アンパンマンアンチスレ
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如何に脱俗した僕と雖も、嫉妬せざるを得ない所以である。 かたがた僕は小閑を幸ひ、色目の辯を艸することとした。 自分の今寝ころんでゐる側に、古い池があつて、そこに蛙が沢山ゐる。 その芦や蒲の向うには、背の高い白楊の並木が、品よく風に戦いでゐる。 その又向うには、静な夏の空があつて、そこには何時も細い、硝子のかけのやうな雲が光つてゐる。 さうしてそれらが皆、実際よりも遙に美しく、池の水に映つてゐる。 蛙はその池の中で、永い一日を飽きず、ころろ、かららと鳴きくらしてゐる。 ちよいと聞くと、それが唯ころろ、かららとしか聞えない。 蛙が口をきくのは、何もイソツプの時代ばかりと限つてゐる訳ではない。 中でも芦の葉の上にゐる蛙は、大学教授のやうな態度でこんなことを云つた。 空と艸木との映つた池の水面が、殆埋る位な蛙だから、賛成の声も勿論大したものである。 丁度その時、白楊の根元に眠つてゐた蛇は、このやかましいころろ、かららの声で眼をさました。 さうして、鎌首をもたげながら、池の方へ眼をやつて、まだ眠むさうに舌なめづりをした。 蛇は、二度目の賛成の声を聞くと、急に体を鞭のやうにぴんとさせた。 それから、そろそろ芦の中へ這ひこみながら、黒い眼をかがやかせて、注意深く池の中の様子を窺つた。 芦の葉の上の蛙は、依然として、大きな口をあけながら、辯じてゐる。 既に水も艸木も、虫も土も空も太陽も、皆我々蛙の為にある。 森羅万象が悉く我々の為にあると云ふ事実は、最早何等の疑をも容れる余地がない。 自分はこの事実を諸君の前に闡明すると共に、併せて全宇宙を我々の為に創造した神に、心からな感謝を捧げたいと思ふ。 蛙は、空を仰いで、眼玉を一つぐるりとまはして、それから又、大きな口をあいて云つた。 さう云ふ語がまだ完らない中に、蛇の頭がぶつけるやうにのびたかと思ふと、この雄辯なる蛙は、見る間にその口に啣へられた。 池中の蛙が驚いてわめいてる中に、蛇は蛙を啣へた儘、芦の中へかくれてしまつた。 後の騒ぎは、恐らくこの池の開闢以来未嘗なかつた事であらう。 自分にはその中で、年の若い蛙が、泣き声を出しながら、かう云つてゐるのが聞えた。 「水も艸木も、虫も土も、空も太陽も、みんな我々蛙の為にある。 食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲だと思ふがいい。 尤も本来の喜劇的精神は人を欺くことがあるかも知れない。 のみならず、又宇野浩二は喜劇的精神を発揮しないにもしろ、あらゆる多感と聡明とを二つとも兼ね具えた人のように滅多にムキにはならない人である。 喜劇的精神を発揮することそのことにもムキにはならない人である。 これは時には宇野浩二に怪物の看を与えるかも知れない。 たとえば精神的カメレオンに対するシャルムの存することも事実である。 殊に三味線を弾いている宇野は浩さん離れのした格さんである。 次手に顔のことを少し書けば、わたしは宇野の顔を見る度に必ず多少の食慾を感じた。 あの顔は頬から耳のあたりをコオルド・ビフのように料理するが好い。 皿に載せた一片の肉はほんのりと赤い所どころに白い脂肪を交えている。 が、ちょっと裏返して見ると、鳥膚になった頬の皮はもじゃもじゃした揉み上げを残している。―― 尤も実際口へ入れて見たら、予期通り一杯やれるかどうか、その辺は頗る疑問である。 多分はいくら香料をかけても、揉み上げにしみこんだ煙草の匂は羊肉の匂のようにぷんと来るであろう。 いざ子ども利鎌とりもち宇野麻呂が揉み上げ草を刈りて馬飼へ 日華洋行の主人陳彩は、机に背広の両肘を凭せて、火の消えた葉巻を啣えたまま、今日も堆い商用書類に、繁忙な眼を曝していた。 更紗の窓掛けを垂れた部屋の内には、不相変残暑の寂寞が、息苦しいくらい支配していた。 その寂寞を破るものは、ニスののする戸の向うから、時々ここへ聞えて来る、かすかなタイプライタアの音だけであった。 書類が一山片づいた後、陳はふと何か思い出したように、卓上電話の受話器を耳へ当てた。 陳の唇を洩れる言葉は、妙に底力のある日本語であった。 陳は受話器を元の位置に戻すと、なぜか顔を曇らせながら、肥った指に燐寸を摺って、啣えていた葉巻を吸い始めた。 煙草の煙、草花の、ナイフやフォオクの皿に触れる音、部屋の隅から湧き上る調子外れのカルメンの音楽、―― 陳はそう云う騒ぎの中に、一杯の麦酒を前にしながら、たった一人茫然と、卓に肘をついている。 彼の周囲にあるものは、客も、給仕も、煽風機も、何一つ目まぐるしく動いていないものはない。 が、ただ、彼の視線だけは、帳場机の後の女の顔へ、さっきからじっと注がれている。 それが壁へ貼った鏡を後に、絶えず鉛筆を動かしながら、忙しそうにビルを書いている。 額の捲き毛、かすかな頬紅、それから地味な青磁色の半襟。―― 陳は麦酒を飲み干すと、徐に大きな体を起して、帳場机の前へ歩み寄った。 女はこう云う間にも、依然として鉛筆を動かしている。 そこにはすでに二年前から、延べの金の両端を抱かせた、約婚の指環が嵌っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています