>>56
>私は「人が傷付くのを自分の手の届く範囲では見たくない」というだけです
>故に心が削れるのです。人の痛みが自分の痛みになるのです。それが嫌なだけ

なるほどね・・・それは尊敬致します。ワンネスとか言葉ではある程度理解できても、
ルールも守れない非道な相手にもそのような「慈」の感情を持てることは、常人では
中々出来ないことです。
さらなる、精神と魂の向上を得られる事を願います。
何故なら、所謂神仏という存在は、我ら人間のどんな「傷付き」や「痛み」もただ黙って
眺めているだけで、その持てる力を人間に殆ど及ぼそうとはしません。

つまり、この世のあっては喜びや感動は勿論ですが、「傷付き」や「痛み」のようなことも
全てその人の成長に今必要な「過不足のない事象」であり、その本人が受け止め昇華
すべき課題だからです。

他人の痛みや傷つきを我がもののように感じる事は、人間として素晴らしい部分ではあり
ますが、あるべき成長過程にあっては、その感情すらも乗り越えるべきものではないでしょうか。
自身の弱さが分かってこそ、更にそこから成長できるかと思います。