父の仕事の都合で僕は和歌山に越してきた。
こっちでの暮らしにもだいぶ慣れてきたある初夏の日のこと。
夕方。学校から家までの帰り道。暖かい夕日を反射させる水田は、まだ植えたての苗を抱えてどこまでも広がっている。
電車や自動車、人混みの話し声、あらゆる都会の喧騒から遠ざけられたこの地。水のせせらぎと小鳥の声ばかりが聴こえるのどかな風景――。

後ろからパタパタと足音が近づいてくる。のどかな帰路の静けさを壊すような音だが、自然とこの雰囲気に溶け込んでいるのが不思議だ。
僕は気付かないふりして歩き続ける。
足音が止まると同時に、もう見慣れた顔が目の前に現れる。
「帰ろ!」
新谷ゆづみだ。僕が転校してきた分校に通う同い年の少女だ。
長く延びた影法師は二人分ある。
向こうの空を飛ぶ烏たち。彼らの目線から見た僕達は、きっと絵画のようだろう。

みかんの花がいい匂いだとか、はやくみかんの食べられる季節にならないかだとか、そんな他愛もない話ばかりをする。
それでも、僕にとっては夢のような"今"なのだ。
「また明日ね」
小走りで僕を抜かして前に立ち、髪を揺らす。その瞬間彼女の香りが僕を包む。
さっきよりも日が傾いている。
彼女と刹那の間目を合わす。
頬は夕日を受けてかオレンジに輝いてみえる。

僕はいつまでもこの景色を、少しも色褪せずに心に残しておきたい。


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