当時の早稲田の主な反代々木系は革マル派と革労協(当時は社青同とか解放派とか反帝学評とか呼ばれていた)だった。
両派は共闘することもあったが、やがて内ゲバが始まり、革マル派が革労協を追い出した。

ヒゲもそれくらいは心得ているはずだが、「革青同」っていうのは、革マル派と革労協と、どちらがモデルなんだ?

ちなみに、三田誠広の小説のモデルは、当然ながら革マル派。