人間は完全な情報は得られないから、全ては見通せないから
市場や功利主義に全てを任せられない

結果がすぐにでなくても努力し続け、今の時点では何だかわならない物に、労力を注ぎ込む個人や企業がいない経済が発展するわけはない
今、すぐ、決済を求めたら、投資も保険も金融も成立しない
約束を守っても、今回は自分の得にはならないからと、約束を破ることが正当化されたら、結果的に自分の首を絞める
周りがきちんとやっている状況なら自分はサボる、ただ乗りするばかりなら、結局破綻する

倫理、目の前の損得を越えた行動原理は必要で、それがない社会がうまくいくはずも発展するわけもない

その倫理を支えるのは有効性じゃなく、無効性

尽くし奉仕されるだけなら、利用するか、取引相手でしかない
有能な政治家や改革者なら、人は自分を何故助けないか、何故こんな境遇か、許さない
社会は変わらない

イエスのように、ユダヤ教の宗教改革者、社会改革者としては、無力無能、全くなすすべもなく磔にかけられて死ぬ
使えない奴だからこそ、人はそのことが不当だと思う、救いたいと心のそこから思える
自分も同じだから
自分の境遇が不当であることを認めさせ、自分を救うために、人はキリストのために、命をかけられる
世界は変わる
宗教とは、社会とはそういうものだ