>>948
ちなみに、明治以前には沿岸部の主要国道(31号線など)が無かったので
近隣の町や村と交流する時はもう手漕ぎ船か山越えの道を歩くしか手段が無かったそうだよ
だから他県のように、「農民は農家の仕事だけ」「漁師は漁師の仕事だけ」じゃないんだよね
「農民だけど船を扱えて登山や林業も得意」とか、「漁師だけど田植えもするし魚の行商もする」といった、
オールマイティ(?)というか、自分で出来る事なら何でもやっていかないと生活できん、みたいな状況だったらしい
すずさんの「私らは何でもやって生きていかんと〜」の精神だねw

うちの祖父がすずさんと同年代だったけど、隣村の小学校に通うために、
兄弟や近隣の子達と一緒に、毎日5〜6kmくらいの山道を縦走してたと話していたね
(一応、当時は既に鉄道やバスもあったけど、貧しい村の子供にはバス通学や鉄道通学などは無理な話だったので・・・)
山越え通学なんて大変だったと思うけど、それでも、当時はリンみたいに
売り飛ばされる子供も多くいた状況を考えると、親が教育に理解があって
学校に通わせてもらえるのはまだマシなほうだったんだろうね