魂の年齢 霊格レベル 9
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乳児期 「今、ここ」を生きる。模倣する。
幼児期 文明構造をつくる。
若年期 権力問題。名声、金銭に関心がある。
成人期 感情的な学び。人間関係。自己、カルマとの取り組み。
老年期 日常的な感情問題を超越。知的な表現。人に教える才能がある。
超越期 高次のレベルとの結びつき。
無限期 すべてに気づく。
前スレ
魂の年齢 霊格レベル 8
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1551617998/l50 悟り的なものを得た人たちに聞きたい
拈華微笑(ねんげみしょう)、
お釈迦様を10大弟子や聴衆がじっと見つめる
そんな中、お釈迦様が近くに生えている花に触れて捻った
弟子たちは首をかしげたが摩訶迦葉だけは意味を察したのか
それを見て笑い声を漏らした
そして摩訶迦葉はお釈迦様から正法を授けられ
後継者に指名されたという
解釈あるいは解答をめぐって何千年も議論されている
禅の局地にあるという逸話だけど
これを直感あるいは倫理的に解釈できる人はいるのだろうか >>712
権威という意識は、
意味のない動作を意味があるかのように考えようとする。 >>712
「俺だけは皆と違って意味が分かるんだぜ」アピール、
つまり実はただのハッタリだったという可能性は?
そこと後継者指名とを安易に繋げて良いものかどうかは疑問 >>714
摩訶迦葉が正法を授けられる事になった有名な逸話だぞコラ
不勉強ものが
お前は破門じゃ >>712
お釈迦様に対するみんなの期待…例えば優しさや愛情を裏切った事に笑ったのではないかと思う。
優しさや愛情って人が他者に期待するって事はジャッジだから敢えてそれを裏切って見せることでお釈迦様本人に聖人さや清らかさを求めなかった者に後継者を譲ったと直感で思いました。
善悪を超えた者でないとお釈迦様を崇めるだけで本当の悟りには到達できないと判断したのかな。 オレあ拈華微笑で大爆笑したな
正直摩訶迦葉より笑ったわ
お陰で魂レベル1000くらい上がったわ >>712
この有名という逸話そのものが、意味がないように思えます。
「悟り遊び」でしかなく、ここから学ぶべきことそのものがない。 そんなんだからパオーの魂レベルは−30ぐらいのままなんだぞ 花でお辞儀をしたんでしょう。
微笑み合うだけで、知っている人かそうでないかわかりますよね。 >>719
あなたの投稿の方が、
魂レベルの意識や評価が「無意味である」ことをよく教えています。 >>701
分かります。
ドラえもんの独裁者スイッチ押したんですね >>721
オレぐらいに悟った人間には
人格攻撃なんてまるで通用しないから死ね >>699
>ある局面で人生の目的が変化した感覚があったんです
これは【成長によって時期が変わった】か、もしくは【オーバーリーフの役目が終了した】と考えられます。
誰でも人生では乳児期から順に育っていくので、発達した人ほど境界を超える機会が増えます。
時期が変わるとテーマが変わりますから、やりたい事も自然に変化するのでしょう。
よって、単純に時期が変わった可能性が高いと思われます。 >>699
>変化前は人を癒すこと、
人を癒すテーマは特に老年期の初期症状っぽいです。
最大の苦悩の時期を超えた事によって、その時期がどれほど危ういかをよく知ってて、超えるお手伝いしたくてたまらない時期です。
その直前の成人期の後期は、愛の時期でもあります。
愛と調和の感情が大きくなり、成人期の人はその感情のまま動いても、本来ならば問題にはなりません。
ところが、時代はまだ青年期の価値観が常識とされています。
その青年期の常識を判断基準にして、成人期の愛を実践すると与えすぎで欠乏し、燃え尽きてしまいます。
結果的にエネルギーが底をついてしまって、何事も上手く行かなくなります。
こうなると自己評価も下がってしまい、様々な苦悩が湧き出してきます。
ついに現実生活にまで支障をきたすと、世間からも自己犠牲型のエネルギーヴァンパイアなどと評されて、問題児扱いされてしまいます。
成人期の試練とは、社会常識に惑わされずに無条件で自己受容する必要性を悟って、これを実践して自己信頼(自信)を回復する事。
また、理想と現実を両立できる規範を模索し、社会や人との無理のない共存を可能にする成人期型のルールを自力で作り出す事です。
老年期初期の方は、その時期の苦しみと危うさを誰よりも理解していますから、【癒してあげたい】になるようです。
しかし、老年期も先に進むと【癒してあげたい】は、実は余計なお世話!という現実を悟ります。
みんな、その体験が必要だから、あえてそんな状況になるように人生設計して転生してきているのです。
ましてや、それが解消を必要とするカルマの転生ならば、なおの事です。
頼まれもしないのに癒しますとか、
先導して困難な課題を回避させようとしたり、
気付かせる為に予め教える等の数々のお節介。
実はコレが、一番嫌がられます。
そういう訳で、老年期も先に進めば傍観者になってしまいます。
老年期初期症状の【癒してあげたい】【助けてあげたい】【教えてあげたい】はここで卒業になります。
求めに応じて、必要ならば自力で回答を導き出せる程度のヒントを助け舟として出す、そういう形で落ち着きます。 >>699
>変化後は大衆の思考を通して多くの経験を得ること
これが何なのか?と言えば、老年期に至って発現したエンパシーの研究やテレパシーの練習なのかもしれません。
これらによってもたらされる【直観の声】は、自分が質問した事にしか回答してくれません。
つまり、【大勢の考え方や意見に接する】と、【直観の声】に投げかける質問を抽出するのにとても便利です。
これによってより速く、多くの疑問点や質問を得られます。
こうして得られた多くの質問を【直観】にぶつけていく事で、そのぶつけた数に応じた数の【直観】からの回答を得られます。
これを繰り返す事で、答えの精度・完成度がより高まって、さらに答えに到達する時間までもが短縮される訳です。
また、自分自身の語彙力によっても、回答を受信できるか否かが分かれます。
答えを的確に表現する言葉やイメージを、私達が知識として知らなければ、やはり【直観の声】は伝達手段の発見に手間取り、解答を示すのに長い時間が掛かってしまいます。
この板の存在のように、同じようなテーマを探求される人の文章の中には、必要なワードが数多く埋もれている事があります。
その文章を書いている人の内容や主張は【悪いけど必要ないので、完全に度外視してスルー】
その文章の中で本当に必要としたのは、実は単語だけだった、表現法だけだった、言い回しだけだったなんて事がザラにあります。
実は知識を垂れ流す人って、この理由で大変ありがたい存在なのですよ。 >>699
オーバーリーフを気にされていたので、この可能性を考察した場合です。
【癒しが目的】の支援の為にオーバーリーフを纏って転生しているなら、
@支援目的に合わせた能力や環境を手に入れる為。
A支援する相手に波動を寄せる為。
この2つのケースが考えられます。
@の場合でも老年期以上の方で、目的遂行に最適な能力と環境の構築の為にオーバーリーフを纏っていると考えられます。
Aのケースなら超越期以上の方が、成人期の対象に波動を寄せる為に、老年期のオーバーリーフを必要としたケースです。
波動の法則って結構シビアで、時期にして2段階も離れるとかなり相性が悪くなるみたいです。
自身の体験で、どのような人と揉めたり、住み分けが必要になるかを考えてみたら、おおよそ想像がつくと思います。
離れていてもせいぜい1段階くらいの差異に収める必要があるようです。
よって、相手の時期に近いオーバーリーフを纏うという選択になります。
支援の転生者はカルマを持たないので、目的の人に出会う以外は自由な人生です。
カルマ解消のお手伝いが終了した、もしくは出会った時点でもう相手がすでにカルマを解消していたら、お役御免となります。
このような事情でテーマが変わった可能性もあります。
まぁ、お決まりの意見の一つです。
何かヒントが見つかれば幸いです。 >>727
すごく分かりやすかったです。
ありがとう。
時々、お前はわかっていない等のレスがありますが、実は、お前とは分かり合えないが正しいのかもしれないですね。 わたしは瞑想中の神秘体験により、
自我消滅が起こり悟りを開いた。
仏教には詳しくないが、最高の悟りを阿羅漢と言うらしい。
解脱知見と言われる、本人が解脱したと気づく感覚があった。
自我が真我に溶け込んで消えていく感覚を感じた。
そして一切の自我の感覚を感じなくなった瞬間、
すべてが終わったのだ、ようやく終わったのだ、
もう探究すべきことは1つもないのだ、という知見を得た。
永遠の安らぎと穏やかさと静けさを感じた。
そしてわたしは瞑想をやめた。
真理の探究もやめた。
すべての欲が消え失せた。
一切のカルマが終了した。
輪廻転生を解脱した。
わたしは阿羅漢聖者となったのだ。
阿羅漢聖者に奉仕することは最高の功徳を積むことになるといわれる。
5chのスレ内であれ、阿羅漢聖者と話せることはあなた方凡夫にとって
とても貴重な財産となるだろう。 わたしがこのスレで書いてきたことは、
かつて2500年前に地上で釈迦牟尼仏陀として存在していた人物が教えた真理と
まったく同じものである。
何度も読み返してみてほしい。
これがすべての真理なのである。
わたしが悟りを開いた年齢は35歳。
釈迦牟尼仏陀が悟りを開いたのも35歳だったのである。
仏陀は菩薩である。
超越期は菩薩である。
阿羅漢聖者も菩薩である。
わたしは生きながら菩薩となった。 自我肥大だね。
宗教板にも自称阿羅漢のそっくりな人いたよ
おかしくなって(病気)しまったけど。
自我肥大に陥って人生終わる人と菩薩意識で戻る人の分かれ目って何だと思います? 心の中に煩悩があるんだろ
高慢さや釈迦の悟りの教えに対する無知無明
それらを捨て去り世に尽くして初めて覚者は菩薩となる 悟り病は治らんだろうな
拝み屋に行って憑き物落としても
根本が間違ってるから 情報刺激による(意識作用と反作用)で、
気づき目線での自然治癒を試みますが、
生活や思考の習慣改善は非常に難しいようです。 Aさんにとっては、
その刺激や思考がプラスになり正常な発達する場合でも、
Bさんにとっては、
かえって過剰刺激となりマイナスとなり病気の発症原因になるからです。
結論からいうと、
自己認識と自己制御能力を高め、
正しい成長方向に向かってゆるやかな刺激の積み重ねで
自己コントロール能力を高める訓練をするしか方法がないようです。 一つの案としては、
5CHに投稿する場合は、必ず血圧測定をすことが
ストレスにより自己認識力を高める方法かもしれません。 真理探究におけるの「思い込みストレス」は、
「絶対」、「絶対」よって一気に上昇するため、
かならず、その理由を添付することで、
自己のストレス緩和(冷静、鎮静。冷やす)させることが必要です。
また、無理に平気を装うことは、かえって病気の原因になるので、
その場合は、「馬鹿野郎」「死ね」と短い叫び投稿だけで終わらせるのも、いい対処方です。 たとえば
「馬鹿」「とっと死ね」
ここで気を付けて欲しいのは、特定先を明示しないことです。
書く時は >>1000 がいいかもしれません。
(くだらない相手投稿からの反発防止)
明示すると、相手の >>733
分かれ目などない。
真実のみがあるだけだ。
>>734
憑依などではない。
むしろすべての憑き物が取れたかのように
わたしの心は清々しい。
>>735
わたしには一切の煩悩が存在しない。
一切の無明が存在しない。
>>737
カルマが消えたことのない者にはけしてわからない。
>>739
わたしは5chにおいて人々を救済する。
真理によって救済する。 めっちゃ入り込んどるがな
自分で気付けないのがエゴに無明なんだよ >>744
無明が存在しないという事は
超越期を通り越した全てが理解可能な無限期だな
それならば上に上がってる拈華微笑の説話の釈尊が
その時何をどう考えていたのかはっきり理解できるはず
その答えやいかに >>744
いや、あなたの言ってることは正しいと思うよ
自分のことを超越者と呼び、それ以外の全てを凡夫と見下しているところが引っかかるだけで >>745
わたしはすべてに気づいている。
>>746
あなたたちがわたしをレスのみで理解できないように、
どうしてわたしが釈尊の当時の様子を文字のみで理解できようか。
自分の浅はかさに気づくべきである。 >>747
真実を真実のままに言うことがいけないことなのか。
わたしはあらゆる上下関係、傲慢さを超越している。
あなたが見下しと感じたのは、あなたの中に差別意識があるからだろう。
わたしにはそのようなものは存在しない。
ゆえにただ真実を述べたまでだ。 無明が存在しないというのは
真理が完全に心に宿り全てに気がつくという事
例え文字のみでも拈華微笑の解のようなものは悟れるはず
そして文字のみと言ってるという事は
そちらはネット等で調べるような事もしてない
つまり答えはわからないし最初から考える気もないと
そういう堕情と高慢と無明のカルマが存在しているのが見える
こういう風に文字だけでも理解できるし
リーディングとはこのようにして行うものである >>750
わたしはその答えを知っている。
霊視でその真理が見えた。
知りたいか?
