>>425
ご質問を頂きありがとうございます。
この内容はまともに解説しようとすると、少々長くなりがちですので、複数に分けて投稿させて頂こうと思います。

カルマの法則によって帳尻が合っているのかを確認するには、「人格的な基準」「絶対的な基準」「前世までも考慮した基準」で図ることが大切だと思います。
まず人格的な基準についてなのですが、人間が他者にした行為の影響はまず人格に蓄積されます。
人を傷つける人はより一層、他者の気持ちに対する鈍感さなどの性質が増すのですが、次に、人格にこびりついたその性質を除去する困難がその人の未来に生じます。
それで、他者の気持ちに対する鈍感さなどの性質が分厚いほどに、425様の仰るように、反省する事ができない状態です。

このままその人がこの世を去れば、その人格が反映された孤独な世界や、殺伐とした世界に身を置くことになるでしょう。
そのため、その人が反省する機会が得られないということは、幸運などではなく、哀れむに相応しいことだと思います。
(なお、その人が反省するかどうかに関しては、別の人達のカルマが関係する点に関しては、レスを分けて投稿します)

次に絶対的基準についてです。
この世の資本主義や物的ルールというのは相対的ルールです。
資本主義で言えば「お金はあればあるほどに安泰だから、お金は沢山ある方がいい」となり、物的ルールで言えば、「何かに取り組むなら、上手くいく方が良い」となります。
それで、カルマの法則は資本主義やこの世の物的ルールを超えた絶対的基準による見返りを人に与えています。

簡潔にお伝えすると、他者のために貢献していくほどに人は「物が無くても幸せになったり、失敗続きでも楽しくいられる精神」といった絶対的価値の高いものが与えられます。
絶対的基準からすれば、お金があるから幸せな人よりも、お金が無くても幸せな人間の方が”お金より絶対的価値の高いもの”を得ています。
ゆえに、実りのある生き方をするほどに、後者寄りの性質が身に着く傾向があります。

他に、何かが上手くいくから良いと考える人間よりも、失敗そのものを興味深く楽しめる人間の方が多くの物を得ています。
それゆえに、一回の成功にあぐらをかき一時の幸せに甘んじる性質(ずっと成功が続いたらいいと思ってしまう臆病さを持つ性質)よりは、失敗を多く経験し、失敗そのものを楽しめる性質の方が価値が高いです。
ですので、実りのある生き方をするほどに、一時の幸せに甘んじるよりは、失敗そのものに対する耐性を強めたり、失敗などという概念をそもそも持たない精神が得られるように導かれます。
人間は死後にまで生命の続く、永遠の寿命のある生命体であるゆえ、1億年かそれ以上先までを観た上で、今の困難は適切かどうかを判断する必要があるでしょう。
80〜100年の人生における善と、1億年の人生における善の違いを比較すると、絶対的基準が少し見えやすいかもしれません。

カルマの法則は、良い生き方の人間に対し、遥か長期にまで価値を放つような見返りを与えるのですが、100年といった短期のスパンで誰しも眺めやすいので、その見返りの価値が見えにくいのかもしれません。

次に、前世と今世に関する事については以前に解説した事があり、その際に投稿させて頂いた文章を載せますね。