【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10
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・足軽35人で騎兵を殺せる戦法が確立した
・騎兵一騎のコストは足軽10人以上
・農業改革で人口増えた+武士が金持ちになったで足軽を大量動員できる
・騎兵殺すとボーナスでるので足軽がハッスル
みたいな学者の考察をどっかで見た記憶が… 南北朝初期に槍が発明されて弓馬より兵数に傾いていくんだよ
対馬編3巻12話では鎌倉時代の終わり頃とあるがな みんなありがとう
色んな説を見れて勉強になった
>>417
>足軽身分が合戦の主役
>>418
>・足軽3�5人で騎兵を殺せる戦法が確立した
山国の日本では、騎兵優位が覆り易いってもあったのかな……
>>419
弓って訓練の必要性が高いからねえ
>>420
>南北朝初期に槍が発明されて弓馬より兵数に傾いていくんだよ
それも不思議だよね
長柄武器なんて、昔から矛や薙刀があったのに、
どの辺に槍の優位性があったんだろうね? 薙ぐや払うにはコントロール可能な長さの制限があるけど
突くのはかなり長くても大丈夫だとか? 薙いだり払ったりすると隣の味方の邪魔になるし戦列組みにくいからじゃないか?
あと弓ほどじゃ無いけど振り回すには扱いに熟練と技能がいる
足軽槍は並べて槍衾作ればあとは上から叩くか突くだけでシンプル なんでもできるハルバードが流行らなかった
方天画戟にしてもそうだし腕力ある達人限定の武器
一本のコストもお高いし戦争向きではないでしょう
薙刀は刀相手に試合なら強いけど保持するだけできつそうだし怪我もしそう >>421
槍は突きに特化した矛の完成形、先が鋭い
あとは説明めんどくさいからウィキペディアの槍でも読んで >>424
>なんでもできるハルバードが流行らなかった
いや、ヨーロッパでは、
銃器が発達するまでは相当使われていたらしいよ
> 14世紀の後期に歩兵が使うようになり、
> 16世紀の初頭までにはヨーロッパで広く用いられるようになっていた。
>ハルバードは重量と長さのおかげで
>敵の歩兵や重装甲の騎兵にも有効な武器であり、
>屈強な男が使えば板金鎧を粉砕できた。
下もWikipediaから
>戦場でのハルバード兵の役割は部隊旗や楽隊、士官の護衛の他に、
>敵のパイク兵の戦列を打ち抜いて、
>密集陣内部に斬り込んできた敵を排除する事や、
>パイク兵の密集陣を斬り裂く事だった。
>パイク兵にとって斬り込み隊のハルバード兵や両手剣兵は天敵であったが、
>斬り込むハルバード兵や両手剣兵の死亡率も高かった。
もちろん万能ってわけじゃなくて、
下はパイクのほうのページからだけど、
>その後の同盟会議においてハルバードを中心とする戦術の見直しと、
>パイク中心戦術への転換が決定された。
中世以降のヨーロッパの歩兵は、
ハルバードとパイクが使い分けられていたってことなんだろうね >>425
おお、ウィキペ面白いね
>南北朝時代までの槍はむしろ貧乏人の薙刀がわりとして使われ、
>それほど有効な武器ではなかった。
> 14世紀以前は兵が密集隊形をとらず戦っていたためでもある。
槍は密集して使わないと意味ないってことなのね
>騎兵を密集させて集団で突撃する日本軍。
>クビライに仕えた王ツも武士の様子を「騎兵は結束す」と記している。
>『蒙古襲来絵詞』前巻・絵5・第17紙
そんな歩兵ですら密集させてない鎌倉時代に、
異例な騎兵集団突撃が可能だった理由は、
相手のモンゴルが少数ながらも騎馬部隊を編成してきてたから、
その対抗のためということなのかな?
モンゴル側の騎兵の記録が伝わってないのが残念だけど…… >>427
蒙古人として一番槍的に出てきてるんだから、
やっぱあの兄弟は強いのかねえ 戦闘してない時がほとんどだから持ち運びとか大事だろうな
戦場で走るときは刀は担いで刃を斜め上に向けとかないと転んだ時に大怪我するし他人に迷惑とか聞いた
傘でも分かるけど前の人に引っさげて持たれると危ないもんな ポンコツに持たせて戦わせるなら、槍がいいからだろ。
戦国時代になっても弓が主力だよ。 戦国時代は組織化された弓部隊が一斉に矢を射掛けるスタイルへと変化してるから、ポンコツも使っただろ https://blog.goo.ne.jp/tekedon638/e/2bd0aac3b6a9a5a2a747340903f7231c
個人のブログなんだけど、
・元軍には蒙古騎兵がいた
・多数ではなかったのと武士が苦戦させられたから、
それは後世に意図的に伝えていない
・流鏑馬の三被り物のうち「綾桧笠(あやひがさ)」は異例で、
蒙古人が被っていたものに似てるから、
流鏑馬自体が蒙古騎兵のパルティアンショットなどの射法の影響を受けて、
始められたのでは?
・しかし、戦場で使われるほど根付くことはなかった
こういう仮説を立ててるんだよね
確かに元の最主力である騎兵はぜひとも連れてきたいだろうけど、
実際に航海で馬などをそれなりの頭数運んで来れただろうか?
そして、運べて蒙古騎兵が武士と交戦できたとして、
日本でその事実が「まったく伝わらない」ことなんてあるのかな? 人間だけでも命懸けの航海してんのに暴れまわる馬なんか運べるかい! だいたい、わざと伝えなかったのなら笠と技術だけが伝わったってのもおかしいだろ 後世に伝えていないんだから記録も無いし、残さなかったのが意図的かどうかすら分からない訳だ
仮説としては面白いと思うけれど検証すら出来ない場合は妄想で終わっちゃうよ
まずは鷹島で沈没船あさって馬具か馬の骨でも見つけないと みんな苦戦してたが「おれが」活躍したから押し返すことができた
ってみんな竹崎季長みたいなこと言うだろ
実際撃退できてるんだから、あいつらは強かったというのはまさに伝え残すべきだろう
我が名誉もいや増すし、子孫に舐めるなというのも大切 十字軍で騎士が使うために中東まで軍馬を船で運んだこともあっただろうけど、
あっちは波も気象も穏やかな地中海だから、
参考にはならないな
大航海時代に南北アメリカ大陸へ馬を持ち込んだってのは当然船を使ってだけど、
時代も違うからこっちも参考にはならんか >>436
上でも書いたがそれ爺さんの妄想だから
騎射は平安時代に成立してるし、
パルティアンショットに似た技法は以前から存在していた
この爺さんには鎌倉武士を舐めるなと言いたい トンデモに多いが「伝えようとしなかった(不都合な勢力に抹消された)から伝わらなかった」って馬鹿にしすぎ
陰謀論で史学語る前にちゃんと裏付け調査しろと >>437
蒙古襲来絵詞の文永の役では30人位の中で馬4頭描かれているし
この漫画の対馬編でも1巻の佐須から将軍達は馬に乗ってるし
八幡愚童記の「宗助国と弥次郎に射られて逆さまに落ちる者数十人」の記載を載せてるし >>445
さすがに司令官クラスが乗れただけで、
日本の武士みたいな騎兵突撃ができるほど数は揃わなかったかな? 漫画スレなんだから漫画読んでから書き込めよ
次から次へと面倒臭いな >>449
漫画の話題だけだと書き込みが少なくて、前スレみたいにスレが落ちるからじゃね?
多少無理にでも元寇とかで話題を膨らませないとスレが続かない
漫画板は超人気作品とそうでないのとで、
スレの書き込み量に差がありすぎてキツい
漫画板と懐かし漫画板の中間の板が欲しいな
他作品だと「軍靴のバルツァー」が頻繁に連載を休んでるせいで、
スレが15まで続いたのに落ちたままだわ…… >>434
弓は足軽用でも50キロある。
ポンコツにゃ無理だ。
ここが弓と槍の違い。 >>451
そっ、そんな重いのかよ……
世界史的に長い弓が日本とイギリスぐらいってのも、
それ聞くと納得だわ 50kgくらいはあるよ
うちの嫁さんがそれを軽々と引いておれを射止めたんだ 日本の足軽の弓が50キロ。
イングランドのロングボウが45キロ。
弓が槍より強いのは明白だが、射手が死んでしまうと替えがきかないのが欠点。 弓はマッチョのアイテム。
体が左右非対称になるまで鍛えまくるのだ。 古式の型に弓でぶん殴ったり
矢を接近戦で刺突武器に使ったりするのがいい >>458
>矢を接近戦で刺突武器に使ったりするのがいい
少し前のモンハンかw 弭槍のことか
打根を弓にくくり付けて槍として使ったんだよね 昔、歴史群像の戦国記事で読んだんだけど
その古式の名がわからん 最近アニメから知ったんだけど土人の国へヒャッハアーしに来たら相手はスーパーサイヤ人でしたとか絶望しかないな はずやり をアタッチメントする間に敵が殺到してくるから、この手のお得武器って大体廃れるよね。 >>436
流鏑馬って元寇より前から行われてるから
少なくとも元寇の時の蒙古兵の影響ではないはず
元寇以前に日本が騎馬のモンゴル人と接触することなんかあったのかな 蝦夷が騎馬軍団でも持ってたのかい?江上波夫胸熱だな
そういえば武士は蝦夷起源と言ってたのが5ちゃんの昔にいたな。 かつて騎士たちは弩を”あまりに無慈悲な武器”であるとして
教皇に訴え禁止令を出させたことがあった
弩は鍛錬を積まずども引き金を引きさえすれば誰にでも矢を射ることができる武器!
