ついでに『大潮の頃』について個人的な意見を書くと、
筆で描いたのは涼しげにしたかったからと、こうのさんは言っているけど、
自分には別にそんなに涼しげには見えないんだよね。

つうか「第4回 19年2月」(隣組)や「第23回 20年正月」(愛国いろはかるた)も
筆だけど、どっちも冬だし、もちろん涼しげには見えない。
ついでに『長い道』でも筆と涼しさは関係がない。

じゃあなんで筆にしたかというと、これは単なる自分の想像だけど、
「必死に何か工夫を考えているうちに、筆だと涼しげなような気がした」
だけなんじゃないかと。

じゃあなんで必死だったかというと、まあ『この世』の連載はずっと必死だった
そうだけど、特にこの時点では、そもそも連載自体が決まってなかった。
自分から企画を持ち込んだけど、編集さんの評価が低くて、とりあえず読み切りを
何回か載せてもらうことにして、読者の評判がよかったら連載、という話に
やっとこぎつけたわけで。

こうのさんにとって『この世』は、描きたいというより、描かないわけには
いかない作品だったから、絶対この機会を逃すわけには行かなかったんだろう。

で、こうのさんって月刊誌の仕事が長かったからか、単行本の出ない時期が
長かったからか、掲載時の季節感をすごく大切にするのね。
で考えているうちに、筆なら涼しげになる気がしたんじゃないかと。

ユリイカという雑誌のインタビューでは、実験的手法自体を楽しむのは
『長い道』で終えていて、『この世』では書くべきものに合った表現を
考えるのにとにかく必死だったと言っている。『大潮の頃』の筆も
その一つだったことは間違いないだろう。