その大いなる意識の感覚を説明すると、
空気のようなイメージ。
空気はこの世界すべてに蔓延してる。そしてすべての人に存在してる。
そのような感覚というか。
その空気すべてが大いなる意識そのもので、それがすべて自分であり、
その一部でもあるような。
空気に触れるものすべてわたしという感覚なので、
例えば道に落ちてる枯葉や石ころさえ、自分の一部のような感覚がする。
これは意識ということ。
自分が道に落ちてる枯葉や石ころを意識すると、それは自分を意識してるということ。
自分の意識が行き届く範囲すべてが自分という感覚。
その自分という感覚が自我の自意識から生まれる自分という感覚じゃなくて、
共通意識のような全体意識のような、普遍意識のような、大いなる意識から生まれる自分という感覚といえばいいのかな。
なので自我のような自分という感覚じゃなくて、
空気によって自分と他人は同じ空気によって繋がってる感覚がする、というような。
その繋がりが宇宙レベルまで行き届くので、自分は宇宙だと思う瞬間もあり、
それが神意識ということなら、神とは自分であり他者でありすべてであるということなんじゃないかなと。