>>530

「岩波文庫 人生の帰趣」の第五章P300〜333は、
法然上人の皮髄の収録です。

物語というフレームの選択は好みで良いと思いますが、
日の丸理論的には物語は4つしかなく、

我の気分が×で環境が〇の時は、処理の小周天系の物語が必要だし、

我の気分が〇で環境が×の時は、出力の大周天系の物語が必要だし、

我の気分が×で環境が×の時は、入力の他力本願系の物語が必要だし、

我の気分が〇で環境も〇の時は、我と世界の関係性を調和させる利他行の物語が必要であり、

物語は信仰目的ではなく実利目的なので、その時の気分に合った物語で良いかと思います。

我が食材なら世界は圧力鍋の水であり、Egがコンロだとすると、
物語というフレームはレシピになるので、
目的の料理に合わせたレシピに変えるだけと言う考え方もあります。

山崎弁栄聖人が面白いのは、
25歳での悟得後、大乗仏教の全宗派、釈迦の原始仏教、キリスト教、西洋哲学を
浄土教哲学に取り込み、4つの無差別智を得られると共に、
御利益に応じた力を専門の神様に変えて頼まなくても
弥陀の12の光の作用によって料理の味付けが
変わるから一神教で事足りるという物語を作ったことです。

浄土宗の還相回向、キリスト教の最後の審判、法華経の現世浄土、空海の難行による三密加持も
清水気功の小周天、大周天も光明念仏に含まれる天神合一の物語を作ってますが、
時別念仏による百会のチャクラオープンは漸進的で光明体験を得ても、念仏を止めるとやはり閉じてしまうので、
念仏の継続は必要不可欠という欠点もあります。

狂信から離れ。愚にも、狂にも偏らず
他力的に自然に心が素直に穏やかに変容する点が、
光明念仏の大きな特徴でマインドパワーの安心に特化している感じです。