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この1年間で「LGBT」がどれだけ報道されたのか違和感を覚えざるを得ません。
LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか?

もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、
私自身は、気にせず付き合えます。

職場でも、仕事さえできれば問題ありません。
多くの人にとっても、同じではないでしょうか。


そもそも日本には同性愛の人達に対して「非国民だ!」という風潮はありません。

一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、
白い目で見られてきて、時には迫害され、命に関わるようなこともありました。

それに比べ、日本社会では歴史を紐解いても、その様な迫害の歴史はありません。
むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。

どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、
という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。


T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。
自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。
医療行為として行くのか、それは政治家としても考えていい事なのかもしれません。

しかし、思春期の不安定な時期にトランスや同性愛を煽って、普通に恋愛・結婚できる人まで、
性自認や性指向を混乱させることは、不幸な人を増やすことにつながりかねません。


最近はLGBTに加えて、Qとか、I(性の未分化の人や両性具有の人)とか、
P(性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。
なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう?

オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、
パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。

フェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。
もう冗談のようなことが、本当に起きているのです。


多様性を受け入れて、様々な性的指向も認めよということになると、
同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、
それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。

現実に海外では、そういう人たちが出てきています。
どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
自分の好きな性別のトイレに誰もが入れる様になったら、世の中は大混乱です。


「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させる事にもなりかねません。
むしろ、冷静に批判してしかるべきではないかと思います。

「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、
いずれ崩壊していくことにもなりかねません。
私は、日本をそうした社会にしたくありません。

【『新潮45』2018年8月号 杉田水脈『「LGBT」支援の度が過ぎる』】(M3891)