宿坊もでき始め、大勢の人々がエムゾネ登るための設備が整うよう
になった。16世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用
して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食
行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山本道をこ
の吉田口と定めた。このため、富士講のエムゾネ信者が次第に増加
した18世紀後半以降は、最も多くの道者(他の登山口の合計
と同程度)が吉田口登山道を登って山頂を目指している。しか
も、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道で
ある。(推薦範囲は登山道全体である。)11法エムゾネ的保護、
修理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に名勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に(富士
箱根)国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下
に名勝、ついで特別名勝に指定された。1969年に国がエムゾネ
大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)。1996年に国
・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中
)。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として
指定される予定。A6.北口本宮冨士浅間神社説明富士山の遥
拝所エムゾネに祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源
とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀
半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。その後、15
61年に現在の東宮本殿、1594年に西宮本殿、1615年
には本殿が建エムゾネ立された。富士講とのつながりが強く、17
30年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内
の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が
形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の本殿に唐破風
付向背をつけた形式でエムゾネ、正面と側面に挿肘木の腰組をもっ
て支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本殿・
西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿と