バブル真っ盛りの1990年、ホンダは高根沢工場を新設します。この新工場、
何と世界初のオールアルミモノコック構造である初代NSXのための専用工場。
当時の日本車には世界一を目指す、凄まじい情熱と意欲が宿っていたのです。
この当時の欧州メーカーの焦りは相当のものでした。初代セルシオやR32スカイラインGT-R等々、
「安かろう悪かろう」と馬鹿にされてきた日本車が、欧州車を一部で凌駕し初めたからです。

1989年、日本車を叩きのめすため、あのメルセデスが禁断のシルバーアローの封印を解きます。あのメルセデスでさえ、
日本車の脅威に怯えていたのです。このままでは、本当に追い抜かれるに違いないと。。。

ところが、近年の日本車には、当時の勢いはありません。「世界初」という言葉も殆ど聞かれなくなりました。
なぜでしょうか?

それは、幹部級が極端にリスクを嫌っているからでしょうし、
多くの若手が心底クルマ好きでないからでしょう。
今や、自動車メーカーはクルマ好きのチャレンジの場ではなく、
安定就職先の一つなのです。そうして就職した若手たちが、
上司の反対を押し切ってまで、使命に燃えて邁進するでしょうか?「サー残」
で会社に居残ってまで、自主的な研究会や勉強会を開くことがあるでしょうか?

80年代の日本車史に燦然と輝く金字塔の影には、そうした先人たちの努力が隠され
ています。だからこそ、世界をアっと驚かすことができたのです。もちろん、
今だって夢と情熱を持った、優秀な若者は大勢居るはずです。しかし、硬直した上司
と会社に失望し、優秀な若手ほど辞めていくと言います。

かつての日本の自動車メーカーは、[若手の気合と根性]+[上司の男気一発]で、
難関を突破してきました。しかし、今はそういう訳にはいきません。長いものには
巻かれろ、とは良く言ったものです。でも、意欲を失ってしまえば、「環境を変える」他ありません。つまり、転職です。。。

ものづくりは、人づくり。人を失っていくままであれば、日本の自動車産業に未来は
ありません。