その例えは命あるものは終わるのだ、という真理が込められている。
生きた華もひねれば死ぬ。
諸行無常を教えようとしたのだ。
それをただボケーっと見ていた他の弟子とは違い、
彼はそこに諸行無常の生死感を理解し、微笑んだのだ。
その微笑みを見て意味がわかったと感じた釈尊は彼に伝授したのだ。 釈迦は殺生を禁じてるから
華をひねり殺せば死ぬなんて教え方はしないぞ
諸行無常は口にも出して教えてるし黙って示す理由は何かな
そして摩訶迦葉はなぜ笑ったのか
さらにおヌシが釈迦の心を理解したというならおヌシに笑いは起きたのか
以上の疑問が新たに増えるので
その答えは解とは遠いものだと推察されますな >>752
あなたがどう思おうと、
わたしにはそう視えた。
ただそれだけである。 >>724-727
こんなにもたくさん、本当にありがとうございます!
>結果的にエネルギーが底をついてしまって、何事も上手く行かなくなります。
>こうなると自己評価も下がってしまい、様々な苦悩が湧き出してきます。
まさに変化前の反応です
自己否定の嵐でズタボロになった結果自殺未遂しました
ふと目が覚めた時、「あー生きてるだけでいいや」と思った頃から価値観がガラリと変わって、付き合う人や環境もどんどん様変わりしました
ということは、成人期から老年期にアセンションしたのですかね
変化後、癒すどころか適当にやってても、どことなく自分から白いモヤモヤが出ていて、元気ない人がやってきて元気になったら去っていく気がします
ヒントも出すときとそのまま放置するときがあります
今の職場は不特定多数を相手にする職場なのですが、
直感がモノを言う場所でして
実は自分の中で不特定多数=タオ(ここで言う神)と捉えていて、如何にタオと呼応するかと日々対応しています
いつかはタオに帰って地球土産の経験を配って、あーだこーだ話をするのかなと >>753
自分だけ理解した気で他者も納得できるような適合性はどうでもいい
それは独善というカルマ >>749
なるほど、その通りだわ
では質問
僕も真実を述べたまでで、決して質問をしたわけではない
そんな僕に反応したのも、あなたの中に差別意識があることになるのだが、どうか? 無意味な議論でしかない。
まったく有意義ではない。
わたしから言えることはもう何もない。
まるで幼児が幼児と話しているようなレベルの低さを感じる。
あなたたちはそうやって自分たちの思考の中でもがいている。
現実を正しく観ることもできず、真理を正視することもできず、
自身の妄想と思考の中で溺れ続けているのだ。
複雑な感情の中で、思考の渦にのまれているのだ。
わたしがあなたたちを救うことはできない。
あなた自身がそれに気づいて自分を救うしか方法はないのだ。
その方法を教えることはできる。
それはただ一つ。
思考を静めさない。
思考が静まると、自我が静まる。
すると真実が見える。
真理が見える。
そのときようやくあなたたちは、わたしと会話するレベルに至る。
それまでわたしはあなたたちの思考を相手にしない。
それはまるで目に見えぬ幻想と闘うようなものだからである。 自我を静めるには超越期になるしかないよ
自我は思考だけど、幻想もある。
幻想を超越できる超越期しかできない。
ちなみに超越期のアセンションはもう終わりました。
幽体離脱が必須条件でした。
老年期最終段階以上じゃなくちゃ超越期のアセンションはできない。
もうみんな覚醒したかな?笑
死後の世界は未来であるという真理を理解できないと無理なことです。
つまりすべての魂の年代を経験できる老年期最終段階以上だけです。
寿命は常に無限。人は死ぬと未来へ行く。
タイムマシンは発明されてるのかな?
いずれにせよそれが理解できれば死の恐怖は完全になくなる。
感動とは感受性、経験とは経験値。
つまり感動とは今までに蓄積してきた苦悩や苦労などで作り上げられた感受性。
経験とは、自由や自立、人生を楽しむ術、など、それらを知ること。
若年期や成人期は老年期のアセンションすらしていない。
その段階のままのアセンション。
ここまで自分の責任で魂レベル上げてきた人達は偉いね。
すべては個々の責任の下にある。
決めるているのはすべて自分です。
パオーとかってのはそれを悟れたのかな?
悟るには確信、理解、納得がなきゃダメだよー。
多分これ最初に気づいたの俺だろうね。
江原さんは美輪さんや丹波さんのいう霊界や幽界は抽象的表現だろうね。
ツインソウル。つまり、賢者の魂の試練のこと。
どう?老年期最終段階じゃない老年期7段階目以下はこれを理解できそうかい?笑 >>751
答えは、なんだ、死なねえじゃん笑。だよ すべては元からあった。
無なんて元無く、すべては前から有った。
すべてのこの宇宙全体の万物は生きている。
じゃなきゃ生きてる人間なんていない。
宇宙からすべては繋がり、すべての万物は個であり全であり、前々から繋がっていたのだ。 カルマとは、幻想だ。
幻想とは、死後の世界だ。
つまり、未来だ。
未来とは、今だ。
つまり、我々は常に死にながら生き、生きながら死に、死にながら死に、生きながら生きる者たちに分かれる。
幻想は死の恐怖や不安、苦悩だ。
それらを恐れているのだ。
我々は常に死を経験し、生を経験しているのだ。
カルマとは、過去からの幻想の産物であり、因果応報であるが、宿命であるが、死を超越した者はみなカルマなどない。
すべては幻想と現実(今ここ)の繋がりにある。
時はすべて繋がっている。 とりあえず、パオーウサンくせえわ。くさすぎ。
誰も信じてないだろうけど。
これでもうわかったでしょ。
お前の親が死んだ時、お前は死の恐怖を感じるだろう。
自由と責任が取れてなければ人生なんて楽しくともなんともない。
責任があるんだよ、みんな。
ただ魂レベルでの経験でそれに気づけるかどうかだけ。
教えをちゃんと受け入れな。
そんで優しくなくとも、優しく生きな。
それが希望です。
恐怖とは希望なのです。 >>763
信じなくても結構。
俺は死の真理を知って超越期のアセンションに貢献しました。
あなたはアセンションしてません。
キチガイはパオーに直接言ってください。
恐怖を通して学びなさい。
永遠に不自由なまんまだよ、それじゃ。 超越期のアセンションって何やあ
具体的に何があったんや >>765
俺は今恐怖を感じている。きっと自由を求めている。
真理を語ろう。
覚醒とは、超越期のアセンション。
今日の昼頃、悟った。
幽体離脱が超越期のアセンションのカギだと。
つまり死だ。
俺はチャネリングしたときから何かがおかしかった。
思考というか雑念が入るんだ、死ね、と。
つまり、これは幽体離脱の死を意味してるのだと考えた。
俺はそれを悟り、幽体離脱をし、その雑念はなくなった。
しかし、何かがおかしい、なんら変わらないじゃないか、現実世界と。
つまり、死後の世界とは未来だったのだ。
俺はそれを悟り、死を超越した。
老年期最終段階以上はみな、チャネリングをしたことがあるんじゃないだろうか?
つまり、これが死後の世界とは未来であり、超越期のアセンションが起こり、老年期最終段階以上しか超越期のアセンションはできないという証明だ。
ちなみに、俺は引き寄せの法則を使って、一度異世界に行きかけたことがある。
黄色いベールに包まれた黒い服の魔女のような(直視してたのでよくわからなかった)が夜起きた時に迎えに来た。
きっと、その人物は、アインシュタインだ。
もうすでにタイムマシンは完成されてたんじゃないだろうか?
ジョン・タイターは実はアインシュタインなんじゃないだろうか?
きっとこれがカギになるかもしれない。
以上だ。 そういうレスでうわあキテるな…と半年ぐらい前なら思っただろうけど
今は言ってる事の半分以上くらい理解できてしまって困惑するわ >>767
理解してもらってありがたいです。
これからももっと教えていきたいと思います。 創造神も宇宙人も天使も悪魔も
いると思う
ドラゴンボール見てるとそう思う? 俺も皆さんには遠く及びませんが人間的に成長したなと思う事もあるんです。
それはアセンションしたとゆう事なんでしょうか? 投稿テーマが広がり過ぎると、読み手は大変。
なので、長い場合には、◆マークのつけた表題が欲しい。 自分に必要なレスは自然と目にとまるから別に困ってないな >>728
>お前はわかっていない等のレスがありますが、
>実は、お前とは分かり合えないが正しいのかもしれないですね。
そうですねぇ。
成人期の受容と統合の必要性や苦労なんて、幼児期での詰め込み学習をしている人にはわかんないでしょうし。
青年期のライフプランと成功へのサクセスストーリーの成功体験や挫折体験の感動も、老年期の人には「かつてそんな事に挑んだ気がするなぁ〜」になりそうですし。
また、卒業後の進路も人それぞれです。
意識達の中で共に成長していく=仏の道に進む人が、真理は一つ!と意見を言い張っても、法則の道(日本でいう神や海外で言う精霊)に進む人には、単なる雑音にしかなりません。
同じ真理は一つ!意見でも、魔境の人からの魔道への誘いだったりする事もありますので、自分で取捨選別する必要があります。
また、体験者としてワンダラーの道を歩む人もいれば、また地球に舞い戻って支援者をする人だっています。
伝達者として天使の道を進む人だっているでしょう。
全てを体験しつくし、全てを超越しつくし、俺はいずれ新世界の創造神になる!って猛者も居られるのかもしれません。
まぁ、みんなバラバラですから。
一つの意見や考え方に誘導しようと頑張っている方を見ると、【そんな必要は最初から無い】と思っちゃいますよねぇ。 >>772
1 馬鹿ほど高慢である。
2 共存の意味がわかっていない。
3 文脈全体の矛盾に気づけない。
4 自分と意見の合う箇所のみ、切り取ってしか読めない。(自己中)
確かに、中学校レベルの知能なら問題はないようです。
>>773
思っていたこと全て書いてくれてて、
物凄くスッキリした! セ 102
国 35
数 87
物 56
化 58
英 89
合計427点で、東大理3合格 !!!!! 少し前のスレの雰囲気より変異した感じがするなぁ
前は老年期になることが目的みたいな人が多かったけど、今は各々が自分のレベルを見定めて自身の課題に向かっている気がする
x軸しかなかったスケールがy,z軸まで増えて、3次元になったような >>773
>成人期の受容と統合の必要性や苦労なんて、幼児期での詰め込み学習をしている人にはわかんないでしょうし。
>青年期のライフプランと成功へのサクセスストーリーの成功体験や挫折体験の感動も、老年期の人には「かつてそんな事に挑んだ気がするなぁ〜」になりそうですし。
ここはよく分かるなあ
結婚子育て出世とか家買うクルマ買うとか、最も一般的で物質的で絵に描いたような幸福人生みたいなものには昔から興味が薄かった
小学生の卒業文集でもみんなが「将来の夢」で野球選手やらケーキ屋さんなどの子供らしい職業を書いてる中、
一人だけ精神年齢が違う感じの異色な回答をしてたので教師に感心された事がある
周りよりも常に精神年齢が上で浮いてる感じもあって集団には馴染めず
昔から、人間はなぜ(分かりきったはずのことが沢山あるにも関わらず)XXするんだろう?といった疑問、真理の探求みたいなことをずっとテーマにしてて
人類全体をやや引いた目線で観察、考察してきたような感覚がある
もう一般的なアレらは全部経験済みだし、また同じこと繰り返すのもな〜ってのがあるみたいで
今生は逆にそれらとは無縁な、しかしそれ以外の事なら良くも悪くも満載という波乱万丈な人生を生きてる
一般的目線で見ればかなり酷い人生だし有り得ないことばかりなんだろうけど
なぜか「これでいい」という何かに守られてるような達観した感覚があるし
このままじゃ将来なんか絶対危ういはずなのに、不安感や絶望感などは不思議なくらいに無い
この先に起きることも「うん、分かってた」という感じで対処していけそうではある >>778
バレたか
魂が超越レベルの俺様がスレに降臨したからだ
ウハハハハ 古い魂か新しい魂かの違いに過ぎないのであって、上とか下とか言ってたら、足元掬われるぞw古い魂でも、進みが遅い人もいるし。最終的には、どんな魂も初源の神の経験の一部となるだけ。 上の年代は下の年代の憧れや気持ちをすべて理解できるものでしょう。
なぜ金持ちになりたがるのか、なぜ弁護士や政治家になりたがるのか、
なぜミュージシャンやアーティストになりたがるのか。
なぜ夜の街に憧れるのか、なぜ不良になって暴走行為するのか、
ぜんぶ理解できるでしょう。
その憧れる気持ちも手に取るようわかるとおもう。
逆に下の年代は上の年代の憧れや気持ちも理解できないとおもう。 不良になる気持ちが理解できない。
憧れる気持ちがわからない。
ミュージシャンになりたがる人の気持ちがわからない。
ボランティアに精を出す人の気持ちが理解できない。
スピリチュアルにハマる人の気持ちがわからない。
宗教を信じる人の気持ちがわからない。
それらがわからないのは自分が上の年代だからそれらに憧れなく気持ちもわからないんじゃなくて、
自分が下の年代だからそれらに憧れないだけなんです。
気持ちがわからないんです。
そのため一方的で頑固になるため、その特徴は幼児期のようになる。 自我がある人間はまるで動物のよう。
自我がない人間はまるで神のよう。 >>725
この流れ全部体験したからやっぱ老年期なんだろな ◆ スピリチュアルを学ぶ目的
スピリチュアルを学ぶ目的は、
@ 現世において楽しい人生(時間を)過ごすこと
無意味な苦しみ(悩み)から逃れる
A 自己の魂にとって成長を感じること
困難な時に、自らの責任でその解決方法に気づく
克服できるという自信と可能性を、持ち続ける。
B 他人との会話から、あたらい視点に気づくこと
魂という特性の共通点と個性に気づく
C 死などの恐怖から解放され、未来への希望が持てること
新しい事の興味を持ち、チャレンジする 自我は消滅せず、存在し続けます。
自我を意識しない思考が必要です。
そにため
@ 神意識で考えること
A 共存意識で考えること
が重要になります。なぜなら、
自我をする自由選択を、2つの制約意識で縛らることが必要ないのです。
過去において
1 仏陀は八正道。
2 イエスは、愛
そして 今
3 パオーは共存
をという未来意識の在り方を示したのです。
共存について深く考察し無意識の阿頼耶識の世界で生きることで、
すべて悩みや矛盾から解放され。
すべての人に、神の悟りと解脱、感謝の心自然に発芽するのです。
そして、死後の世界のためでは、現世において生きる目的が明確となり
恐怖、欲望から意識する魂のレベルという
無意味な価値への要求も消滅することになります。 >>789
「はい」は、一つでいい。
荒しの馬鹿は、とっと「死ね」ばいい。二度と投稿せず、消えなさい。
パオーに反抗すると、「死にます」 >>792
お前にも、警告
荒しの馬鹿は、とっと「死ね」ばいい。二度と投稿せず、消えなさい。
パオーに反抗すると、「死にます」 パオーに反抗すると、「死にます」
パオーの「神の真理」の投稿には、
称賛かスルーのどちらかしかありません。.. 「神の真理」への批判は、その意識が共存意識に反し、
犯罪行為になります。
警告します。批判してはいけません。スルーしなさい。安全です。
天界の怒りによって、悲惨な事故を引き寄せます。 警告です。遊びではありません。
あなたの未来に現実に起こる、最悪な人生を
自分で作り、招いてはいけません。
沈黙とスルー。それだけでいいのです。それしか方法は、ありません。 「神の真理」への
自己満足だけの無意味な批判投稿や中傷は、厳禁です。
決してしてはいけません。スルーしなさい。危険です。 パオーンは頭悪いし、話が意味不明だし、脳たりんだろ。
真理語りたいなら輪廻転生して、老年期になってからにしな。
あと、お前改造したろ。
老年期は真理の探究をする。成人期は真理の探究をする。
どこからだよ笑笑。
チャート持ってる人たち、本当の情報書いてくれないかなー。 あと、自分を神だとか、独占的すぎ。
この宇宙のすべての万物は本質的にはみんな神なんだよ?
自我で生きてんなー。
真理語るには根拠や訳が必要だよー。
真理語れてないどころか真理語る資格ないよ、おまえ。 幼児期になると宗教団体のような集団に属したがる。
若年期後半になると宗教的なものに関心を持ち始める。
成人期になると真理を探究するようになる。
老年期になると真理の探究を一直線に歩む。
超越期になると真理の探究を終える。 >>787
同じく
ただ自分が老成すんのはいいけど、実の親はあまりにも未熟で差がありすぎるのが困るな
子供の頃から差があったせいで母親からは嫉妬受けて疎まれて育ってしまってるし
親から学べることというのがあまりに少なすぎて大変だった(やはり逆なことが多い)
妹たちはそもそも年下だから自然に先達として接することもできるけど
何十も年上のはずの親の方が明らかに未熟というのはなかなかしんどいものがあるw 宗教やスピリチュアルにまったく関心ない人は若年期中盤以下と思う。
死んだら終わり、魂は存在しない、死後の世界は存在しない、目に見えないものは信じない段階。
大槻教授みたいな。
ツインソウルとか引き寄せの法則とか軽い程度のスピリチュアルに興味ある人は成人期。
この段階の人でもまだ仏教本とか聖書とか読んだことない人多い。
現実をいかに良く生きるかのためにスピリチュアルや宗教を取り入れてるレベル。
老年期になると輪廻転生とか神とか慈悲とは何かとかそのレベルに興味を持つ。
老年期になると仏教本や聖書や老子や覚者の本とかを読むようになる。
そういう真理の知識を蓄えて自分なりにまとめるようになる。
パオーみたいに。
そして輪廻転生を解脱することに関心が出てくる。
瞑想で真我探究、神との合一を求めるレベルになると老年期最終段階。
洞窟にこもって瞑想三昧の修行僧とかこのレベル。
超越期は真我そのものとなり、真理と一つになる。
もはや仏教本や聖書を読んで探究する必要がなくなる。
真理は自分の内にすべてあることを知る。
そして彼はもう二度と地上に生まれてこない。
無事、人間を卒業ということになる。
今度はよりレベルの高い生命体とか、霊界での探究が始まる。
これはまるで動物がはじめて人間の魂になるような、ある種の大きな意識の転換点。
人間の魂だったものが、菩薩や神の魂となっていく。 >>803
宗教への興味といっても入り方接し方で段階は分かれるよね
宗教に惹かれて実際に入信、帰依してしまう人(教義を本当の事だと頭から信じてしまってて疑わない)
→まだ若い段階
宗教の信者にはならないがそれぞれ一つの学問として同列に見ており、一定の距離を置いて探求する人
→老成段階 違うね、苦悩を体験して追い込まれる成人期が真理を探究できるわけがない。
真理ってのは哲学とは違う。
俺は子供の頃から独創的な言葉を使っていたし、表現豊かだし、目立ちたがり屋だった。
これがチャートに書いてあることは本物だという証拠。
苦悩なんてもっともっと絶望的なものだよ。
そんなやつが真理を探究する余裕があるわけがない。
チャート持ってる人たちマジなやつ出してよー。いい加減に。
真理を見抜けるから真理に興味を持つし、生きる意味に興味があるんだろ?
思想や素晴らしい知恵は直観、もっと言えば直感によるもの。
だから第6チャクラや第5チャクラを重きに置く、職人の魂や賢者の魂は真理を重視すんだろ?
もっと大きな段階的なものだよ、魂の年代の区別は。 >>802
うちも親は反面教師として諦めて過ごしてきましたが
年老いてようやく人並みの親子関係を築けるようになってきました。
でもそういえば若い頃に1度親から仏門に入れば?みたいな事をなんとなく言われて戸惑いました >>794
悟りを開き来世の存在を確信した人も多いこのスレの住人が
死などを恐れると思うか >>807
どうなのかな?
君は恐れてるんじゃないのかな?笑笑 今日。NHK教育の「心の時代」で「禅の修行」について特集番組が放映された。
すごく、いい内容です。感動しました。
修行による自然生活から、「悟りの境地」を得るのは、
一般人の精神では、不可能です。あまりにも厳しすぎます。
このような厳しい修行ができなくても、
「共存意識」を意識するだけで、誰でもタ大我にアクセツできるのです。
ご注意:
「共存意識」と松下塾の「共存共栄」という意識とは、全く別物です。つまり
「共存意識」≠「共存共栄」ではありません。
「共存意識」≠「愛の意識」ではありません。
「共存意識」≠「自他一体」ではありません。
「共存意識」=「宇宙の自然法則」=「神の法則」=「神の真理」
なのです。それは、だれでもどこにでも、目の前にみつけることができる
「生きる基本法則」なのです。 なぜ、パオーのみがそのことに気づいたのか
答えは簡単です。
1 神から与えらえた最適な環境を自分で選び、
2 神を知る指導霊によって、そのことを気づくように動かされ
3 私が、そのことに興味を持ったからです。
パオーの生まれ持った才能は
4 すべてに興味を持つ人
5 いかなる説明も自己の検証の下でしか信じない人
6 思考において自我が存在しない人
7 自由をもっとも重視し、そして真理ももっと重視する人
8 他からの制約や支配をもっとも憎み
自分が他を支配することをもっとも嫌う人
9 いつまでも5歳児以下の好奇心で生きる人
だからです。 曼荼羅(マンダラ)の世界とは何か。
なぜ曼荼羅は宇宙を表しているのか
本当は、すべての曼陀羅は
宇宙そのものを表しているのではなく
宇宙もの特性を言葉ではなく、図として説明しようとしているのです。
なので、無限の数の曼陀羅が可能になります。
どれも正しく、どれも未完成であり間違っているのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています