは戦場で真田・毛利軍が暴れまくって被害が出たというくらいで具体的にどういう動かしたのかはだいたい後付けの推定 >>420
へうげものは隔週掲載の上にちょくちょく休むからな
単行本とかで一気に読んだらそこまで長くもない 強い弱いは相対的なものだろう
昔から、天の利地の利、といわれるように
環境にも大きく左右されるしな
最強なんて、幻想だよ 大阪の陣の雪村の活躍は
だいぶ毛利勝長の活躍を吸い取ってる評価と聞いたけどもw 何度奪い取られても自分の城を取り戻してくれた天庵様の家臣団は関東最強 1586年8月 岩屋城の戦い
1586年9月〜10月 毛利黒田仙石ら関白先遣隊5万九州入り
1586年12月 戸次川の戦い
1587年3月頭 秀長率いる10万が九州入り
1587年3月末 秀吉率いる10万が九州入り
1587年5月 島津義久降伏 そもそも「最強」ってなんだよ
何を根拠に強いって決めるんだよ >>436
まあ毛利勝永なんて名前が巷間に流布してること自体が毛利勝永の活躍が史実ではなく毛利吉政という実際の人物をもとにして作られたキャラクターの活躍を描いたフィクションですって言ってるようなもんだし 俺も某はオリキャラと思ってたが史実の人と知り、死が避けられないと悟った 無知ですまんが小谷城攻めで話に出てきた朝倉そうてきさんて具体的にどう凄かったの?あれも最強さんなの? 2回休載って、まだセンゴク遁走シーンの構想が固まってないのか? 良く海外でスポーツ選手を評価する時も彼は歴史上ベストプレイヤーの一人だ、なんて言い方をするし
いいんだよ義弘も家久も宗茂も謙信も信玄も元就も最強武将の一人で >>438
豊臣が上方から連れてきた兵は殆ど秀長旗下に収まってる
秀吉軍は上記の毛利4万に龍造寺の3.5万+αで構成されて九州地場の帰参兵がほとんど このペースでいくと小田原はいつ頃になるかな。
堀久との最後がどのように描かれるか楽しみだ。 武田信繁が居たのに家臣筋の息子が同じ名前付けられるもんなのかね
繁の字って誰からもらったんだろ >>454
同じ名前つっても20年も前に死んだ人だしなあ
そもそも源次郎が信繁名乗ったのが武田滅亡後かもしれんし >>454
別に信が通字やから繁はもらうもんでもないべ 仙石って、他の武将との交流の話があまりないな(家康・秀忠を除く)
戸次川で、みんな縁切ったんじゃないかね 戸次川敗退後元親は伊予日振島まで逃れるが、そこで信親の遺骸返却交渉を島津としつつ
秀吉に今後の進退について直接問い合わせてる
権兵衛が仕事ぶん投げて姿くらませたので現場大混乱なわけだけど
そういう部分をしっかり描けるかどうか 信親だけじゃなく、長宗我部の次世代を担うであろう若手達も、まとめて戦死しちゃうからな…
そんな中、どんな気分で敗戦処理したんだろう、元親
よく、ゴンベエらに刺客送らなかったものだよ 干潮で身動き取れない元親に対して使者を送り
「信親を討ったのは戦場の習いに沿った為、仕方なかった旨を伝え
陣払いは満潮を待って緩々となされるよろし」と配慮
継戦中にもかかわらず谷忠澄が信親の遺骸と遺品の回収を乞う使者して来ると承諾
その際、敵将である信親の戦死に涙を流して陳謝し、土佐岡豊城まで丁重に僧まで同行させる新納忠元
土佐人だけどシブイはからいできる家久とか優しい九州武士とか大ちゅき
それにひきかえ味方の大将たるゴンベは全てを投げ捨てトンズラ・・・ナメとんのか(#・∀・) >>460>>463
そんな目にあってもキチッと仕事こなしてる元親さん( i _ i )
豊臣家に冷遇されても関ヶ原、大坂の陣につきあうのに…もっと厚遇したれよ… >>463
天正十五年正月に歳久が秀長・三成宛に戸次川合戦についての書状送ってるんだけど
その中で、上方・四国の敗残兵が府内周辺で難儀してるのを見て
うちの家久が渡り船の周旋しましたよって述べてるね >>466
おっとごめん、書状送り主は義久だったわ 敵である豊臣四国軍敗残兵のために船を手配する?
わけがわからないよ ヒットラーがダンケルクの英軍撤退を許したようなもんか もう敵ではなくなってたんでしょ
肝心の大友とゴンべはおらんのだし >>468
秀吉へのとりなしを頼む書状だからね
渡り船周旋の事実からもわかるように当方に豊公への悪意は無いのでよろしく頼みます
って主旨の書状 戦ったにしてもあくまで有利な条件での講和を引き出すためのもので
ガチに敵に回ったわけじゃないんですよって感じか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています