センゴク 宮下英樹 138番槍
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-8巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 137番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1511764252/ ???「や る ん だ よ 秀吉を」
の漫画の影響…ってことはないよね
普通に、佐々と二人一組モブって扱いでしかなかったな>センゴクの前田利家 個人の武勇で言えば織田豊臣一で武断派の七本槍には慕われてた
更に浅野長政の息子が秀次の件で引責自害させられるのも止めて慕われ
蒲生氏郷は利家に惚れ込んで
名門の細川家も利家の娘を嫁に貰った、すぐ死んだけど嫁
更に上杉とも仲が良くて徳川も一目追いてたし
伊達、最上、佐竹、上杉の意見や陳情は利家を通して秀吉に伝えられてた
更に更に嫁さんがねねと親友で大阪の女房衆にも顔が聞いた
秀吉の代わりに朝廷との取り次ぎもやってたし、更に秀頼の育て役
ぶっちゃけ秀長の仕事の7割くらい受け継いで
個人の武功や人柄で秀吉に次ぐ人望、前田派が出来てた 利家の恐ろしいの武断派奉行派2つから慕われてたという謎っぷり
普通どっちかに偏るのに
それで家康も利家が生きてる時は大阪城から追い出されたり
戦になりそうになった時も真っ先に謝罪にいってる
秀吉亡き後の豊臣の大黒柱を一人でやってた
だから利家死んだらボロボロのバラバラで簡単に崩れた豊臣家
本当にあと10年生きて秀頼成長まで後見人やってたら徳川幕府も関が原も無かったろうに、惜しい 親父殿、とまで呼んだ柴田勝家を土壇場で裏切り
娘を何人も秀吉に差し出して(養女ならともかく、側室って…)、保身
あと銭にかんするケチくささ
これで人望あるんだから、確かに不思議やな それだけやっといて悪評を買わなかったのは確かに凄いな 律儀者と言われたように、絶対に裏切らない、人を陥れないという意味で上下から信頼をあつめたんでしょ。
気のいいおじいちゃん大物ポジション。
秀吉にとっても深く考えずに昔通りに心を許せる飲み友達。だから心配せず破格の大領を与えたとも言える。
花の慶次では扱いさんざんだったがなあ。 裏切らないというか下克上の野心を持たないという方が正しいか 年食って落ち着いた大企業の重役みたいな利家と死ぬまでかぶくつもりな慶次だからそりゃあわんよ 利家は若年の頃の傾奇者や槍の又左としての武辺者イメージもあるから
あまりに政治家的なイメージ強くないけど
賤ヶ岳での立ち回りやその後の豊臣政権での働き的に見ると
細川藤孝とか鍋島直茂みたいな政治感覚の鋭い人なんじゃないかと思う 利家の息子は信長の娘と結婚してるから無碍にはできない
蒲生と同じ >>121
若い辺りのイメージの影響で政治関連はまつがやったて感じなっちゃったのかね。
後いつもの司馬の影響。 前田さんは趣味が蓄財だからな
毎日、帳面と睨み合ってる奉行衆とウマが合うのも納得できる >>81
結婚したのは秀吉が足軽になってから、一応士分に取り立てられている
親がどうとかはあまり関係ない。
木下家の残したものによると、両親に反対されたのでねねが転がり込んできてて、完全な駆け落ち状態だったそうだから、
親の許可があったかどうかも疑問だ。
>>91
コ川に限らずほとんどの大名はそんなもん。都合が悪ければ追放か、他の子供や兄弟担いで謀反する。
基本的に大名って、豊臣政権まではただの利害調整役だから。家臣の顔色うかがわないといけない。 信長から日ノ本無双の槍、堤の上の槍、古今無双の槍とか個人の武勇では一番評価されてた
貯金趣味も死ぬ時は俺に借金してる大名にはこっちから取り立ててやるなって器を見せてるし >>44
長宗我部が慰謝料込み島津見張りの大隅20万石を打診された事を考えると、
それって元々ゴンべのポジションになる予定だったんじゃ・・・
十河は讃岐で加増、長宗我部は伊予か讃岐の一部を加増とか。
もちろん無事に戸次川が発生していなかったらればの話だがw 信玄ってあの顔で浮気してないよ、愛してるのお前だけだよとか手紙送ってたんだよな
あっち方面はヤル前に勝利を決められなかったのかな 機嫌を損ねたら腹を切る可能性もありうるので、家臣までご機嫌を伺いながらの会話になってしまうけど
そうさせてしまっている本人も、腫れ物に触るような会話されるのは楽しくなかろうに 仕事がめっちゃデキる人でも下半身絡みはそうでないってのは昔も今もさほど進歩しない人の性だよ
恋愛とかセックス絡むとIQ下がるのは誰だって経験した事ある筈
例え信玄みたいなすげー奴じゃなくても一般人でもなる >>121
秀吉の利家重用は隆景が死んだ後
むしろ隆景の死の影響こそが大きい 蘆名盛隆「職場に恋愛感情を持ち込んだらややこしいことになるぞ」 >>132
そうだね。
ただ、トップという地位が、それを他人に奪わせたくなくて、人のありようを変えちゃう面もありそうだけど。
信頼しとるぞのシーンが
ワシの期待裏切ったらおまえも死ぬぞって言っているようで怖かった >>134
隆景が死んでから隆景の後釜にする為にグンと引き上げたのは確かだけど
その前から重用自体はしてるでしょ
小田原なんかでも北陸軍の総大将やらせてるし、奥州とのやり取りを纏めさせてる
色んな意味で便利な人だったんじゃないかね >>138
あじゃーす
もともと独紙の地盤があるわけでもない利家に、羽柴家で大した功もないうちから80万石超える破格の大領与えてるんだから、秀吉に信頼されてたのは間違いないよな。ほかの子飼いの功臣は30万石超えてないんだし もともと能登一国は自前だし、上杉への抑え役として多少はね? 影響力があるってことは、そいつおさえときゃ支配に好都合でもあるわけだしな
強いもんは裏切らないタイプ 利家は秀吉の親友だっただけで何故か出世したイメージなんよなあ
佐々成政と同格だったって言うとなんかショボく感じるわ >>133
紂王「せやな」
晋献公「せやな」
唐玄宗「せやな」 日本人に聞いた、土佐(高知県)の有名人と言えば・・?(2017/朝日新聞)
82%・・・坂本竜馬
4%・・・板垣退助
3%・・・空海(弘法大師)
2%・・・紀貫之
2%・・・山内一豊
1%・・・ジョン万次郎
その他・・・中岡慎太郎・岡田以藏・長宗我部元親←ココ!。俺たちの元親は。・岩崎弥太郎・浜口雄幸など
竜馬が強すぎて草だけど、長宗我部の知名度も低すぎで >>146
長宗我部って土佐と言うより四国全体のイメージが強いからじゃ無いの >>143
落ちぶれてるが佐々家の家柄は織田家より上の家だったからね。
ただ前田家は織田家の譜代て言っていい長さ織田に使えてる家だったからね。
それにパッと見の出世もほぼ同列みたいな感じだし、詳しい人が見たら違うのかもしれんが。 まつ「あなたがケチケチしてるから、いざという時の兵士が足りないんでしょ!」
と、金銀の詰った袋を投げつけられ、これに槍をもたせて戦いにいきなさい、と妻に叱責される利家さんだからなぁ
寄らば大樹の陰、で転身してるのは見事だが、さて天下を狙える器か? というと…? 生まれと育ちが香川の空海が高知ってのは違和感
悟り開いたのは高知だった気がするけど 四国全体でみて三好家前の有名人空海しかいないからなあ >>143
あの秀吉が親友だからなんて理由だけで出世させる訳ねーわ
それだけ出世させて使いたい立場や能力のある人間だったんだろ
仮に親友だから出世出来ただけならそれこそ相当な人たらしだ >>146
一条「一応、戦国三国司の一つなんだけどなあ」 センゴクの前田は柴田に飯作るシーンは感動的だったけど、もっと前から柴田や秀吉との関係描いてたらもっと感動したのに 秀吉は武士の出じゃないからね
武士の気持ちを、最後のところでわかってないんだよ
武士が命張るのは、家を残し領地を子孫に継がせたいから
なのに、秀吉は代替わりすると難癖つけて、功績あった仲間の息子に酷い仕打ち平然とするじゃん
前田利家だって、秀吉より早く逝ってたら、息子らは難癖つけられて領土削られまくってただろうよ
そのくせ、自分の幼い息子だと特別扱いしろ、と死ぬ間際まで言うんだから
やってらんねー、と思うだろ
でも、前田利家は柴田勝家裏切って秀吉に媚びた前歴があるから、死ぬまで「律儀」を見せるしかなかった
一方、徳川家康にはそんな借りは秀吉にはない。むしろ、天下を取るか反徳川に潰されるか、の切羽詰った状況になった >>155
そういえば親が秀吉の家臣や同僚だった二世はかなり徳川についたなあ
前田、黒田、蜂須賀、竹中、細川、蒲生、堀・・・ >>156
前田家は実質三代目とされてた奴が何故か豊臣に付いたよな大坂の陣で 出世したポジションでちゃんと結果も出して周囲も文句言わないんだからいいじゃん
センゴクはまさに身に余る出世した結果があの惨敗なんだし 小谷浅井攻めの虎口戦の時のゴンは輝いてたのに、今では劣勢に乱心して更に味方を混乱させるという愚将極まりない奴にまで落ちぶれた
実際でも九州攻めの頃のゴンなんて昔の功労自慢するだけの老害と化してたんだろうな
織田でいう林や佐久間みたいなポジションだったんだろう
秀吉も信長のやり方に習って追放しただけ 小田原攻めでの活躍見てもわかるように数百人以下を率いる将校としては有能だったんじゃないのかな。万を超えるような大将の能力がなかったというだけで。 匹夫の勇の典型
自分が先駆けて斬り込んで行くような戦闘は得意でも
味方の大部隊を采配する器はなかったんだろうね そういうタイプの将も適材適所で必要とされるんだが
まあ軍監は絶対任せちゃいかんと思う 権兵衛に軍監って半兵衛に先駆けさすようなもんだよな ゴンベを軍監にするのはエルサレムを首都にするようなもんか 面白かった合戦
一位 三方ヶ原
二位 長篠
三位 金ヶ崎の退き口
四位 試し合戦
五位 小谷城 金ヶ崎や姉川を振り返ると、神降りもこれはこれでありなのかもなー 天正記始まり辺りって味方もイライラする雑魚ばかりだったし戦の視点も狭かったからあんまり楽しくなかったけど長篠は一気に盛り返して楽しかったわ
その後の播磨攻め毛利攻めも文句ない >>172
最近、これやらなくなったよな。初期や天正記ではあった作者が実際に取材してきた描写とかもなくなったし でもTwitterを見るに、歴史的資料は結構読んでる感じ
まあ、異説を立てる必要がない事象は無理に異説立てんでもいいし うちの近所の子もよく降霊術やってたからそれ見てると家久も実際あんな感じだったんかもなと思えたよ 細川政元程度じゃなくてほんとに降ろして来ちゃうのが凄い 大河の信玄でもあぶない謙信が毘沙門天と妙なやりとりしてたっけ
純粋なカッコいい謙信ならやっぱり天地人の阿部ちゃん
センゴクの謙信?ありゃプーチンの間違いだ(すっとぼけ ガチエスパー能力発動と、なんか怪しい世界と交信しとるぞ…は流石に別物では スサノオと毘沙門だと後者の方が圧倒的に強そうなのは何故か >>181
北のやばい大国といえばロシアだしな。
ということは北の暴れん坊の若い君主のモデルはやはり… 最近作画が荒れてるのは演出?戦闘シーンとか誰が何やってるのか分かり辛い プーチンは次期大統領の座も狙っているようだが
その場合はツルフサの法則は守られたことになるのか? プーチン謙信はあんなんやけど、なんだかんだでしっかり人間のできる範囲での戦やったんやけどね
弾が当たらないみたいなのはまあ回想シーンであったけど、度胸座ってるぐらいの描写やしさ 「仏に逢うては仏を殺せ、親に逢うては親を殺せ、さらば解脱が得られん」
を文字通りに解してそうな謙信 伊達政宗、北条氏、真田兄弟、のキャラデザインが気になるな。あと、家康と秀吉のやりとりは見たいわ。 そこの細目で思ったけど細目の人って温厚そうなイメージがあるな センゴクが小倉城まで逃げて、クロカンらに助力を頼んだが冷たくあしらわれた部分もカット、か 政権中枢に外様の大名据えるのってやっぱり無理があるのかねぇ >>155
そういう利権世襲体制は豊臣家、いや織田家においてすら認められないから、
どんなに功績があり先祖代々仕えていても、本人がロートルになってしまったら追放される。
親が○○だから子供も○○をやらせようなんて発想がそもそも間違いなんだよ。 >>199
徳川にとっては井伊は外様だけど幕末まで中枢で頑張ってくれたぞ 井伊は関が原以前に家来だから譜代では
真田あたりは徳川の寄騎になったとはいえ外様だろうけど >>200
まあ、だからこそ織田も豊臣も一代限りになったんだろうな
人は子孫の安泰を求めるものであり
正しいかどうかなんで関係ないのだ >>203
これに尽きるわなあ。
自分の息子は盛り立てろ、でも家臣は実力制。
なんて誰もついてくるわけない。
今で言うなら年金というか社会保障制度がなければ、安心して引退できなくなる。秀吉はあれこれ功臣の領地をいじりすぎた >>202
真田は譜代待遇の外様という微妙なポジションだったらしい
家康の養女(小松姫)が嫁入りしている事とか
8代藩主が松平定信の息子だからだと言われている >>203
その結果江戸時代なんてものができてしまったけどな
一握りの人間が利権を独占して世襲するだけ、新しい事には何もチャレンジせずに利権を守る事しか考えない
下の人間はどんなに優秀でも死ぬまで這い上がれない。
後は国家全体が地盤沈下していく、今の日本みたいにね。 日本の歴史上、大した内乱もなく二百五十年も同じ体制が続いて経済的に拡大が続いた時期が他にあるのかね?
「戦後復興の人たちの方がダイナミズムがあって現代より幸せ」とか、平気で言っちやいそうだな >>204
這い上がりたい人間はごまんといるから問題ない
今の地位の保全だけ考えている人間は切って、野心と能力にあふれる人間に与えればいい。
後継者にその器がなければ領土を返還するというのもわりとあった話。
森家では弟には継がせず、領地は他の奴にやってくれと遺言していたし、
加藤家でも息子がまだ幼いからといって領地は返上した。
秀吉は秀頼に領土は残したが、公儀としての権力は残さず、大老と奉行の合議へと変更させた。 >>206
おそらく豊臣の世が続いてたとしても
同じような時代になってたと思うよ
永遠に戦乱が続くような世なら別だけどね >>208
そうして這い上がった人間は自らの地位を脅かす野心と能力に溢れた
若い人材を芽が出る前に潰すようになるから同じだよ >>207
経済的な拡大なんて起こってないから、拡大していたのはせいぜい100年、下手するともっと短い、
150〜200年は何もおこらずむしろ衰退する一方だった。
その間世界はどんどん進歩していったのににね。幕末でも戦国時代の軍制に火縄銃ですよ。ライフリングされた銃と散兵の時代にね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています