能力のない者が、神の能力を求め、その魂(意識)を支配しようとようとすることで、
 「愛を、神の快楽と喜び」
の力として道具化し、偶像化することから始まります。

その結果、思考ではなく信じることの重要性のみを主張するようになります。

言葉は「神を信じる」と発しながら、
 オームの無麻原と同様に「自分を信じなさい」と
 言葉の意識を変え、強制するように仕向けています。