まず使命があると結果が出た方々に謝らねばなりません。
今回のことは使命にまったく関係なかったということ。
使命があると期待させておいて、その気持ちを台無しにしてしまいました。
相手様や荒らし君その他の皆さんすみませんでした。
そしてもう一度謝らねばなりません。
今回の見えた、使命の数値は、前世で積んだ徳の数値であると言いました。
それもどうやら間違いであったということ。
つまりこの使命の数値は皆さんにとって、何一つ意味をなさないものだったようです。
使命のあるなしでもなく、自分が持っている徳の数でもないということです。

では一体この数値は何を表しているのでしょうか。
わたしは仕事中、イエスノーで確かめまくりました。
その結果ある一つのことがわかりました。
それは、わたしが好きな人に、使命があるという反応が出るのです。
わたしは誰々の事が好きか?イエスと出ると、
使命があるか?の質問にも必ずイエスの反応が出ます。
反対も同じく、嫌いか?イエスと出ると、使命がないに反応します。
つまりこれでわかるのは、わたしの好意と使命のあるなしが比例しているという事です。
なぜわたしが誰かのことを好くと、その人の使命があるに反応するのでしょうか。
使命があるに反応するというのは、宿業があるという意味だと前に言いました。
宿業とは徳であると言いました。
つまり、わたしが誰かを好くと、その人の徳が上がるということのようです。
そのわたしの好きの量に応じて、数値が変化するようです。
つまり8と出た人は、わたしが大きく好意を持っているということ。
小さい数値の人はそこまで強い好意ではないということ。
そして反応が出なかった人は、好意がないということ。
あくまでも好意がない、つまり関心がないということであり、
嫌いというわけではありません。
そしてこのわたしの好き嫌いというイエスノーの反応は、
なぜか顕在意識とは違う結果が出たりします。
わたしは中居正広の事が好きでもなく関心もありませんが、なぜか7の数値です。
その他の方についても顕在意識とは比例しない結果が出ます。
ですがある程度は合っています。
ここでOさんやHさんが8という数値によって相手様の5という結果に、
わたしはまるで浮気をしているかのように思われてしまいそうです。
ですが、そうではありません。
OさんやHさんの好意を知ったわたしのほうも、好意を持ったという状態なのです。
そして相手様はここ最近嫉妬によりわたしへの愛が減り少し敵意混じりの気持ちが感じられます。
そうするとわたしの方もそのような気持ちになることで、それが数値として表れてしまったのかと。
なのでけしてこの数値だけで判断しないでいただくように。
そしてこの数値は変化するものであるという事。