センゴク 宮下英樹 138番槍
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-8巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 137番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1511764252/ >>81
信秀の同朋衆だった竹阿弥が継父だから
竹阿弥の息子という事なら結婚出来ない事もないんじゃないかね? なかの再婚相手の竹阿弥が信秀の同朋衆だったから
そこまで下層というほど身分が低い訳じゃなかったとか聞いたことあるが
そりゃあ信長や家康から比べりゃ大分低いけど 言えなかったのを顔に手を当てて後悔してるコマ俺がデートで告白できなかったときみたいだった >>82
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
陳勝は名言連発だけど、さすがに後世の後付けだろう >>88
じゃなきゃ張耳陳余みたく没落した士大夫だろうね。 >>55
吉宗の天一坊事件の太閤版か
もっとスゴいけど 徳川家康「悪い報告をするぐらいで、なんで家臣が怖がるの? ウチの家臣なんて、取っ組み合い挑んでくるし、いう事聞いてくれなきゃ殿と一戦するもん、と堂々と吼えるし…他家は違うの?」 >>91
せめて信長と会った事ない大名でやらないと >>87
切羽詰まり過ぎだろwwwwもっと気楽に行けよ中学生じゃないんだからwwww >>91
外様の藤堂高虎がなんで大事にされたのか分かった気がする 実際土着の大名てむしろそんなもんだろう。
徳川の場合は当主不在期間がイデアとしての殿像を育んで、それが家康にのしかかった感があるが。 利家「おいこら秀吉、お前いい加減にしとけや」
家康「!?」
大老衆「!?」
三成「!?」
利家とかいう秀吉にビビらないただ一人のヤツ呼んでこいよ もう「又佐どん」「藤吉どん」なんて呼び合うこともないんやなって… https://i.imgur.com/XOAEKBc.jpg
センゴクって前田利家の影薄いから
あとは秀長くらいしかいないような センゴクの利家は
秀吉との友情みたいな話全く
描かれてないし
そもそも出番がほとんど無いから
すごく影が薄い 死を悼む顔は昔の藤吉郎どんだけどすぐ政務に向かわざるを得ないのが寂しくもあるな >>103
ありがとう。
織田家の家臣だった(与力)という扱いなんだな。 美濃攻め〜中国攻めのヒッデ ←最高
山崎〜天下一統までのヒッデ ←うんち
なぜなのか 酒飲んで酔っ払ってたせいで、金ヶ崎撤退戦に参加できなかった、センゴクの小六っつあん
……あれ? これってそれこそ切腹か追放ものの失態じゃ… 利家ってぶっちゃけ家康より人望厚くて
政治、武功、外交、どれも超一流の武将なのに何故かセンゴクだと全く取り上げられ無いよな この漫画秀吉死ぬまではやってほしいな
小田原で終わると残念だ 前田利家って織田閥の代表みたいな感じだったって聞いたけどそうなの? >>105
途中まではひどいことしても全部信長のせいにできた。
部下の気持ちがわかって一緒に会社への愚痴を言い合えるいい兄貴分だった部長が、社長になった途端に豹変して経営と数字のことしか言わなくなった、みたいな 他の蒲生や森、堀久、池田といった旧織田系家臣の面々が早死にして代替りしたからなあ ???「や る ん だ よ 秀吉を」
の漫画の影響…ってことはないよね
普通に、佐々と二人一組モブって扱いでしかなかったな>センゴクの前田利家 個人の武勇で言えば織田豊臣一で武断派の七本槍には慕われてた
更に浅野長政の息子が秀次の件で引責自害させられるのも止めて慕われ
蒲生氏郷は利家に惚れ込んで
名門の細川家も利家の娘を嫁に貰った、すぐ死んだけど嫁
更に上杉とも仲が良くて徳川も一目追いてたし
伊達、最上、佐竹、上杉の意見や陳情は利家を通して秀吉に伝えられてた
更に更に嫁さんがねねと親友で大阪の女房衆にも顔が聞いた
秀吉の代わりに朝廷との取り次ぎもやってたし、更に秀頼の育て役
ぶっちゃけ秀長の仕事の7割くらい受け継いで
個人の武功や人柄で秀吉に次ぐ人望、前田派が出来てた 利家の恐ろしいの武断派奉行派2つから慕われてたという謎っぷり
普通どっちかに偏るのに
それで家康も利家が生きてる時は大阪城から追い出されたり
戦になりそうになった時も真っ先に謝罪にいってる
秀吉亡き後の豊臣の大黒柱を一人でやってた
だから利家死んだらボロボロのバラバラで簡単に崩れた豊臣家
本当にあと10年生きて秀頼成長まで後見人やってたら徳川幕府も関が原も無かったろうに、惜しい 親父殿、とまで呼んだ柴田勝家を土壇場で裏切り
娘を何人も秀吉に差し出して(養女ならともかく、側室って…)、保身
あと銭にかんするケチくささ
これで人望あるんだから、確かに不思議やな それだけやっといて悪評を買わなかったのは確かに凄いな 律儀者と言われたように、絶対に裏切らない、人を陥れないという意味で上下から信頼をあつめたんでしょ。
気のいいおじいちゃん大物ポジション。
秀吉にとっても深く考えずに昔通りに心を許せる飲み友達。だから心配せず破格の大領を与えたとも言える。
花の慶次では扱いさんざんだったがなあ。 裏切らないというか下克上の野心を持たないという方が正しいか 年食って落ち着いた大企業の重役みたいな利家と死ぬまでかぶくつもりな慶次だからそりゃあわんよ 利家は若年の頃の傾奇者や槍の又左としての武辺者イメージもあるから
あまりに政治家的なイメージ強くないけど
賤ヶ岳での立ち回りやその後の豊臣政権での働き的に見ると
細川藤孝とか鍋島直茂みたいな政治感覚の鋭い人なんじゃないかと思う 利家の息子は信長の娘と結婚してるから無碍にはできない
蒲生と同じ >>121
若い辺りのイメージの影響で政治関連はまつがやったて感じなっちゃったのかね。
後いつもの司馬の影響。 前田さんは趣味が蓄財だからな
毎日、帳面と睨み合ってる奉行衆とウマが合うのも納得できる >>81
結婚したのは秀吉が足軽になってから、一応士分に取り立てられている
親がどうとかはあまり関係ない。
木下家の残したものによると、両親に反対されたのでねねが転がり込んできてて、完全な駆け落ち状態だったそうだから、
親の許可があったかどうかも疑問だ。
>>91
コ川に限らずほとんどの大名はそんなもん。都合が悪ければ追放か、他の子供や兄弟担いで謀反する。
基本的に大名って、豊臣政権まではただの利害調整役だから。家臣の顔色うかがわないといけない。 信長から日ノ本無双の槍、堤の上の槍、古今無双の槍とか個人の武勇では一番評価されてた
貯金趣味も死ぬ時は俺に借金してる大名にはこっちから取り立ててやるなって器を見せてるし >>44
長宗我部が慰謝料込み島津見張りの大隅20万石を打診された事を考えると、
それって元々ゴンべのポジションになる予定だったんじゃ・・・
十河は讃岐で加増、長宗我部は伊予か讃岐の一部を加増とか。
もちろん無事に戸次川が発生していなかったらればの話だがw 信玄ってあの顔で浮気してないよ、愛してるのお前だけだよとか手紙送ってたんだよな
あっち方面はヤル前に勝利を決められなかったのかな 機嫌を損ねたら腹を切る可能性もありうるので、家臣までご機嫌を伺いながらの会話になってしまうけど
そうさせてしまっている本人も、腫れ物に触るような会話されるのは楽しくなかろうに 仕事がめっちゃデキる人でも下半身絡みはそうでないってのは昔も今もさほど進歩しない人の性だよ
恋愛とかセックス絡むとIQ下がるのは誰だって経験した事ある筈
例え信玄みたいなすげー奴じゃなくても一般人でもなる >>121
秀吉の利家重用は隆景が死んだ後
むしろ隆景の死の影響こそが大きい 蘆名盛隆「職場に恋愛感情を持ち込んだらややこしいことになるぞ」 >>132
そうだね。
ただ、トップという地位が、それを他人に奪わせたくなくて、人のありようを変えちゃう面もありそうだけど。
信頼しとるぞのシーンが
ワシの期待裏切ったらおまえも死ぬぞって言っているようで怖かった >>134
隆景が死んでから隆景の後釜にする為にグンと引き上げたのは確かだけど
その前から重用自体はしてるでしょ
小田原なんかでも北陸軍の総大将やらせてるし、奥州とのやり取りを纏めさせてる
色んな意味で便利な人だったんじゃないかね >>138
あじゃーす
もともと独紙の地盤があるわけでもない利家に、羽柴家で大した功もないうちから80万石超える破格の大領与えてるんだから、秀吉に信頼されてたのは間違いないよな。ほかの子飼いの功臣は30万石超えてないんだし もともと能登一国は自前だし、上杉への抑え役として多少はね? 影響力があるってことは、そいつおさえときゃ支配に好都合でもあるわけだしな
強いもんは裏切らないタイプ 利家は秀吉の親友だっただけで何故か出世したイメージなんよなあ
佐々成政と同格だったって言うとなんかショボく感じるわ >>133
紂王「せやな」
晋献公「せやな」
唐玄宗「せやな」 日本人に聞いた、土佐(高知県)の有名人と言えば・・?(2017/朝日新聞)
82%・・・坂本竜馬
4%・・・板垣退助
3%・・・空海(弘法大師)
2%・・・紀貫之
2%・・・山内一豊
1%・・・ジョン万次郎
その他・・・中岡慎太郎・岡田以藏・長宗我部元親←ココ!。俺たちの元親は。・岩崎弥太郎・浜口雄幸など
竜馬が強すぎて草だけど、長宗我部の知名度も低すぎで >>146
長宗我部って土佐と言うより四国全体のイメージが強いからじゃ無いの >>143
落ちぶれてるが佐々家の家柄は織田家より上の家だったからね。
ただ前田家は織田家の譜代て言っていい長さ織田に使えてる家だったからね。
それにパッと見の出世もほぼ同列みたいな感じだし、詳しい人が見たら違うのかもしれんが。 まつ「あなたがケチケチしてるから、いざという時の兵士が足りないんでしょ!」
と、金銀の詰った袋を投げつけられ、これに槍をもたせて戦いにいきなさい、と妻に叱責される利家さんだからなぁ
寄らば大樹の陰、で転身してるのは見事だが、さて天下を狙える器か? というと…? 生まれと育ちが香川の空海が高知ってのは違和感
悟り開いたのは高知だった気がするけど 四国全体でみて三好家前の有名人空海しかいないからなあ >>143
あの秀吉が親友だからなんて理由だけで出世させる訳ねーわ
それだけ出世させて使いたい立場や能力のある人間だったんだろ
仮に親友だから出世出来ただけならそれこそ相当な人たらしだ >>146
一条「一応、戦国三国司の一つなんだけどなあ」 センゴクの前田は柴田に飯作るシーンは感動的だったけど、もっと前から柴田や秀吉との関係描いてたらもっと感動したのに 秀吉は武士の出じゃないからね
武士の気持ちを、最後のところでわかってないんだよ
武士が命張るのは、家を残し領地を子孫に継がせたいから
なのに、秀吉は代替わりすると難癖つけて、功績あった仲間の息子に酷い仕打ち平然とするじゃん
前田利家だって、秀吉より早く逝ってたら、息子らは難癖つけられて領土削られまくってただろうよ
そのくせ、自分の幼い息子だと特別扱いしろ、と死ぬ間際まで言うんだから
やってらんねー、と思うだろ
でも、前田利家は柴田勝家裏切って秀吉に媚びた前歴があるから、死ぬまで「律儀」を見せるしかなかった
一方、徳川家康にはそんな借りは秀吉にはない。むしろ、天下を取るか反徳川に潰されるか、の切羽詰った状況になった >>155
そういえば親が秀吉の家臣や同僚だった二世はかなり徳川についたなあ
前田、黒田、蜂須賀、竹中、細川、蒲生、堀・・・ >>156
前田家は実質三代目とされてた奴が何故か豊臣に付いたよな大坂の陣で 出世したポジションでちゃんと結果も出して周囲も文句言わないんだからいいじゃん
センゴクはまさに身に余る出世した結果があの惨敗なんだし 小谷浅井攻めの虎口戦の時のゴンは輝いてたのに、今では劣勢に乱心して更に味方を混乱させるという愚将極まりない奴にまで落ちぶれた
実際でも九州攻めの頃のゴンなんて昔の功労自慢するだけの老害と化してたんだろうな
織田でいう林や佐久間みたいなポジションだったんだろう
秀吉も信長のやり方に習って追放しただけ 小田原攻めでの活躍見てもわかるように数百人以下を率いる将校としては有能だったんじゃないのかな。万を超えるような大将の能力がなかったというだけで。 匹夫の勇の典型
自分が先駆けて斬り込んで行くような戦闘は得意でも
味方の大部隊を采配する器はなかったんだろうね そういうタイプの将も適材適所で必要とされるんだが
まあ軍監は絶対任せちゃいかんと思う 権兵衛に軍監って半兵衛に先駆けさすようなもんだよな ゴンベを軍監にするのはエルサレムを首都にするようなもんか 面白かった合戦
一位 三方ヶ原
二位 長篠
三位 金ヶ崎の退き口
四位 試し合戦
五位 小谷城 金ヶ崎や姉川を振り返ると、神降りもこれはこれでありなのかもなー 天正記始まり辺りって味方もイライラする雑魚ばかりだったし戦の視点も狭かったからあんまり楽しくなかったけど長篠は一気に盛り返して楽しかったわ
その後の播磨攻め毛利攻めも文句ない >>172
最近、これやらなくなったよな。初期や天正記ではあった作者が実際に取材してきた描写とかもなくなったし でもTwitterを見るに、歴史的資料は結構読んでる感じ
まあ、異説を立てる必要がない事象は無理に異説立てんでもいいし うちの近所の子もよく降霊術やってたからそれ見てると家久も実際あんな感じだったんかもなと思えたよ 細川政元程度じゃなくてほんとに降ろして来ちゃうのが凄い 大河の信玄でもあぶない謙信が毘沙門天と妙なやりとりしてたっけ
純粋なカッコいい謙信ならやっぱり天地人の阿部ちゃん
センゴクの謙信?ありゃプーチンの間違いだ(すっとぼけ ガチエスパー能力発動と、なんか怪しい世界と交信しとるぞ…は流石に別物では スサノオと毘沙門だと後者の方が圧倒的に強そうなのは何故か ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています