鳥インフルエンザ 命『処分場』 500枚の記録 東京新聞


水戸市の写真家小貫則夫さん(59)は、報道機関を“シャットアウト”した養鶏場に入り、殺処分の実態を取材した。
置き去りにされた現場でレンズがとらえたのは、戦場での大量虐殺を思わせる光景だった。



養鶏場の独特のにおいを感じながら、カメラマンとしての感性の赴くままにシャッターを切る。
聞こえるのは、鶏の甲高い鳴き声、作業員が容器を運ぶ音、その中に鶏を入れる音、そしてシャッター音。作業員の声は、ほとんど聞こえない。

 八月から十二月まで四回にわたる取材で撮影した写真は、計約五百コマ。
殺処分する前に徐々に餌を減らされた鶏が、険しい目をしてファインダーを見つめている。
脚をつかんできた作業員の手に食いつく場面もある。容器のふたを開けた瞬間、二酸化炭素の充満した中から飛び出し、間もなく息絶えた鶏を写したコマもあった。

 「人間のエゴによる虐殺です」。現場の光景は、戦時中の大量虐殺とダブって見えた。
茨城を代表する事件で話題性もあるということで撮影を決行した現場では、多くの命が人間の都合で失われていた。鶏の目は、人間の目のように、それぞれ表情を持っていた。

 撮影を続けていると、作業員が「もう、いいだろう!」と声を荒らげる場面もあった。
鶏を殺す罪悪感からか、いらだちがたまっているようだった。
その一方で、作業員らのために県が用意した昼食の冷めた弁当に、鶏肉の卵とじが入っていた日もあった。意図的なのか、それとも無意識だったのか−。県庁の建物の中で仕事をする職員との距離を感じたという。

「現場に行き、その様子を収める。それは写真家の使命ではないかと感じた」

 取材で小貫さんが受けた衝撃は、県や国など行政側の対応についての報道に終始した報道機関にも向かう。
報道は、役目を果たしているのか? “冷めた鶏肉弁当を出す側”と同化していないか?

 写真に込められたもう一つの主題のように感じられる。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060218/mng_____thatu___000.shtml