>>891
何度も言うが学識や知性はただの道具
それが感情に支配されてるなら、ファッションと一緒
昔「文章表現や知識や言葉はファッションと一緒だから、いくらでも装飾できる」と言ってた作家がいた。
そいつは時代の移り変わりとともに死んだ。

本来、「知性」(もしくは「感性」)は自分の「感情」を支配するための道具の一つに過ぎない。
そして上でも言ったが、その「感情」は「肉体」を操る道具に過ぎん。
これが逆になると、一気に、ファッション化する。

知性が感情に支配されると、人は批評家になり権威になびくようになる。
時に世相に対して的確な批評をしたり、嫌われてる人物のあげあしをとれば、賞賛や支持をもらえるかもしれない、
しかし、それも一見立派なようで、時間が経ち、状況が変われば言うこともやることもコロコロ変わる、ただの無責任人間になる。
言い方を変えれば、自分ではない誰かの庇護の元、たくさんのおもちゃ持ってるだけのとっちゃん坊やと同じ。

それは「知性」を支配してる「感情」が、「肉体」に支配されて
その「肉体」はその都度おかれてる環境に支配されるからだ。
同じように「感性」が「感情」に支配されると人は物欲的になる
これも世間の流行り廃りで状況ごとにころころ変わる。
理由は同じ


たとえばお前さんは
「その筋の権威」と呼ばれ、社会学や、人間の生き方を研究した本はベストセラー、
「識者」として世間から尊敬されてるが、

ひとたび「ウシガエルが自分の部屋に入ってきた」ものなら、
近所迷惑も省みず騒ぎ立てる学者と、

明らかにやばい揺れ方をしてる飛行機で自分自身の叫び声をあげたい気持ちを抑え、
おびえてる客を笑顔でなだめようとする客室乗務員

どちらが尊敬に値すると思う

どちらが「人が本当に困ったとき」に信頼できる人間だと思う?

俺は部屋にウシガエルが入ってもあの女を憎み続けるし、
また、飛行機事故で死ぬことになっても、あの女を憎み続ける。

あの女が憎い憎い憎い
すべてが憎い