すなわちそれは…
たとえ平民であっても騎士の命を奪うことができるということ…!
特権的な騎士が平民などに敗れることがあってはならぬ…
特権的な騎士が平民などに敗れることがあってはならぬ…
禁止令を出させたのは弩が騎士の優位を脅かすものであると真に恐れていたことの証左でもある!
この光景を見るがいい騎士たちよ
騎馬が最強との思い込みはすでに幻想に過ぎぬ!
https://twitter.com/gryphonjapan/status/677116497089531904
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>465
北方貿易がずっと行われてた
女真はもとよりモンゴル人も来ていたらしく、義経は彼らに兵法を学んだという説もある
まあ流鏑馬以前に日本の馬はモンゴル馬だし、馬がもたらされた際に遊牧民と接している可能性は高いね ヤマト王権が蝦夷から馬を買ってたらしいので蝦夷は大陸と交流あったんだろな
記録が残ってないだけで
騎射を蝦夷から学んだというのはそういう経緯なんだろ まあ北海道アイヌは馬を知らなかったから
古代蝦夷とはまた別扱いだけど >>462
>土人の国へヒャッハアーしに来たら相手はスーパーサイヤ人でしたとか
そりゃ大陸で長い戦乱を経験してきた大国だったら、
ちっちゃい島の中で小競り合いだけしてきた小国なんかナメて当然だよな
しかし、その元も、そもそもは、
一部族に過ぎなかったモンゴルが祖なわけで
かつての軍事大帝国ローマだって、
弱小の一市国から出発してる いや高麗がかの地は衆多く勇敢だと警告してるやん
情報はあったろ 「強いつったってそりゃお前らから見ればだろ?」ってな
正しい情報であっても発信者や受信者によっては歪むものだ 発信者には元の使者(女真族)も
でもこの人、文官だしな
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… 火薬の原料の硫黄が採れる
これを輸出して南宋に支援してたのよ
南宋攻めは力攻めでは不可能なほどに苦戦していたわけで、日本からの火薬の供給はかなり目障りだったのかと 日本には硝石がなくて火薬の国産化は難しかったのに
便所掘ったりして 大砲とか撃ってくるかな?
と思って戦車を用意してウキウキして攻め込んでみたら、
向こうにも高性能な戦車が大量に並んでてビックリ!
みたいなカルチャーギャップか >>479
とはいえ結局日本落とさなくても南宋落とせたから、
それが目的なら無駄だったんじゃw >二度にわたって、
>日本に遠征したモンゴル軍は日本軍の弓の威力だけではなく、
>日本刀の威力も見せつけられ、
>後に日本刀を大量に買い占めたという記録が残っている。
>鎌倉時代初期には既に海外の刀剣愛好家に認められ、
>輸出品になったとも言われている。
攻め込んだ側が感心して買い集めるぐらい、
日本刀もいい造りだったそうで
武士の世の鎌倉時代になってたってことが、
本当に幸いしたな この頃にできた九州北部の神社も多いね
戦勝祈願と拠点の意味合いが大きい 騎馬150騎の大パノラマ圧巻
くらい感心しろよ
こういう地道な応援が作者のモチベを上げに上げて太子さんを脱がしたりするのだぜ 確かに。
こういうアングルの大俯瞰の絵柄なんてそうそう拝めんわ! 最初のワールシュタットだかで王様が首になったのと展開がダブるな 日本刀は宋との交易品にもあったな
実戦用なのか美術品なのかは知らんけど >>493
史実で言えば、千葉頼胤が負傷してその影響で数ヶ月後に死ぬが、
少弐景資を始め、宇都宮、小代、福原、都甲とかは弘安の役以降
も生き残っているはず。
なので、史実通りに描くならば激戦にはなるが、ワールシュタット
みたいに大将含めた全滅エンドにはならない。 史実は福田文書や都甲文書から鳥飼潟でボコられる
のはモンゴル軍の方だが、ちゃんと史実通りにして
くれるかな?
