怒りたい
怒られたい理論
今朝のブログ




いつもの理論展開なのは
わかりますが、
もうちょっと一般的
自然な感じ方に照らして論じて
頂けないかなー

仁さんがアンチや他者から
批判されて普通に怒っていますよね
その心情自体はかなりの人が理解できる
ごく普通の自然な感情だと思います
それを潜在的な怒られたい、罪悪感理論
で分析するのは誠に構わないんですが、
結果行動が全く、又はほとんど変わってないなら何の意味があるんでしょうか
人間は簡単には変わりませんし、
少しづつ変わってもいますからそれを
咎めるつもりはないんですが、
分析して論を発表しても、カウンセラー自身が
永遠のクライアント、
人間らしさは確かにわかりますし
全く癒されないとは言いませんが、
正直その理論、分析をした結果が
批判に対する応戦に見えるんです。
分析して変わらず怒っている、
癒されない自分をカウンセラー自身が
体現して見せる、という手法
なんだかとてもカウンセラーにとって
都合のいい理屈に見えますよ
カウンセラー自身が永遠のクライアントである
なら、正真正銘のクライアントから
対価を得るサービスって何なんでしょう?
一般的な考え方からすると理解に苦しみます。
まあお客さん自身がそれを望んでいるなら
私は構わないんですが