てつはうで日本軍混乱とかやめて欲しいなぁ。
いくら火薬兵器とはいえ、戦局を変えるほどの
物でもないし。 クビライに仕えた王ツという人が武士のことを
「人は即ち勇敢にして、死を視ることを恐れず」
と日本人に勇猛な印象を受けているわけだけど
情けないようには描いて欲しくないな。 足場が悪いから勢いで押し切るのも手早く撤退するのもやりにくそう
最初押すが押しきれず乱戦に、そこで鎌倉武士が奮戦するが元軍に劉復亨率いる援軍が到着
数の差に押され崩されかけた所で景資が矢で劉復亨を負傷させそのすきに撤退
こんな所だろうか
そして双方の陣中でこんな激戦続いたらヤバイぞと戦々恐々の軍議になると >>487
そう言えばウリやんの部下が迅の字と撃ち合って
剣を折られてたな
古代から大文明が栄え、治乱興亡を経てきた中国大陸では
中世以降森林資源が枯渇しかかっていて、製鉄用の上質な木炭が
十分に確保できなかった
日本刀は、刀剣として以上に「質の良い鋼材」としての需要があった
...って話を聞いたことがある
そう言えば石炭の利用が普及したのも北宋からだっけ >>499
迅の字の出番が無い...
そう言えば、むしろ被ってた乞食っぽいあいつは
何の伏線だったんだろう >>485
南宋は平和憲法大好きで軍人軽視の国
中央政府が軍に対して手厚いバックアップを行っていれば負けなかったろうな
そもそも最初はモンゴル支援して育ててるしw
謂わば自滅とも言える 春日大社と藤森神社に甲冑見に行ってきたわ。
藤森神社は刀剣より弓矢・鏃・火縄銃・大筒といった飛び道具重視で良かったわ。 >>503
モンゴルと戦ってた金への北宋時代の恨みあるしなあ
北宋の滅亡の仕方も特に惨かったし >>503
>そもそも最初はモンゴル支援して育ててるしw
金国側もまた、南宋と同じように、
モンゴルを支援してたこともあったんだよね
>北方モンゴル高原では部族勢力の動きが活発化して
>タタル部や契丹の反乱が激しくなり、
>金は鎮圧に際してケレイトやモンゴルの助けを借りたため
>彼らの勢力が増大し、
> 1206年にモンゴルのチンギス・カンによる高原の統一を
>間接的に助ける結果となった。
しかし、コントロールに失敗してモンゴル一強になり、
金国そのものも滅亡させられることに……
でも、元だっていずれ勢力が衰えて後元になり、
そのあと滅亡と金や宋(南宋)と同じ歴史を辿る
いっぽう金の女真族はずっと後年に後金→清を建ててモンゴル高原まで支配して、
清朝の皇帝がモンゴルのハーンまで兼ねることになるんだからねえ……
歴史はずっと巡り続ける感じ 昔の合戦で使う弓を見ると、今の弓道の弓と違って、弦を外すと反対側に大きく湾曲してるんだよ。
同じ張力で威力が増すように作られてる。
モンゴルやトルコの複合弓と同じ仕組み。 >>508
(´・∀・`)ヘー
つまり、弓道の弓より史上の合戦弓のほうが強く張られてたってことなのね なんか盛り上がってきたね
一週間のページ数が物足りない 史実ベースで話が進むほど、主人公が空気に。
対馬では歴史に影響を与えず、割と好き勝手に活躍させられたけど。 劉復亨に矢傷を負わすのは景資であってほしい
このままじゃいいところなしだし >>512
でも、この後の日本のターンなら、
いくらでも奴の手柄を作れるんでは?
そうでもしないと主人公的に不憫ってのもあるw まだまだ先だけど弘安の役までやって欲しい
けど弘安の役って10万人くらいは文永の役に参加してない南宋人だっけw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています